直江津海岸を散歩していると色々な人に遭遇する。夕闇迫る海岸でシャボン玉で遊ぶ若者。
シャボン玉は夕陽に映えて、色も形も変幻自在。
直江津海岸を散歩していると色々な人に遭遇する。夕闇迫る海岸でシャボン玉で遊ぶ若者。
シャボン玉は夕陽に映えて、色も形も変幻自在。
いつもの様に直江津海岸に夕方の散歩に出かけると、目の前に広がる風景がちょっと違った。そこには薄暮の中、鮮やかな明かりを灯して、キッチンカーが あったからだ。背後の陽は落ちて茜色に染まった空には、漁り火と貨物船の明かりがあった。
店主とブルームーンビール(800円) 財布の持ち合わせのなかった私は、店主に御馳走していただいた。(感謝です)店主は神奈川出身で妙高市に移住して来たのだという。
店の名は「smile ice cream 妙高」 普段は新井のロッテスキー場での営業が主らしいが、今回試験的にこの直江津海岸での限定営業を決めたらしい。
町家を従えてキッチンカー
次の日も午後5時半から営業するということで、再び訪れてみた。
アイスクリームも800円
夕映の中で、キッチンカー。スマイルアイスクリームインスタグラム ←クリック
群馬県赤城町彩色双体道祖神。赤城インター近くにある。
この双体道祖神はアベック地蔵尊とでも言った方がいいにかもしれない。赤い白毫相に、眉に墨。目にはアイライン。唇には紅を差し、朱の衣を纏う。四十五年前の写真と資料をもとに訪ねたのだが、彩色はその当時よりしっかりと着色されていたから、定期的にメンテナンスしているのだろう。この様な彩色双体道祖神は長野県では多く見られるが、群馬県では珍しい。
新潟県十日町 三体道祖神。建立不明
双体道祖神に興味を持ってから、初の三体道祖神。端正な顔の頭上に、狐の冠を被った美しい仏石である。
新潟県十日町松代 孟地
上杉謙信が通ったという古道にある。双体道祖神を覆った苔は、緑衣の様。
新潟県十日町松代 芋島 建立年 天保4年5月(1833年)
切り通しの斜面にあり、足場悪く正対できないため、仰ぎ見ての撮影になった。
能面刻みの面は苔に身を委ね、やや大振りの端正な唇には薄紅を差す。
撮影中、この愛のカップルは妙に艶かしく、今にも言葉を発しそうだった。
上越市安塚区双体道祖神 須川集落北側
須川は信越トレールの最北側にある。菱岳を要し、その山域を利用してキューピットバレースキー場 ←クリックがある。道祖神の背後に残雪の菱岳。
須川の双体道祖神が上越にある四体目の道祖神。建立年は不明だが珍しい唐様のデザイン。須川集落の三叉路に鎮座しているが、劣化が進んでいるから屋根がけなどが必要かもしれない。
右、米山への道標である。ここから平沢をへて米山の最後の登山口、水野に至る。
平沢の道祖神が見つかったことに気を良くし、先ほど困惑した三叉路に戻り左側の道を走ってみた。2kmほどの下りを注意深く降りていくと、視界が開け、水田が広がった。降り終えたあたりに目立つ道標があった。右は米山、左は栃窪とあった。栃窪は買っては温泉宿があったらしいく行ってみたが、廃墟となっていた。
小萱集落から林道を進むこと1kmほど。切通の土手の上に双代道祖神。大抵の石仏は移動されていることが多いが、ここの道祖神は建立時期からのようだ。
緑なす檜林のなかの林道に
ナビに従い国道に再び戻り、双体道祖神が崖際にあるとされる小萱に。春先に来た時にはその存在を確かめることはできなかったが、今回は多くの時間を割いても、その存在を確かめようと気合が入っている。春先は雪があり、集落の方に出会うことがなかったが、今回は幸いなことに、集落の詳しい方に出会うことができ、出会うことができた。小萱の双体道祖神は集落の奥、今は無き大平集落へと続く林道の途中にあった。
また資料にある崖とは、霧通しの土手のことであった。
双体道祖神の手前にあった供養塔。
こちらの道標(記名に弘化元とあるから1843年)も道祖神の手間への2叉路にあった。左、やまえとあるから米山であろうか。右、かしハさきと読めるがどうだろう
小萱集落方面を見る
ふくよやかな顔の双神 建立年月日は記名はないが、道標には弘化元(1843年)とあるから同じころにできたものと想像されるがどうだろう。石の素材が違うのだが。
さて米山道を巡って粛々と建てられた上越市内の双体道祖神3体はここまでで、この先柏崎市には大平、蕨野、小杉と双体道祖神が建てられていたのだが、大平、蕨野は廃集落となり、道祖神は柏崎の博物館に収納されている。