常識について思うこと

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無記名投票の無責任

2010年02月03日 | 社会

相撲協会の理事選で、貴乃花親方が選出されました。自分と同世代であり、古くなってしまった組織を改革されようとする貴乃花親方に対しては、素直にエールを送りたいと思います。

ところで、今回の選挙では、その投票方法が大きな話題となりました。組織的な締め付けが厳しい今回のような状況では、「無記名投票こそが公平・公正な選挙になる」ということだったようですが、私は、この考え方に、ちょっとした違和感を覚えます。もちろん、今日の相撲協会の体質を考えれば、無記名で投票した方が、投票者の本音が出やすいし、それこそが選挙の本来あるべき姿であるという意味は分かるので、その議論の全てを否定しようなどというつもりは毛頭ありません。

しかし、それでもやはり、選挙において投票の権利を行使するからには、それに伴う責任を負って然るべきです。無記名投票は、投票者に対して、その責任を自覚させるどころか回避させてしまうという意味で、無責任投票者を生む欠陥制度ではないかというのが私見です。そして、この欠陥制度が正しいとされてしまうのは、そもそも選挙が行なわれる組織自体に問題があるからと言わざるを得ないということです。そういう意味で、今回の議論は、あくまでも相撲協会でのケースについてのものであり、無記名投票が良いかの如き議論を許してしまうのは、偏に相撲協会が抱える(締め付け等が指摘されるような)組織としての問題故なのだろうと私なりに解釈しています。

そもそもの筋論で言えば、組織の締め付けが強く、本音で投票することが造反と取られるといったところで、陰でコソコソと造反をする程度の覚悟しかないのであれば、最初から造反などするべきではないという見方もあるでしょう。自ら先頭に立って、堂々と理事選に立候補した貴乃花親方はもちろんのこと、一門を離れて貴乃花親方を支持した親方衆は、この点、立派に筋を通されたと思います。そして、本当に責任感を持って、この方々を支持するのであれば、無記名投票よりも、むしろ記名投票の下、堂々と意思表明をされたらどうかという視点があってもよいのではないかと思うのです(ただし、今回、造反したとされる方々が、たとえ公開性の高い投票方法であったとしても、同じように貴乃花親方に投票したかもしれませんので、今回の個別の投票行動について言及するつもりはありません)。

もちろん、人間には、いろいろな弱みがあるでしょうから、「そうは言っても・・・」という言い分もあるでしょう。それを否定するつもりもありません。

ただ、投票という権利行使とそれに伴う責任との関係性から、正論を述べるならば、無記名投票よりも、むしろ記名投票の方が、遥かに強い覚悟と責任感を持った人々によって行なわれる選挙になり得るのであり、結果として、「公平・公正な選挙」な選挙に繋がるという視点を示しておきたいと思うのです(少なくとも、無記名投票こそが正しいという議論には、釘を刺しておきたいと思います)。

突き詰めて言うと、こうした選挙のあり方は、広く政治の世界における選挙の考え方にも繋がってくるかもしれません。つまり、責任ある有権者とは何なのか、国民に真剣な投票行動を起こしてもらうためにはどうするべきかというヒントが、このあたりに隠されているのではないかとも思うのです。こうした問題は、将来的な政治システムの課題でもあるよう気がします(「投票の権利と責任」参照)。

《おまけ》
立浪一門から名乗り出た安治川親方が、貴乃花親方に票を投じたことを明らかにし、相撲協会を去るという報道がありました。筋を通して、見事に刺し違えたと思います。もちろん、これからの人生、協会でぬくぬくと生きていくようなことはできなくなるという意味で、大変になるでしょう。しかし、こういう覚悟を持って臨んだ人こそ、真に相撲協会の未来を考えていたかもしれないことは、けっして忘れてはいけないし、私個人としても、こうした筋を通せるような方々と共に、新しい社会作りに励みたいと思います。

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