常識について思うこと

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ニュースはさらりと見る

2009年06月30日 | 社会

7月から新しいアニメが始まります。そのなかには、続編のような作品もあるので、そういう場合には、一応きちんと前作を見ることにしています。そんなわけで、最近、見ているのが「狼と香辛料」です(「狼と香辛料Ⅱ」が始まるのです)。

「狼と香辛料」では、中世ヨーロッパのような世界のなかで、行商人・ロレンスと狼神・ホロが、共に旅をしていくのですが、この二人の会話がとても楽しめます。お互い何となく話をしている感じなのですが、それが非常に知性に富んでいるというか、知的な匂いがして心地良いのです。現実世界においては、テレビのようなマスメディアを通じて、知識人のように振舞われる方々が、それらしい話をされたりしますが、そうした内容よりも格段に面白いですし、知的な感じがするのです。

マスメディアで語られる政治、経済等、比較的堅いテーマの話は、その雰囲気から、それらを見てこそ、自らの知的レベルが維持されると思われる方々も多いと思います。それはそれで、間違ってはいないと思いますが、けっしてそれだけでもないでしょう。差し迫っている問題について、限られた枠組みのなかで、限られた議論しかできていない時、その外側の世界を知らずして展開されているそれは、むしろ「迷える子羊たちの嘆き」のようなものでしかありません。無意味であるとは言いませんが、それほど取り立てて高尚だったり、レベルが高いと言う必要もないでしょう。

私としては、ニュースについても同じようなものを感じます。バラエティ番組が氾濫しているなかで、「せめてニュースでも見て賢くなろう」という感覚も分からないではないですが、分野を問わず、ニュースを見たから知的レベルが上がるというような単純な話でもないと思います。

ニュースの場合は、現状からの発展や変更点をまとめて伝えることが多くなります。これはこれで、意味があることですが、見方によっては、「まだそこか」とか、あるいは「そっちに行っちゃったか」というようなかたちで、未来型に辿り着いていないことへのフラストレーションばかりが積もることにもなるでしょう(少なくとも、私の場合はその連続です)。

この世界は、複雑な計算では導き出せない事象で溢れています。それは時に、カオスという言葉で表現されたりします。カオスの読み解き方については、本ブログでも既に取り上げている通りです(「カオス世界の読み取り方」参照)が、上記の未来型というのは、そのカオス世界における大きな「チェックポイント」のようなものだと考えればよいでしょう(右図参照)。こうしたカオスの流れのなかで、ひとつひとつのニュースは、現状が「ここまで来た」ということを教えてくれはしますが、必ずしも、その先の未来を指し示しているわけではないのです。何故なら、それらはさらに互いに干渉し合いながら、計算できない動きを繰り返しつつ、時間と共に未来に向かって進んでいくからです。

ニュースをじっくり見るということは、時によって必要でしょうし、そこから得られるものがないわけではないと思います。しかし、ニュースを見て、分かったような気になってしまうと、本来見たいものや見るべき本質を見失う危険性もあるようにも考えます。

そうした意味で、私はニュースの見過ぎには気をつけた方がいいと思いますし、お堅い議論にドップリはまってしまうことにも注意を要すると考えます。そんなわけで、「ニュースはさらりと見る」くらいでどうでしょう、というのが「狼と香辛料」を見ながら思ったことなのでした。

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