まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

石牟礼道子さん

2018年02月11日 | 日記

作家の石牟礼道子さんが亡くなった。
作家というより「詩人」と呼んだ方がやはりピッタリ来る。
石牟礼さんが紡ぎ出す言葉の数々は
渚でキラキラと光る貝殻のように美しい宝石だった。
終生、海とともに生きた人だった。

石牟礼さんと言えば「水俣病」である。
天草の貧しい農家に生まれ育ち、対岸の水俣に嫁いだ彼女は
文章を書くのが好きなごく平凡な主婦だった。
1959年、当時まだ「奇病」と呼ばれていた水俣病患者に出会い
激しい衝撃を売けた石牟礼さんは
以後、水俣病の悲劇を書き残すことが文学的原点となる。
私が「苦海浄土~わが水俣病」を読んだのは
確か高校二年の夏休みだった。
胸が締めつけられるような衝撃で涙があふれた。
悲しみや苦しみを表現する言葉の一つ一つに深いやさしさがあり
悲劇なのに「癒し」を感じさせる文体だった。
世に「鎮魂文学」というジャンルがあるかどうかは知らないが
その分野では間違いなく世界的名著だと思う。

水俣病は日本の公害告発運動の端緒となった事件である。
石牟礼さんは持ち前のリーダーシップから
第一次水俣病訴訟を支援する「水俣病市民会議」の発足にも尽力され
長年、患者や支援者の精神的支柱となって来られた。
と言って決して市民運動家ではない。
あくまでも文学者として、一人の詩人として
人間と自然の共生を深い視線で見つめて来られた作家である。

作家の松岡正剛が石牟礼さんの詩について
ある本の中で「持ち重りする」言葉だと表現している。
ただ単に、言葉の重さではなく
ズッシリと「持ち重り」を体で感じる言葉だと言う。
言い得て妙だと思う。
ある対談集の中で文章を書くにあたって常に心がけていることは?
と問われて石牟礼さんはこう答えている。

 「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく・・・」

思わず唸ってしまうような言葉である。
いい文章の「真髄」を一言で言い当てている。
難しいことを難しく書くのは単なる学者の文章である。
難しいことをやさしく平易に、しかも、深く書くのが作家の仕事である。
しかし、それをさらに「おもしろく」書くのは至難の技で
浅学菲才の私は途方に暮れるのだが・・・

享年90歳、心から冥福を祈りたい。