上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

53年ぶりの東尋坊

2022-04-15 23:51:38 | おりん関係

東尋坊がおりんと関係はないだろうが、樹木希林と岩下志麻が老婆(原泉)に目の見えぬ孫を瞽女にと頼まれるが、次の日、老婆と孫二人は崖から投身自殺してしまう。その懸崖が東尋坊の崖なのか、佐渡島のどこかは分からないが、帰り道に立ち寄った。

訪れたのは53年前の1月。学割で北陸周遊券を買い、金沢から白川郷に入ろうと思い、金沢まで来たのだが、金沢からは大雪で名古屋までのバス便は不通と聞かされ、兼六園を見、当時は学生に人気だったユースに電話したが、最初は空いているからとの対応だったが会員ではないと知ると断られてしまった。(ユースホステルとは困った若者の味方と理解していたのだが、それ以来どんなに困っても2度と利用することはなかった)仕方なく金沢市内の深夜映画館で夜を過ごし、朝一の電車で東尋坊を訪れた。自殺の名所として名を馳せていた冬の東尋坊は、その期待には答えるられる、風情だった。睡眠不足を補うべく、東尋坊の崖下で、仮眠をした記憶がある。その東尋坊に53年ぶりに足を踏み入れてみると、なんとも土産屋ばかりが目につき、東尋坊の陖崖もただのつまらない崖にしか見えなかった。

崖までの通路にある土産物屋にあった河童。

1970年1月撮影の東尋坊 53年ぶりにスキャンしての画像

 

1970年1月の白川郷全景

金沢からの道を絶たれ、名古屋から郡上を北上すればと教えられ、なんとかたどり着いた白川村

バスに乗った時に大雪で戻れなくなるといわれたが、なんとか行き着いたが、予報では2、3日は振り込められるといわれ、合掌民宿の客二人は、私が乗ってきたバスで帰ってしまった。正月だというのにこの村には観光客は私一人だった。しかし次の日には晴天となり、懐具合の悪い私は胸を下ろしたものだが、雪の中の葬儀やら、20畳の広い部屋に寝たりと、記憶に残る貴重な体験をしたと思っている。

 

 

画像は1970年1月5日頃

 


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