カフェで新聞を開くと、「あら、ベトナム語の新聞が読めるの」?などと女の子が声を掛けてきました。少々鬱陶しいタイプの子なので「写真見てるだけだよ」と素っ気無く答え、ページを捲っていると、「普通教育で7年間学んでも何故英語が話せないのか?」との記事が目に入りました。ホーチミン市はベトナムの中でも最も英語に触れる機会が多く、高校卒業試験の外国語の点数も高いのに、との書き出しです。「高校三年生の86.8%が英語での簡単な日常会話も交わせない」、「教科書は1980年に編修されたもの」との小見出しはどうにか読めました。
日本でも小学校から英語教育を導入するとか、それより日本語をしっかり学ぶべきだとかの意見が交わされてるそうですが、どうなったのでしょう。どっちにしても言語を通してコミュニケーションをはかるということ、他人と関係を持つということの意味を掘り下げて考えて欲しいものです。言語や文化の異なる人々と関係を持つということが外国語学習の基本ではないのでしょうか。学校やクラスの中でいじめが起きるようならば、そもそもその前提に欠けているということのように思えます。会話だけなら話そうとする意志が強ければ間違った文法を使ってもそこそこ通じるでしょうし、会話の最中に前置詞の使い方に迷ったりしてたら、それこそ言いたいことも言えなくなってしまいます。中途半端な知識は持たない方がかえって喋れるということもありそうです。
ベトナムに進出した日系企業では、英語にするか日本語で通すかの2つのタイプに分かれるようです。即戦力の外国語能力の高いスタッフを多く集めるには英語のほうが便利でしょうし、日本人駐在員が英語での仕事に慣れているなら尚更です。また、技術的な問題を含め日本語の概念が重要だったり、日本人の出向者が多いような場合は現地スタッフへの日本語教育が重視されたりもしてるようです。日本語の基礎的な学習は半年間集中して取り組めば可能です。日常的な会話を交わすこともできるようになります。その後は本人のモチベーションと環境の問題です。日系企業への入社を前提に高卒者100人が半年間の日本語教育を毎日受けた場合、90%以上が必要なレベルに到達するようです。自動車の運転免許を取得する時間よりは長いかも知れませんが、必要な知識を身に付けるという意味では似たようなものです。
この基礎的な学習の後で本当に身に着く学習ができるかどうかが問題です。おそらく80%ほどの人々が脱落し、折角学習したことも時と共に忘れる一方なのではないでしょうか。個々人のセンスというよりは、主要には接する日本人の問題だろうと思います。工場の中で日常的に日本人と接していても日本語でコミュニケーションを取ろうという気が失せたらお終いです。如何に会社が従業員の日本語学習のために予算を割いたとしても、尊敬に値しない人々の言語を学ぶ気にはなれそうもありません。まぁ、そういう意味で僕の周りには日本語を覚えようとするベトナム人ができないのでしょう。
日本でも小学校から英語教育を導入するとか、それより日本語をしっかり学ぶべきだとかの意見が交わされてるそうですが、どうなったのでしょう。どっちにしても言語を通してコミュニケーションをはかるということ、他人と関係を持つということの意味を掘り下げて考えて欲しいものです。言語や文化の異なる人々と関係を持つということが外国語学習の基本ではないのでしょうか。学校やクラスの中でいじめが起きるようならば、そもそもその前提に欠けているということのように思えます。会話だけなら話そうとする意志が強ければ間違った文法を使ってもそこそこ通じるでしょうし、会話の最中に前置詞の使い方に迷ったりしてたら、それこそ言いたいことも言えなくなってしまいます。中途半端な知識は持たない方がかえって喋れるということもありそうです。
ベトナムに進出した日系企業では、英語にするか日本語で通すかの2つのタイプに分かれるようです。即戦力の外国語能力の高いスタッフを多く集めるには英語のほうが便利でしょうし、日本人駐在員が英語での仕事に慣れているなら尚更です。また、技術的な問題を含め日本語の概念が重要だったり、日本人の出向者が多いような場合は現地スタッフへの日本語教育が重視されたりもしてるようです。日本語の基礎的な学習は半年間集中して取り組めば可能です。日常的な会話を交わすこともできるようになります。その後は本人のモチベーションと環境の問題です。日系企業への入社を前提に高卒者100人が半年間の日本語教育を毎日受けた場合、90%以上が必要なレベルに到達するようです。自動車の運転免許を取得する時間よりは長いかも知れませんが、必要な知識を身に付けるという意味では似たようなものです。
この基礎的な学習の後で本当に身に着く学習ができるかどうかが問題です。おそらく80%ほどの人々が脱落し、折角学習したことも時と共に忘れる一方なのではないでしょうか。個々人のセンスというよりは、主要には接する日本人の問題だろうと思います。工場の中で日常的に日本人と接していても日本語でコミュニケーションを取ろうという気が失せたらお終いです。如何に会社が従業員の日本語学習のために予算を割いたとしても、尊敬に値しない人々の言語を学ぶ気にはなれそうもありません。まぁ、そういう意味で僕の周りには日本語を覚えようとするベトナム人ができないのでしょう。
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