まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

メメント・モリ

2022年09月21日 | 日記

東京都写真美術館。
五連休の最後に選んだのはここだった。
いつもなら好きな絵画展に足を運ぶのが常なのだが
これといって惹かれる展覧会がなく(残念)
以前からずっと気になっていた写真展に出かけることにした。
写真芸術には絵画にはない魅力がある。

開催中の「メメント・モリと写真」展。
副題にズバリ~死は何を照らし出すのか~とある。
メメント・モリとはラテン語で「死を想え」という意味で
中世末期、ヨーロッパでよく使われた言葉だと言う。
私がこの言葉を初めて知ったのは
写真家・藤原新也のルポルタージュ「全東洋街道」だった。
夥しい「死」があふれる写真集で圧倒された。

展覧会にも大小無数の死があふれていた。
ハンス・ホルバインやユージン・スミス、ロバート・キャパ、
戦場カメラマン澤田教一にアラーキーこと荒木経惟、
敬愛する藤原新也の作品もあった。

衝撃的な写真が並ぶ。
ガンジス川ではこうした光景がごく日常なのだ。

  ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。

写真につけられたキャプションは
人間などしょせんその程度の存在でしかないことを語る。
死ねば単なる「モノ」でしかないと語る。
だからこそ人間は自由なのだと逆説的に訴える。

ガンジスのほとりでは死体の野焼きが行われる。
これもごく日常の光景である。

  ニンゲンの体の大部分を占める水は
  水蒸気となって空に立ち昇る。
  それは、雨の一滴となって誰かの肩に降りかかるかもしれない。
  何パーセントかの脂肪は土にしたたり
  焼け落ちた炭素は土に栄養を与えてマリーゴールドの花を咲かせ
  カリフラワーを育てるかも知れない。

藤原新也の写真と一文が異彩を放つ。
「メメント・モリ(死を想え)」が「死を忘れるな」とも聞こえる。
この歳になると私にも「死」が確実に射程圏に入って来た。
覚悟はあるか?と問われているような気がする。