尚monaさんの自然日記

自然観察の写真。猫のこと。おいしい食べ物のこと。

キンクロハジロの池で

2023-03-24 23:43:29 | 歴史

  こんばんは、尚monaです。

  3月12日(日)、午前中は公園協議会の作業日で、竹林整備で汗をかきました。

  午後からいつもの湿地へ行き、

  キンクロハジロの池へ。

  

  大きな池に、

  

  キンクロハジロと

  

  ホシハジロのペアがいるだけでした。

  

  顔を

  

  後ろに向けて、お休み中。

  

  頭でっかちに見えます。

  

  お目覚めのようです。

  

 

  オスもメスも、

  

  お休み中。

  

  ホシハジロ。

  

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雪にテンション上がります。

2022-02-24 23:01:38 | 歴史

  こんばんは、尚monaです。

  2月12日(土)、

  

  今年初めて、

  

  和泉の山奥へ、

  

  行って見ました。

  

  何と、そこは銀世界。

  

  大阪のおじさんは、雪にテンション上がります。(雪国で大雪でお困りの方には申し訳ないです)

  

  

  七越峠

  

 

  鍋谷峠大阪側。

  

 

  鍋谷峠和歌山側。

  

  スタットレスタイヤ、今年初めての活躍でした。

  

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久々の京都。 8

2016-11-06 22:29:30 | 歴史

  こんばんは、尚monaです。

  10月29日、ある旅行会社のツアー

  「京都ぶらり古地図ウォーキング」の第1回

  「織田信長を歩く~本能寺の謎」に参加してきました。

  ツアー終了後、今宮神社を参拝し名物のあぶり餅をいただきました。

  最後に、世界遺産の下鴨神社に行きました。

  

  正式名称を「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」といいます。

  

  

  下鴨神社は、京都を流れる鴨川と高野川に挟まれた三角地帯に位置します。

  神社は2つの川の合流点から一直線に伸びた参道と、その正面に神殿、という直線的な配置になっています。

  

 

  最後に、河合神社に参拝しました。

  

  河合神社のご祭神は、女性の守護神である玉依姫命が祀られています。

  古くから女性の美の神様として信仰されており、安産・育児・縁結び・学業・長寿の神様ともいわれています。

  

  河合神社の絵馬は、日本古来の柄鏡の形をしている珍しい「鏡絵馬」です。

  顔の描かれた表面は、自分の顔と見立てて、自分のメイク道具で願いを込めて化粧します。(化粧品がなくてもクレヨンが用意されています。)

  裏面には、願い事を書きます。

 

  織田信長に関連した、神社よお寺を歩きながら、巡りました。

  ご朱印もそれぞれいただき、勉強になる一日でした。

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久々の京都。 7

2016-11-05 22:47:55 | 歴史

  こんばんは、尚monaです。

   29日、ある旅行会社のツアー

  「京都ぶらり古地図ウォーキング」の第1回

  「織田信長を歩く~本能寺の謎」に参加してきました。

  ツアーは、総見院で解散となりましたが、近くの神社を訪ねてみました。

  今宮神社。

  

  かつて、この地には平安遷都以前から疫神を祀る社があったのですが

  平安時代後期に入ると、町中に疫病や災害が流行。

  それを鎮めるために新たな社が創始され「今宮神社」と名がついたそうです。

  

  5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院は、西陣の八百屋の娘「お玉」として生まれました。

  お玉の方は、江戸城大奥へ勤めに行くことになり

  そしてそこで、3代将軍家光に見初められ、側室となり男子を産みます。

  やがて、その息子が将軍になってからは、将軍の生母「桂昌院」として絶大な力を持つようになりました。

  桂昌院となってからも故郷西陣への想いは篤く、

  応仁の乱で荒廃していた今宮神社(西陣の氏神)の復興に努めたそうです。

  その縁から今宮神社は、玉の輿にご利益がある神社となったそうです。

  

 

  ちょうどおやつ時になりました。

  いい匂いに誘われて、あぶり餅をいただきました。

  

  浴びり餅は、祭事で用いられた竹や供え餅を、参拝する人々に厄除けとして提供したのが始まりとされています。

  今宮神社の東門の門前に参道をはさんで、2軒の店がありました。

  

  親指大にちぎった餅にきな粉をまぶし、竹串に刺したものを備長炭であぶって、白味噌のたれをかけています。

  常に周囲に香ばしい匂いを漂わせ、客の注文を受けてから餅をあぶり始めるそうです。

  おいしくいただきました。

  

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久々の京都。6

2016-11-04 23:08:05 | 歴史

  こんばんは、尚monaです。

   29日、ある旅行会社のツアー

  「京都ぶらり古地図ウォーキング」の第1回

  「織田信長を歩く~本能寺の謎」に参加してきました。

  大徳寺の山門

  

  この山門は、千利休(せんのりきゅう)切腹の原因になったと言われています。

  当初、一階部分だけが作られて放置されていた山門に、利休は2階部分「金毛閣(きんもうかく)」を加えて完成させました。

  しかし、その二階に諸仏とともに雪駄をはいた利休の木像を納めたために、

  豊臣秀吉の怒りを買ったのです。「この秀吉に股下を通らせる気か!」というわけです。

  利休は山門完成から2年後に切腹することになったのですが、真相はわかりません。

  

 

  三玄院

  

  

  三玄院は、1589年(天正17年)、浅野幸長、石田三成、森忠政による創建です。

  幸長と三成は豊臣政権の五奉行、忠政は織田信長とともに本能寺で最期を遂げた森蘭丸(成利)の弟です。

  

  開祖は春屋宗園です。

  春屋は、今井宗久、千利休などの茶人と交わり、小堀遠州、古田織部、薮内剣仲、長谷川等伯などは春屋に禅を学びました。

  墓地には、春屋、三成、忠政、剣仲、織部の墓があります。

 

  最後に、総見院です。

  

  「大徳寺」で、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を盛大に行い、その菩提寺として「総見院(そうけんいん)」を建立しました。

  本堂には秀吉が奉納した木造織田信長公坐像(重要文化財)が安置されています。

  慶派の仏師、康清によって作られました。

  2体彫られたうちの1体は、葬儀の際に荼毘にふされますが、

  香木によって作られたその木像の薫りは洛中一帯に広がったと言われます。

  

  現地集合、現地解散のこのツアーは、ここで終わり解散となりました。

  信長の縁の神社や寺を巡る、ウォーキングツアーでした。


  

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