ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

7月6日

2018-07-06 22:05:01 | 日常
昨夜やはり急変呼び出しは無かった。

晴れ。
朝、気温9.4℃。


風は冷たく日差しが眼に刺さる。






4年前の今日、父が帰天した。
私は出勤するつもりで朝食を終え、食器を洗っていた。
7:50、携帯の着信音が鳴ったので出ると病院からだった。
前夜の夜勤看護師だった。
「おはようございます。
 今お話ししても大丈夫でしょうか。
 昨夜からずっとお父様の痰がらみがひどくて、今喀痰吸引したのですが、
 吸引した後そのまま呼吸が戻らなくなりました。
 今から5分ほど前、7:45頃です。」
父の心臓は動いておりますか?
「いいえ。止まっています。」
つまり心肺停止状態なのですね。
「はい。こちらに緊急入院して来られた時にこのような状態になった場合について
  人工呼吸器を装着するかどうかをまだお話していませんでしたが、
 お父様に人工呼吸器の装着を希望されますか?」
いいえ。人工呼吸器は装着しないで下さい。
「今これからこちらに来られますか?」
はい、今からそちらに向かいます。
「お待ちしております。
 病室を移動しましたので真っ直ぐ病棟に来て声をかけて下さい。
 どうぞお気をつけていらして下さい。」


15年間在宅介護して来て、私は最後の最後に間に合わなかった。
終わった、と思った。
父にとって長い長い寝たきり生活が。
心身が衰え呼吸もままならず日に何度も気管に管を通され痰を吸引される拷問が。
私にとって「もうこれで最後かも知れないからやっておかなくては」という
強迫観念に追い立てられる日々が、
胃瘻造設したら退院後の受け入れ先を探さなければならない、
見つからなければ私は仕事を辞めて父の在宅看護(介護ではない)をするために
しなければならない色々な事柄も、これからする筈だったMSWとの面談も、新しい担当ケアマネ探しも、
在宅で必要になる介護ベッドのレンタル契約、在宅で使う吸引器のリース、 訪問看護、
往診に応じてくれる医療機関探しも、経済的な心配も、何もかも要らなくなった。
15年間の介護生活が終わった。
一昨日、昨日までで、今日からはもう無い、と思った。
4年経って、自分は今何をしているか。
ただ仕事をして、ただ食べて暮らしている。
介護現場の在り方は、父のいた頃とは比べ物にならないほど今は劣化した。

4年前の7/6と違って今朝は9.4℃で冷え込んだ。
7月だと言うのに暖房全開である。

・・・・・

午後から緊急で受診同行あり、今日は忙しかった。
雲が重たくなってきた。
風が冷たい。
今にも降って来そうだ。




帰宅。
遠い国からやって来たヤモリ。
ようこそ。
ここは寒いよ。




・・・・・

職場のテレビやネットのニュースで見る世相に、禍々しい言葉が記憶の深い所から浮き上がって来た。
この言葉は本当に恐ろしい。
聖書は新旧約ともするすると年に何回か読み通すが、ダニエル書は黙示文学として普段はさらっと読み過ごしてきた。
しかしここ最近あの言葉が何度も脳裏に甦るようになった。
政局、子供の虐待死、スポーツ界のパワハラ、強姦された女性や難民の子供を誹謗中傷し愚弄する絵を描く女、
殺人カルト教団の死刑囚達7人の死刑執行が実況中継さながらに執行順に死刑囚の顔写真をマーキングし見世物にする
昼食時のバラエティ番組、下司なドツキ漫才崩れのお笑い、人を傷つけて痛がる様を面白がって嗤う、
自己免疫を活発化し人を生かす人間本来の笑いは消滅し、笑いではなく嗤いが蔓延する、それが今の世だ。
それらが眼や耳から入ってくる度にあの禍々しい言葉が甦る。
紀元前500~600年の昔、旧約の捕囚時代の記事だ。
しかし今自分のいるこの世はこの言葉が現実化された如きで背筋が寒い。

מְנֵא מְנֵא, תְּקֵל וּפַרְסִין.
「あなたを量って不足とされた、国は二つに裂かれる」

堕落し驕り高ぶった指導者達は宴会で弱者を嬲り見世物にして面白がり酒の肴にしていた事であろう。
饗宴の最中、突然手指が現れて壁に文字を書く。
מְנֵא מְנֵא, תְּקֵל וּפַרְסִין.
預言者ダニエルがその意味を解き明かす。
「神が指導者の人間性を量ると不足だった、治世は終わり国は分割される」
神が人間を量って「不足」であれば明日には消し去られるもの、それは神が人間を人間としてお造りになった性質。
我々は常に見られ、量られている、その人間性を。
今の世はあの不吉な言葉を思い出させる。
今の時代にあって何をしても何を作っても、何を語ろうと何を書こうと何一つ成就しない気がする。
ダニエル書で壁に不吉な言葉を書く手指が現れて預言者ダニエルが解き明かしたその日のうちに
為政者は殺害されバビロンはメディアとペルシャとに分断された。
驕り昂ぶった為政者が死に滅びても民衆が解放され幸福万々歳になった訳ではない。
文化の違う二国に分断され翻弄されて苦しんだのは間違いない。
ダニエルの時代にはメディアとペルシャであったものが今の時代必ずしも二つの国とは限らない。
それは気象の異常、天変地異であるかも知れないし、もっと別の何かかも知れない。