常識について思うこと

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抜かせてはならぬ最強の剣

2007年07月27日 | 武術

「武」という字は、戈(ほこ)を止めると書くといいます。「武」の真髄は相手を傷つけたり、殺したりすることにあらず。傷つけず、殺し合わぬことこそに「武」の真髄があるのです。したがって最強の武者は、むやみに剣を抜きません。強者が剣を抜くときには、確実に相手を殺すときです。けっして、戯言で剣を抜くことはなく、剣を抜いたときは、すべてが終わるときなのです。強者にとって、物事を終わらせることは簡単です。切り捨てる所作は一瞬であり、確実に決められます。だからこそ強者は、そのようないつでもできることは敢えてせずに、じっとしていられるのです。このように最後の最後まで、抜くことをしないのが強者の剣です。

この逆が、弱者の剣です。弱者は、一瞬で相手を殺すことができないし、その自信もありません。一太刀、二太刀と重ねながら、相手を傷つけつつ、その延長線上で相手を殺すことを試みるのです。だから、むやみに剣を振ります。けっして抜いたときが終わりではないから、さっさと剣を抜いてしまうのです。しかも剣を抜いた後は、「もしかしたら、自分が死ぬかもしれない」という内なる恐怖と戦いながら、外にいる相手との斬り合いに臨みます。その意味で、弱者には、立ち向かうべき敵が多いと言えます。自分の内にも外にも敵がいるのです。これは非常に辛いことでもあります。

ただし、言い方によっては、その不安や恐怖こそが、弱者にとっての強さの源泉であるとも言えるでしょう。おおよそ、子供向けの漫画やアニメの悪役キャラクターの力の源泉はここにあります。つまり、弱者が内に抱える不安や恐怖は、「死にたくない」という必死さや、「それを受け入れたくない」という憎しみの感情を生み出し、その者の強さになるということです。しかし、実際には、そうした不安や恐怖は、弱者の証であり、ゆえに迷うのです。そうした心の迷いは、必然的にその者の剣を曇らせ、けっして一撃必殺の剣になることはないのです。

-俺の奥義をみたときは、貴様が死ぬときだ-

漫画の主人公の台詞に、こんな言葉があります。これはつまり、真の強者に剣を抜かせてはならないということです。強者に中途半端はありません。戦うときは奥義を尽くすし、そのときは確実に相手が死ぬのです。

ところで逆説的ですが、実は真の強者、最強の武者は奥義を出すことすらしません。何故ならば、そもそも最強の武者は、自分より強い者がいないということを知っているし、またそのことに絶対的な自信をもっているため、真剣に相手と戦う必要がないからです。

したがって、最強の武者が、彼に対して剣を振りかざす者にするのは、これと戦わず、ひたすら遊び、相手の攻撃に耐えることなのです。そして、「武」とは何かを教えるのです。

「真の武とはこんなものではない。真の武を知るときは、本当にお前が死ぬときだ。しかし、それは知らずにおればよい。死んでしまっては、何もかもがおしまいだ。自分はお前を殺そうとはしていない。お前は死ななくてよい。恐怖を乗り越えて、心を安らかに保て。そして剣を収めろ。殺しあう必要はないのだ。そうすれば、貴様も生きるし、俺も生きる。」

最強の武者は、こうして遊びや忍耐を通じて、剣を振り回さない真の「武」を教えていくのです。平和を保つための真の強さとは、こうした真の「武」の実践であり、このことこそが戈(ほこ)を止めるという「武」の真髄でもあります。

ところで、このような剣の扱いや「武」の実践の話は、物理的な次元においてのみ語られるべきものではありません。現代社会においては、人間の心のあり方についても、まさに同じような強さが求められていると思います。つまり、いろいろな大きな問題が山積している現代社会において、それらに関連して他人を非難したり、中傷したり、責任を押し付けたりする人間の行動は、まさに弱者が剣を振り回すのと同じ行為であり、その人間の弱さの表れであるということです。

人間とは弱い存在です。しかし、それに甘んじていては人類に未来はありません。人間は、未来に向かって強い存在になっていかなければならず、そのために安易に剣を抜くようなことをしてはならないのです。さまざまな問題について、謂れのない理由で非難され、中傷され、責任を押し付けられたとしても、それに対して同じように剣で返してはなりません。何があろうと、剣を抜かずに受け止めるだけの心の強さを持つ(「打ち克つべき相手」参照)。このことは、高い忍耐力を求められる行為であり、非常に辛いことでもありますが、こうしたことこそが、これからの時代において、真に求められてくる人間の強さなのです。次の時代で大切なことは、人間ひとりひとりが、自分が最強の武者であるという自信と強さを持つということであり、自分が携えている剣は、最後まで抜かせてはならない一撃必殺の最強の剣であるという誇りとプライドを持つということでもあります(「全員が真のリーダーたれ」参照)。

強くあれ。そして、剣を振り回すことなかれ・・・。

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