ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

2009-01-24 19:10:00 | 音楽
自分よりもずっと年上の従姉妹達が
昔よく聴いていた古い歌を聴くと
その頃の記憶が甦って来る。


ビージーズの
「マサツューセッツ」や「ホリディ」
サイモン&ガーファンクルの
「スカボローフェア」「サウンドオブサイレンス」
その頃ヒットした歌を
中学生や高校生の従姉妹達の横で
6、7歳だった私はそれらの歌を
デタラメの英語の歌詞で歌っていた。


歌詞の意味は全くわからなかったが
聴くと妙に感傷的な気分を誘発させる
それらの曲が好きで
私はよく聴き、よく歌っていた。
デタラメの英語で。


感傷的な旋律に誘発されて甦って来る
60年代の終わりから70年代の初めの時代の
音楽と映画と
まだ
コミックという名称で呼ばれていなかったマンガが
子供だった私の目に
生き生きと燦然たる輝きを持っていた時代。


幼稚園や小学校の帰り道、遊んで騒いで
外で遊び疲れると
まだ親の帰って来ない自宅に戻って
感傷的で美しい旋律を一人反芻し鼻歌を歌いながら
机に登った。


父の本棚からカメラ雑誌を内緒で引っ張り出すと
色と影と空間と生き物や物体と残像と共に
それらに混じって
爆弾の雨が降るベトナムや
飢餓のビアフラや
水俣病やあらゆる公害病に蝕まれた人々の生活が
溢れていた。


私は飽きもせず繰り返しページを捲り、
写真に大半占められた重たい月刊誌を
机の上に次々と山積みにした。
文字はろくに読めずに写真を眺めるだけ。


記憶の中で
音と視覚は一体になっている。


ずっと後になって成人した私は
友達と音楽の話をした時、
話が脱線して
そんな昔の思い出話を話した事があった。


私と同年代の友達は
「あの時代の事は思い出したくない。」
と言った。


私が鼻歌を歌いながら
父の写真雑誌を眺めていたその同じ頃、
宣教師の子供である友達は家族と共に
ベトナム戦争の最中で徴兵のある母国に
一時戻っていた。


自分達の信仰によって
反戦と兵役拒否の立場を言い表し守ったため、
母国での彼らへの風当たりは厳しく、
友達は長い間教会仲間や家族達と共に
一軒家の一室や地下室で
息を潜めて生活していたという。


同じ歌から甦る同じ古い時代は、
私にとっては懐かしい、
感傷的な気分を呼び起こす写真の中の世界だが
この友達にとってはそうではない。


聴いて、見て思いを馳せる事と
体験する事とは当然違う。


思い出話をしてから
さらに年月が経ってしまった。
しかし今でもあの感傷的な旋律は同じ。
甦る記憶も色褪せない。