心の病を持つ求道者の一人が私に本を返してきた。
塩野七生著のローマ人の物語の一冊、
『悪名高き皇帝たち』の巻だ。
あれ、
この本、私、貸したっけ?
文庫本でずらっと揃えて持っているんだけど。
この本、私のかい?
相手が借りて読み終わったので返すと言うが
しばらく思い出せず考え込む。
ああ。
そうか。
まだ文庫化されない早い時期に新刊本として
ハードカバーのをこの一巻だけ買ったのだった。
この巻が、
使徒言行録を読む時の時代背景を知る上で参考になるとか
福音書の時代の皇帝は誰だったかとか、
いつものマニアックな聖書オタク話を
立ったままでしばらく話し込んだ。
この人の心の傷を考えるに、
求道とか受洗とか、信仰を云々する事よりも、
教会で誰かと楽しんでお喋りする事の方を優先している。
牧師先生夫妻もそのような方針で関わってきた。
教会員よりも熱心に、毎週教会に通って来るが、
家族の問題で精神に大打撃を受けているので
なかなか人と対話が成立しない。
迂闊に上っ面な声かけをすると傷を広げかねない。
だから牧師先生も慎重に関わって、
決して強く受洗を勧めたり受洗へと追い立てたりはして来なかった。
そんな牧師先生の方針を批判する人達もかつてはいたが、
私はこの人にとっては牧師先生の考え方の方が良いと思う。
ただ、聖書の内容について
物凄く深く突っ込んだ質問をしてくる人なので
教会員の知識がついていけずに引いてしまうらしい。
一緒に聖書オタクになって楽しむ事が出来ないと、
会話が続かなかったりする難しさ。
私はあまりそういう実感無いんだけどな。
私が土日休みのパート労働をしている間に、
聖書だけでなくもう少し突っ込んだ話を聞けたらと思う。
毎週日曜日に来て、
好きな話題で話し込んで夢中になったり笑ったり
そういう事がこの人にとって大切なのだ。
この人が教会に来始めた頃は
教会員と聖書や他の本の話に興じ、冗談を言って笑うなど
想像すら出来なかったと皆が言う。
私はその一番大変だった時期を知らない。
私がここに来た10年前に既にその人は教会にいて、
聖書を持って来て開き、唐突な質問を振ってきた。
そこから対話が始まった。
そうか。
私がここに来てもう10年過ぎたのか。
塩野七生著のローマ人の物語の一冊、
『悪名高き皇帝たち』の巻だ。
あれ、
この本、私、貸したっけ?
文庫本でずらっと揃えて持っているんだけど。
この本、私のかい?
相手が借りて読み終わったので返すと言うが
しばらく思い出せず考え込む。
ああ。
そうか。
まだ文庫化されない早い時期に新刊本として
ハードカバーのをこの一巻だけ買ったのだった。
この巻が、
使徒言行録を読む時の時代背景を知る上で参考になるとか
福音書の時代の皇帝は誰だったかとか、
いつものマニアックな聖書オタク話を
立ったままでしばらく話し込んだ。
この人の心の傷を考えるに、
求道とか受洗とか、信仰を云々する事よりも、
教会で誰かと楽しんでお喋りする事の方を優先している。
牧師先生夫妻もそのような方針で関わってきた。
教会員よりも熱心に、毎週教会に通って来るが、
家族の問題で精神に大打撃を受けているので
なかなか人と対話が成立しない。
迂闊に上っ面な声かけをすると傷を広げかねない。
だから牧師先生も慎重に関わって、
決して強く受洗を勧めたり受洗へと追い立てたりはして来なかった。
そんな牧師先生の方針を批判する人達もかつてはいたが、
私はこの人にとっては牧師先生の考え方の方が良いと思う。
ただ、聖書の内容について
物凄く深く突っ込んだ質問をしてくる人なので
教会員の知識がついていけずに引いてしまうらしい。
一緒に聖書オタクになって楽しむ事が出来ないと、
会話が続かなかったりする難しさ。
私はあまりそういう実感無いんだけどな。
私が土日休みのパート労働をしている間に、
聖書だけでなくもう少し突っ込んだ話を聞けたらと思う。
毎週日曜日に来て、
好きな話題で話し込んで夢中になったり笑ったり
そういう事がこの人にとって大切なのだ。
この人が教会に来始めた頃は
教会員と聖書や他の本の話に興じ、冗談を言って笑うなど
想像すら出来なかったと皆が言う。
私はその一番大変だった時期を知らない。
私がここに来た10年前に既にその人は教会にいて、
聖書を持って来て開き、唐突な質問を振ってきた。
そこから対話が始まった。
そうか。
私がここに来てもう10年過ぎたのか。