仕事終わって長倉洋海さんの講演会行ってきた。
今回、写真展は三回、講演三日間三回。
会場で所属教会の教会員と会った。
今日の昼間、礼拝の後で教会の子ども達二人連れてじじを見舞ってくれたという。
じじが嬉しそうに笑ってくれたので、
喜んで貰えた事が子供達にとって励みになったと話してくれた。
有り難い事だ。
じじの喜ぶ顔が目に浮かぶ。
長倉さんの講演三日目、今日の話は最近撮った写真の事。
『北の島』グリーンランドの鏡のような白夜の海の写真と、
『南の島』カピンガマランギの青く透明な海の写真と、
地球温暖化によって『北の島』の氷が融けてそこに生きる人々は住処を失い、
融けた『北の島』によって水位が上昇し、近い将来楽園のような『南の島』が水没する。
長倉さんは現地でそこに暮らす人々と寝食を共にして写真を撮ってきた。
写真の中の人々のも顔には生活の厳しさや過酷な環境を生き抜いてきた逞しさが
皺となって刻まれ、滲み出ている。
私はそんな「人々」の顔を美しいと思う。
そして、いつまで眺めても決して見飽きる事が無い。
子供達の写真もそうだ。
長倉さんの撮るエルサルバドルの難民の子供達やアフガニスタンやコソボ、
その他各国の紛争地域の子供達の目はきらきらと輝いて喜怒哀楽を表し、
まさに生きている人間の子供の目だ。
私の身の回りにいる日本人の子供達は光が無く反応鈍く体も動かさずにゲームばかりして
無表情でつまらない、可愛いと思った事もない、そういうものだと思っていた。
しかし長倉さんの目を通した東日本代震災の被災地、東北の子供達のはどうだ、
快活に健気に、生き生きと輝いているではないか。
今回の写真展で東北各地の被災した子供達の写真を見て
そのきらきら輝く姿が輝けば輝くほど悲しくやりきれなくなった。
復興に必要な工事のための作業人員が将来開催される東京オリンピックの工事の方に
流れて行ってしまう事や、福島の原発の放射能漏れで汚染された環境で
彼らがこれからも暮らしていかなればならない事が脳裏に浮かびながら
無邪気に目を輝かせる子供達の写真を見て、可愛いと思った。
あんまり可愛くて泣きたくなった。
長倉さんの撮った被災地の子供達の写真を見ると苦しくていたたまれない。
胸を掻き毟られるような、というのはこういう事を言うのだろうか。
今回の写真展、ご本人の話を聞く事が出来てよかった。
長倉さんは話の中で、言っていた。
「写真は今目の前にあるものしか写らない。
しかし僕はそこに生きる人々の生き様を撮る。」
生き様。
長倉さんの撮った人々の写真の中で忘れられない一枚がある。
「町の食堂で、一杯のコーヒーを大切に飲む老農夫 1984.12 」
(長倉洋海著『サルバドル 救世主の国』 宝島社)
この老農夫は90歳と聞いた。
この人が大事に手に持つカップの中の珈琲は、
私達が日常当たり前に飲んでいる珈琲とは次元の違う、価値の高い一杯だ。
1980年から2009年までの総集編的写真集『地を駆ける』(平凡社 2009年)にも
この老農夫の写真は収録されている。(P81)
これまでに見た長倉さんの写真全作品の中で私が一番好きな一枚だ。
生き様が伝わってくる写真。
今回、写真展は三回、講演三日間三回。
会場で所属教会の教会員と会った。
今日の昼間、礼拝の後で教会の子ども達二人連れてじじを見舞ってくれたという。
じじが嬉しそうに笑ってくれたので、
喜んで貰えた事が子供達にとって励みになったと話してくれた。
有り難い事だ。
じじの喜ぶ顔が目に浮かぶ。
長倉さんの講演三日目、今日の話は最近撮った写真の事。
『北の島』グリーンランドの鏡のような白夜の海の写真と、
『南の島』カピンガマランギの青く透明な海の写真と、
地球温暖化によって『北の島』の氷が融けてそこに生きる人々は住処を失い、
融けた『北の島』によって水位が上昇し、近い将来楽園のような『南の島』が水没する。
長倉さんは現地でそこに暮らす人々と寝食を共にして写真を撮ってきた。
写真の中の人々のも顔には生活の厳しさや過酷な環境を生き抜いてきた逞しさが
皺となって刻まれ、滲み出ている。
私はそんな「人々」の顔を美しいと思う。
そして、いつまで眺めても決して見飽きる事が無い。
子供達の写真もそうだ。
長倉さんの撮るエルサルバドルの難民の子供達やアフガニスタンやコソボ、
その他各国の紛争地域の子供達の目はきらきらと輝いて喜怒哀楽を表し、
まさに生きている人間の子供の目だ。
私の身の回りにいる日本人の子供達は光が無く反応鈍く体も動かさずにゲームばかりして
無表情でつまらない、可愛いと思った事もない、そういうものだと思っていた。
しかし長倉さんの目を通した東日本代震災の被災地、東北の子供達のはどうだ、
快活に健気に、生き生きと輝いているではないか。
今回の写真展で東北各地の被災した子供達の写真を見て
そのきらきら輝く姿が輝けば輝くほど悲しくやりきれなくなった。
復興に必要な工事のための作業人員が将来開催される東京オリンピックの工事の方に
流れて行ってしまう事や、福島の原発の放射能漏れで汚染された環境で
彼らがこれからも暮らしていかなればならない事が脳裏に浮かびながら
無邪気に目を輝かせる子供達の写真を見て、可愛いと思った。
あんまり可愛くて泣きたくなった。
長倉さんの撮った被災地の子供達の写真を見ると苦しくていたたまれない。
胸を掻き毟られるような、というのはこういう事を言うのだろうか。
今回の写真展、ご本人の話を聞く事が出来てよかった。
長倉さんは話の中で、言っていた。
「写真は今目の前にあるものしか写らない。
しかし僕はそこに生きる人々の生き様を撮る。」
生き様。
長倉さんの撮った人々の写真の中で忘れられない一枚がある。
「町の食堂で、一杯のコーヒーを大切に飲む老農夫 1984.12 」
(長倉洋海著『サルバドル 救世主の国』 宝島社)
この老農夫は90歳と聞いた。
この人が大事に手に持つカップの中の珈琲は、
私達が日常当たり前に飲んでいる珈琲とは次元の違う、価値の高い一杯だ。
1980年から2009年までの総集編的写真集『地を駆ける』(平凡社 2009年)にも
この老農夫の写真は収録されている。(P81)
これまでに見た長倉さんの写真全作品の中で私が一番好きな一枚だ。
生き様が伝わってくる写真。
あーーーっ!っと思い
検索し続けてしまいました…(;^ω^)
記憶にあるにはあるけれども、ハッキリしてない部分もあり
どこかにないかーーーっと
ついつい…(;^ω^)
見つけられませんでしたけれど
長倉さんのブログ?を見つけました。
今回180ちょいの数、展示されていたんですね~
見ごたえあったでしょうね
ご覧になった事おありですか?
初期の頃の、エルサルバドルの写真で、
ネット上にはおそらく無いと思われます。
行きつけの店に小さいのが貼ってあるのです。
亡き店主がその写真を好きでした。
何とも、羨ましい…
コーヒーは惰性や習慣で飲むには片付けられない
大切な飲み物だと思ったのは
その写真がきっかけだったと思いますよw
ででで! なんと
斜めからのアングルですけど見つけましたよ~
あぁああ~ 正面から見たいwww
昨日は検索方法が悪かったのかな…(;^ω^)
ttp://blog.livedoor.jp/miyashitasan/archives/2012-09.html
こちらの2枚目の写真、ですよね
写真をクリックすると、ちょっとだけ大きくなります。
治療院さんでこの写真を見ながら一服 というイベントをなさったみたいです。
粋ですね(≧∇≦)b
url、貼ったのまずかったかな…(;^。^A アセアセ…
何でしたらば、コメは承認なさらなくてもいいですよぉ~
汗 ━(il`・ω・´;) ━タラァァ~ン
すみませんです┏○ペコリ
この写真、私の行きつけの珈琲店にも小さいのが貼ってあります。
亡き店主が長倉さんのこの写真をこよなく愛していたのです。