(今年6月 石巻 開成11団地 北集会所にて)
須永博士が、ここまで「詩人」として生きてこられた原動力・・・
それは、自分自身を「信じる力」でした。
今も、自分を励まし、自分をなぐさめ、自分はやれるんだと言い聞かせています。
須永博士の人生カテゴリーでも紹介してきましたが、幼いころは消極的で内向的だった性格、高校を卒業し就職したものの、自分で何かをしようとか、何かを話そうとか、なかなか上手くできずに、
まわりからも「お前はダメだ」と言われ続けるうちに、人と話すのが怖い、外にも出れない状況になってしまいました。
須永博士 20歳の頃です。
その時の状況
この状態が1年半続き、「もう生きていても意味がない」とまで、自分を追い込んでしまった中、もう生きることをやめてしまおうと思ったギリギリの時に、心から沸いて出てきた言葉、それが
「誰も助けてはくれないぞ
助けてくれる人がいるといたら、
自分自身だ」
という言葉だったそうです。
そうだ、自分という人間がいるじゃないか。
一番、自分をわかってくれる。
一緒に泣いて、一緒に笑って、一緒に努力してくれる・・・。
そのことに気づいた瞬間から、「自分さがし」の旅、「自分への挑戦」を本気ではじめたのでした。
それから、もう50年・・・。
この間、「ひとりぼっち」と一度は絶望した須永博士が、たくさんの人と出逢い、たくさんの自然と出逢い、
「自分の生き方」をみつけ、歩き続けてきた道。
「ひとりぼっち」と思い苦しんでいた20歳の自分に言いたい言葉ってなんだろうな・・・。
そんなことを思って聞いてみました。
すると、返ってきたのは、
「よくやった」
だそうです。
ここまでよくがんばってきた。
よく、あきらめないで生きてきたな。
と言ってあげたい。
あと一歩で、電車の来る線路に飛び込むところだった、絶体絶命の状況の中を、
後ろに一歩下がり、泥まみれのなかを歩いていく決断をした。
それから今までの道を思うと、
「試行錯誤」
「紆余曲折」
「全身全霊」
「真剣勝負」
「いのちがけ」
そんな人生だった。
でも今70歳、平坦な、お花が咲いているところにきた。
今でも、旅立ちの時の事は忘れていない。
暗いトンネルの中を、荒波の中を自分の信念で生きてきた。
まわりは、「お前には無理だ」「お前にできはずがない」と反対もある中を、よくあきらめないでがんばってきた。
だから、今からもこれからも、この「いのちの叫び」を、心のとげを抜いてあげられるような詩を書きたい。そっと背中を押してあげる詩を書きたい。
そう話していました。
「自分」を大切に、そして、どうにもならないほどつらい時、くるしい時に、
必ず救いの道があるということを信じ、生き続けてほしいです。
今年3月10日に、石巻のあとりえDaDaさんで書いた詩です。
「生きて応援してくれる人がいます
天国で応援してくれる人がいます
一番強く
あなたを応援してくれる人は
あなたが愛した人が
“あなた 負けるな”と
応援してくれています」