まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

なぜ泣いているの?

2019年02月23日 | 日記

まさかそんなことは・・・
思いつつ見上げてよく目を凝らせば
桜の木の先端で蕾がふっくらと膨らみ始めていますよ。
うーん、決してトチ狂ったわけではなく
来月の後半にはもう桜が咲き始めるそうですから
不思議ではないのかも知れません。

昨日は不思議な光景を目にしました。
通勤のサラリーマンたちが駅への道を急ぐ午前8時過ぎでした。
その流れに逆行するように歩いて来る一人の女性。
コートを着たロングヘアの若い女性です。
髪に隠れて最初は気づかなかったのですが肩を震わせて泣いています。
忍び泣くのではなく声を上げてしゃくりあげています。
そんな光景は見たことありませんから虚を突かれたような驚きでした。
電信柱の陰で立ち止まってしばらく泣いたかと思うと
ふたたび泣きながら歩き出します。
傍らに男性でもいればとんだ「愁嘆場」でしょうが
若い女性がたった一人で、朝っぱらから泣きながら歩いている。
いったい何があったと言うのでしょうか。
気づいたサラリーマンの何人かが一瞬立ち止まっていましたが
誰もが訝し気な表情で振り返っていました。

どうして泣いているの?何があったの?

思わず聞いてみたい衝動にかられましたが
そんな興味半分の声など激しくはねつけるような
迫力のある泣きっぷりでした。
私の貧弱な想像力など太刀打ちできない存在感でした。
うーん、世の中いろいろあるんだなあ。
としか言いようがありません。
桜の蕾ほのかにもふくらみ始めたというのに・・・

 

 


朝は朝星、夜は夜星

2019年02月22日 | 日記

朝六時、出勤時間です。
以前はまだあたりが真っ暗でしたが
季節とともに夜明けも少ずつ早くなって来ました。
それでも空には月が出ていますねえ。
私はこの夜が明けきっていないこの時間の静けさが大好きです。

朝は朝星、夜は夜星・・・という言葉があります。
昔の人は朝もまだ星が残る頃から働き出し
夜も星空を見上げながら遅くまで働いたという意味でしょうか。
江戸時代のお百姓さんや職人さんたちは
そうやって一日中、身を粉にして働いたのでしょうね。
私は職人でもお百姓さんでもありませんが
それに近い暮らしをしています。

軽いアルバイトのつもりで始めたマンションの管理人が
今では本業のようになって来ました。
こんなはずではなかったのにと思いながらも
日々、忙しく仕事に追われています。
管理人という仕事には「ここまで」という明確な線引きがありません。
ゴミ出し、巡回、玄関や各階のの清掃、住民への応対。
昨日も事務所フロアの共用トイレが突然詰まって汚水があふれ出し
トラブルへの対応と処理が大変でした。
結局、業者を呼んで修理をしてもらうしかなかったのですが
水浸しのトイレを前に泣きそうでした。(笑)
それでも空き時間を盗んでせっせと原稿書きに精を出すところは
まさに根性だと自分で自分を褒めたくなります。

五反田駅前の夕暮れです。
そろそろ空に一番星が出て来る時間かも知れません。
五反田暮らしもそろそろ一年です。
以前はこの時間からよく飲みに出かけたものですが
最近はそんな元気はありません。
クタクタに疲れ切って一目散に「帰宅の人」となってしまいます。
ベランダから夜空の星を見上げながら
自宅で好きなビールを飲むのがホッとするひとときでしょうか。
朝に朝星、夜に夜星・・・
9時過ぎにはもう夢うつつの世界ですが
すっかり疲れ切ってしまって夢を見る元気もありません。





行きつ戻りつ・・・

2019年02月21日 | 日記

春を通り越して一気に初夏を思わせる陽気でした。
行きつ戻りつという言葉がありますが
この季節は「寒さ」と「暖かさ」を繰り返し
行きつ戻りつしながら少しずつ春に近づいていくのでしょうね、

もう菜の花が咲き始めています。
鉄製のフェンスを背にした風情に欠ける菜の花ですが
お年寄りがせっせと丹精していました。
そう言えば「朧月夜」という唱歌がありましたねえ。

  菜の花畠に 入日薄れ
  見わたす山の端(は) 霞ふかし
  春風そよふく 空を見れば
  夕月かかりて にほひ淡し

美しい日本語です。
聴いているだけで眠たくなってくるような歌です。
うーん、そんな季節が待ち遠しいです。

これは以前に撮った「浜離宮庭園」の菜の花畑です。
いつの年だったか・・・忘れました。
汐留の高層ビル群と不思議に見事にマッチして
個人的には「東京百景」に推薦したいぐらいの風景です。

司馬遼太郎に「菜の花の沖」という長編小説がありました。
江戸時代の廻船商「高田屋嘉兵衛」の生涯を描いたスケールの大きな歴史小説で
随所に独特の「司馬史観」がちりばめられていて
なかなか読み応えがありましたねえ。
高田屋嘉兵衛の出身地である淡路島は島の斜面が一面の菜の花畑で
それを沖から眺める風景はまさに絶景であります!

行きつ戻りつ・・・
ちょっとまどろっこしいような気もしますが
だからこそ春が来たときの喜びが大きいのでしょうね。
私の人生も行きつ戻りつだなあ・・・
などと思いながら「花粉症」の鼻水が止まりません。

 


鉄板スパゲティー

2019年02月20日 | 日記

東京・新宿の路地裏。
深夜0時から朝7頃までやっている食堂である。
とくに屋号はなく「めしや」という古びた暖簾がかかっている。
店主のこだわりを感じさせる落ち着いた雰囲気。
前々からこんなうらぶれた店で飲んでみたいと思っている。

常連客は「深夜食堂」と呼ぶ。
壁のメニューは名物の「豚汁定食」だけだが
客が食べたいものがあればマスターは何でもつくってくれる。
場末のちっぽけな食堂だが結構にぎわっている。
この大都会の宿り木のような店で
毎回、客たちの悲喜こもごものドラマが繰り返される。

マスターはこの人である。
本名、素性、経歴ともに一切不明の謎の人物である。
左目の上に「いかにも」という切り傷の跡があるがこれも謎である。
客に決してベタベタせず、といって不愛想でもなく
誰もに慕われる人徳のようなものがある。
このマスターを中心に客たちのせつなくもの悲しい
人情ドラマが毎回繰り返されるのであるが
もう一つのドラマが料理である。

この日はスパゲティーであった。
アツアツに熱した鉄板の上にのって下には卵を敷き詰めた
古き良きスパゲティーナポリタン。
懐かしさのあまり思わず涙がこぼれそうになった。
大の卵好きの私にはたまらないメニューだ。
昔はみんなこうだった。
玉ねぎ、ピーマン、ウィンナーの食感が
茹でた麺のケチャップ味と混然一体とからみあつて
ハフハフ言いながらかっ食らうのがナポリタンの常道だった。
最近のナヨナヨした「パスタ」なるものは何だ!
あんな軟弱な屁もでないような食い物はスパゲティーではない!
ああ、懐かしの鉄板スパゲティーが食べたい!
などと興奮してしまったが・・・
深夜、眠られぬままネットで「深夜食堂」を見ていたのである。



てんぷらかコロッケか?

2019年02月19日 | 日記

一度食べて下さいよと言う。
だまされたと思って食べて下さいよと言う。
ぜったいに美味しいですから!
友人はまるでセールスマンのような口調で力説する。
そこまで言うなら別に食べてもいいけど・・・

立ち食いソバ屋の話である。
結構ソバ好きだからよく利用する方かも知れない。
いろいろメニューがあって迷うが
夏場は「おろしそば」冬は「天ぷらそば」を頼むことが多い。
まあ、立ち食いだから味は知れている。
ただ、この店はうどんもちょと細うどん系で食べやすいし
つゆ加減が関西風の薄味で「天ぷらうどん」を愛用している。
ところで友人が言うメニューはあるのか?
私はそんなものをトッピングしたソバを今まで食べたことがない。
冗談じゃないよ!と言うような取り合わせだが・・・
あ、あった!メニューの左上に・・・

コロッケそばである。
関西では見たことないが東京では人気メニューだと言う。
ソバにコロッケをのせるなんて
そんな恥ずかしいハシタナイことが出来るか!
ソバには天ぷらと決まっているだろ!
コロツケがのったソバがあることは風の噂で聞いたことがあるが
食べようと思ったことは一度もない。
同じ揚げ物ではあるが和風と洋風では根本的に違うだろ!
などと散々、悪態をついてきたのだが
食べてみると意外や意外「結構イケル」のである。
コロッケが邪魔だと思ったがいい塩梅に衣が出汁つゆを吸って
ほどよく和風のソバに変身している。
うーん、コロッケそばか・・・これもななかなかいいねえ。(笑)
自分の「食わず嫌い」と頑固さと
常識に縛られている狭量の狭さを恥じたことであった。