ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

ささやかに窓が凍った

2014-01-03 15:27:44 | 日常
6:00現在マイナス8.7℃、やっと冬らしくなった。
まだショボいけどささやかに窓が凍った。



今日も晴れ。




早番でもないのに4時から目が覚める。
昨日早番で、今日一日休みの勘違いしていた。
シフトの関係で今日明日二日間休みであった。


仕事は早朝から時間的に拘束され、この真冬に動き回って目に汗が入るけど
働いている時は仕事の事だけ考えていられるので精神的には休養になっている。
仕事が休みの時はあれやこれと戦わねばならないから。


介護ブログやこの日記ブログの記事はいずれも書きかけの下書き状態、
時間見つけてはちまちま更新作業をする。
書いたら書きっぱなして読み返す事を殆どしないが、
いつか自分が全く信用出来ない自分の記憶の正誤を後に確かめるための資料作りを
今からしているようなものである。
将来が大事だ、過去を振り返らないと宣言する人は多い。
私は自分の記憶が信用出来ないので日記ブログを書いている。
毎日昇って沈む太陽の具合など本来どうでもいいものだ。
ところが長文の記録よりも写真一枚の視覚的な刺激の方が記憶を呼び戻す効果がある。
たかが空の写真1枚でもずっと後になって、例えば何年も経ってからでも
「あの日はこうだった、自分はその時**をしていた」と
些細な日常の出来事までも記憶に呼び起こす力を持っている。


そんな訳で二連休の初日は記事更新作業。


今日も間もなく日が暮れる。
日没後、じじの病院に行く。




帰宅して、たまたまネットで『怖い絵』の中野京子さんの本の広告を見つけて
密林で注文しようとして検索がどんどん脱線し「ルイ17世の心臓」に行き着いた。
アントワネットの死後、実際子供達がその後どうなったかマンガには出ていない。
それで何となく全部読んでしまった。

 ↓
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A417%E4%B8%96


(2014.1.7追記)
結局ルイ17世の心臓をDNA鑑定したら本物だったという話を詳しく書いた本があったので
注文した本と一緒に取り寄せて読んだら呆れ返った。
まるで今どきのニュースで日常的に目にする幼児虐待、放棄の
ドキュメンテーションそのものではないか。
酷い話だ。


この子供が6歳の時に革命が勃発し両親共々軟禁状態に入るが一度逃亡に失敗した。
群集から怒号の飛び交う中パリに送り返される道の途中、
この子供が馬車の窓から顔を出して「ママを許してあげて!」と叫び続けた事、
父親ルイ16世処刑の日、この子が父親のために命乞いした事、
この子供は母親と叔母が処刑された事を生涯知らされず、
塔の屋上に出た日、母親のために花を見つけ摘み取って母親がいる筈の部屋の前に置いた事、
独房に墨で「ママ、あのね…」という書きかけの言葉と花の絵が書き残された事など、
胸の痛くなる幾つかのエピソードが残されている。


革命下の時代にいろいろ立派な理屈をつけて一人の子供を大勢の大人が痛めつけ
楽しんでいた事が読み取れる。
10歳の子供が害虫や寄生虫や鼠の湧く日の当たらない一室で長期間監禁され
皮膚一面びっしり南京虫に覆われていた事や、死後解剖すると
消化管の癒着と結核その他あらゆる感染症に身体全部を乗っ取られた状態だったという。
死に立ち会った医師の解剖記録は興味深い。

  「胃は非常に膨らんでいた。
   右膝の内側に我々は腫瘍を発見した。
   そして左手首の近くの橈骨に小さな腫瘍があった。
   膝の腫瘍は2オンスの灰色がかった物質を含んでいたが、
   それは膿とリンパ液でいっぱいだった。
   手首の腫瘍にも同じような物質を含んだが、もっと濃い色をしていた
   ・・・・・
   胃の内部からは1パイントを超える非常に臭い液体が流れ出て、
   腸は膨れ上がり腹壁で癒着をしていた。
   内蔵全体と両肺付近にさまざまな大きさの腫瘍がみつかり・・・」

日々与えられていたパンには鼠がたかっていた。
アントワネットが存命中からこの子が度々ひどい腹痛を起こして診察を求めても
監視の者達は許可せず拒否し続けた。
この子は腸が悪かったのに適切な治療と治療食を与えられず、
腸が膨れ胃が臭い液体で膨れていたのは腸閉塞だったのかも知れない。
不衛生な環境下で監禁されていれば結核、疥癬というのもわかる。
手首と膝の腫瘍は、この子供が6歳で親から引き離され虐待され監禁された後に

「スペイン外相とイギリス外相はタンプル塔のスパイから、
 売春婦に8歳のルイ17世を強姦させ性病に感染させたという知らせを受けていた。」

という記述が事実ならば、
梅毒が放置され進行した第三期のゴム腫(私は本でしか見た事ないが)
ではなかったのだろうか。
大の大人が「自由・平等・博愛」の美名の下に何人も寄ってたかって
10歳にもならない一人の子供にこのようなやり方で虐待を加え生殺しにしたかと思うと
革命も「自由・平等・博愛」も所詮は臭い茶番であり、本質は薄汚く卑しい人間の
隠れ蓑に過ぎなかったとしか思われない。
この子供が国の王位継承者であろうとなかろうとそんな事は問題ではない、
子供は子供、ただの子供である。
オスカル様もがっかりな結末。
ベルばらのマンガ本編よりもその後日談の方がずっと興味深くて
時間もつい読み進んでしまった。


何だか18世紀の大昔の話のような気がしない。
ルイ17世が受けて死んだと同様の扱いを実の親から受けて
悲惨な死に方をした子供達の事件を現代にいる私達は嫌でも日常的に見聞きしている。
何だか暗澹たる気分になった。

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