常識について思うこと

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一太刀の重み

2009年05月25日 | 武術

スポーツのひとつとして「剣道」があります。私は、これをまったく否定するつもりはありません。「剣道」を通じては、いろいろなものを学ぶことができるでしょうし、それに携わる方々は、それぞれの信念や思いをもって、関わっていらっしゃるのだろうと思います。またスポーツには、健全な青少年の育成のみならず、大人たちの趣味や楽しみとしての効用も大きく、そうした観点において、大変意義があるのだろうと考えます。

ただ竹刀を使うような、いわゆるスポーツとしての「剣道」を持ってして、命をかけた真剣での技量や優劣を決することができると考えるのは、いささか問題があるような気がしてなりません。

単純な話、真剣は鉄でできており、竹刀とは比べ物にならないほど重いのです。「剣道」では、打ち込んだ後に、すかさずその竹刀を元の位置に戻すことができますが、真剣ではそうはいきません。構えた真剣を振り上げてから振り下ろすまでには、それなりの時間がかかりますし、さらに振り下ろしきってから、真剣を元の位置に戻すまでには、竹刀とは比較にならないほどの時間と労力を要することは、容易に想像できるでしょう。

このように、振り下ろす動作やそこから元の構えに戻るまでの動作に時間がかかってしまう真剣を使って、自らの生命を賭けなければいけない、文字通りの真剣勝負をしなければならないとなれば、それは相当慎重でなければなりません。つまり、相手に一撃を加えるということは、自らにそれ相応の隙を作るということと同義であり、真剣勝負で勝つためには、原則として一撃必殺で相手を倒さなければならないということなのです。こう考えると、むやみに剣を振るってはならないということが、ある程度、理解できるのではないかと思います。そしてまた、真剣勝負における強者とは、一撃で相手を倒す術を心得ている者であると考えられるでしょう(「抜かせてはならぬ最強の剣」参照)。

ただし、その必殺の一撃を繰り出すということは、あくまでも「隙を作る」ということと紙一重の関係にあります。私としては、そうした真剣の勝負における紙一重の世界のなかで、必殺の一撃とは、相手の攻撃を受ける防御から生まれてくるのではないかと考えます。(詳細について、イラストで上手く描ければよいのですが、その才能がないためきちんと表現できません。申し訳ありませんが、とりあえずは「正中線を保つことの重要性」をご参照ください。)

ところで、真剣での勝負について、このように整理してみると、剣と剣とを激しく打ち合わせる「チャンバラ」が、どうして成り立つのかということについて、疑問に思われる方がいらっしゃるかもしれません。もし、こうした疑問を持たれる方がいらっしゃるとするならば、その方は、真の意味での「武」を深く理解されている方かもしれません。つまり、一撃必殺の技を持ち合わせている達人であれば、何度も剣を交えるような戦い方、「チャンバラ」はしないはずであると理解できているかもしれないからです。私としては、こうした疑問や指摘が、真剣勝負における剣の本質を突いたものであると考えます。そして、そうした視点から導き出される私なりの結論は、真剣勝負における「チャンバラ」とは、一撃必殺の技を持ち合わせていない者、真の強者ではない者同士の斬り合いということになるだろうということです(あるいは、一撃の重みについて、真剣ほど考えなくてよい竹刀での勝負なら、「チャンバラ」は成立するということかもしれません)。

真剣勝負では、一太刀が大変重いのです。本当に真剣を扱う者は、むやみに剣を振るうことがないように気をつけなければならないということでしょう。

また、真剣勝負とは、単に物理的な「真剣」を使った勝負だけを指す言葉ではありません。日常生活のなかで「真剣勝負」、「真剣み」、「真剣な・・・」という言葉がよく使われているとおり、「真剣」は私たちの日常に溢れているのです。その「真剣」のひとつは、私たちが普段使っている言葉ではないかとも考えます。言葉は、人間と人間とを結び付ける役割を果たしており、それは時に、精神的な意味でとてつもない武器になり得ます。もし、一太刀の重みを知っているとするならば、私たちは言葉が持つその重みをきちんと認識した上で、慎重に使っていきたいものです(「分からないことは言わない」参照)。

「真剣」に生きていくとは、そうした「一太刀の重み」を知ることではないかと思うのです。

《おまけ》
「侍戦隊シンケンジャー」は、シンケンレッドがカッコよくて大好きなのですが、稽古のシーンが、きまって竹刀なのが残念でなりません。そもそもシンケンジャーなのだから、稽古も真剣(譲って木刀)にしてくれたらと思うのです。主題歌も「チャンチャンバラ♪♪、チャンバラ♪♪」という部分で、記事本文のような問題意識から、「えぇ~。シンケンジャーなのに、チャンバラなのかぁ~」などと思ってしまうのです。まあ、元々子供を相手にしているものだし、子供が真似をして真剣でも振り回したがったりしたら問題でしょうから、仕方がないことなのでしょうけどねぇ・・・。

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