上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

冬から春の旅へ,3月

2012-03-02 13:51:10 | 瞽女街道を行く

 2月,3月は矢代方面に出向き,いずれも長逗留の滞在だったらしい.2月に回れなかった地区を3月に回るのが恒例で,現在の上越市,中郷区や,妙高市付近を回った.戦前は高田を出た瞽女達は毛細血管のように網羅された瞽女道を歩き,その沿道にある多数の宿をたどりながら,その道程を遊芸していたのであるが,粒さに歩いてみると,近年に入ってからの多くは,ほとんどの宿はスルーし,特定の宿だけに泊まって動いていた結果が出ている.つまり,瞽女道沿いに点在した宿の一部だけしか,利用していないのである.これは一体どういう理由からであろうか!
 このような状況は多くの瞽女街道にも共通することであるから,理由は限定的と思われる.このことは後に述べることにして,まずは高田から矢代方面(現在の中郷区,妙高市)への瞽女街道をたどってみよう.

 高田の中心街を抜け南葉山麓沿いを走る,現在の県道63号線を南下する.この道は標高1000mあまりの南葉山麓の北側,雪は多い.最初の宿灰塚は高田から10kmあまり.宿の屋号は「佐藤」.この辺りは佐藤姓は多く,その上,近年は宿をやっていないので,探すのには難儀したが,なんとかたどりついたものの,70代の家主は父か祖父の代で全く分からないとのことである.このあたりを歩くと,蔵の数が多いのに驚かされる.かっては林業で栄えたのだろうか,コテ絵の扉が至ところに残っていた.

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上馬場集落を抜け,雪森へ.中郷区雪森には瞽女宿「源七」がある.R18号,乙吉交差点からもわずかな距離である.ここには7月頃にきたとのことで良く覚えておられており、中島ご夫妻にお話をうかがった.

 

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 中島さん宅も大きな家で,やはり蔵がありコテ絵の扉があった

 

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 沿道の子供達.瞽女達もこんな元気な子供達の歓声を聞きながら宿への道を急いだのだろう.