常識について思うこと

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薬としての景気浮揚策

2010年09月08日 | 社会

エコカー補助金が予算の底をつき、期限である9月末を待たずに打ち切られるとの報道がありました。元々、今年の3月で終了するものだったといいますから、9月までもったというだけで、随分頑張ったと考えてもいいのではないかと思います。

ところで、こうした景気浮揚策では、国の経済や産業の姿が根本から変わることはないと考えるべきでしょう。景気浮揚策なるものは、弱った経済や産業を一時的に回復させる薬のようなものです。財源の問題等もあるため、この薬を飲み続けることもできません。

健康は、必ずしも薬によって成るわけではないのです。

私たちの肉体において、健康は内なるエネルギーが活性化し、それが外に溢れ出た時に達成されるものだと考えられます。病気に負けないように、薬を服用するというのは、健康を取り戻すための方法として、間違いなく有効です。しかし、薬によってのみ健康が手に入るということではありません。薬で病気の症状を抑えつつ、内なるエネルギーを活性化させ、体力をつけることによって、初めて健康を手にすることができるわけです。

このことを景気浮揚策の話に戻して捉え直すと、経済や産業が内なるエネルギーを活性化させるというのは、大きな社会ニーズにきちんと合致したサービスや製品を市場に出していくことだと言えます。それによって、国の経済や産業は、景気浮揚策を必要としない、健全なかたちに生まれ変われるわけです。したがって、本質的には大きな社会ニーズに合致した(自ずと大ヒットして、社会全体を大きく変えていくような)サービスや製品を生み出していくことこそが、何よりも重んじられなければならないのです。少々、批判めいた言い方になりますが、社会ニーズを把握できていない、即ち事業センスを持たない政治家が、「政治主導」という名の下、雇用政策を打ち出すというのは、かなり的を外しているのではないかと思っています。

それはさておき、こうして考えてみれば景気浮揚策というのは、あくまでも経済や産業が、真の活力を取り戻すための時間稼ぎに過ぎないとも言えるわけです。経済や産業を担う人々が、景気浮揚策の本質を見失い、ただそれに振り回されているだけでは、本当の回復は実現しません。

このあたりの問題について、どうも既出の経済界、産業界の方々には、少なからぬ甘えがあるように思います。それは彼らの限界かもしれません。そして、もちろん私を含めて、未だに結果を示せていない者たちにも、そうした現状に甘んじている部分があることを素直に認めなければいけません。

ただし、私や私の仲間たちは、それに甘んじ続けるつもりもありません。今、打たれている景気浮揚策の類は、私たちが次時代の枠組みを作るための時間稼ぎの「薬」と捉えつつ、着々と自分たちがすべき準備を進めていけばよいのだろうと思っています(「産業から始める理由」参照)。そういう意味で、現在のあらゆる景気浮揚策に対しては、心から感謝したいと思います。

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2 コメント

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政治家の限界 (竹内一斉)
2010-09-08 18:39:24
左巻き菅さん、コメントありがとうございます。
そうですね。おっしゃるとおりだと思います。そして、私としては、特に民主党に限らず、既出の政治家の方が提唱する成長戦略というもの自体が、そもそも期待できないのではないかと思っています。
ひとまずは、じっくり観察です。
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成長戦略なき民主党に期待できない (左巻き菅)
2010-09-08 18:09:24
税金を使って、エコカーに買い換えて廃車という巨大なごみを出すことは、地球環境にとって良いことなのだろうか。
資源の浪費にならないだろうか。あと数年すればもっとエコな車が出るのではなかろうか。
CO2削減のためなら、自家用車から公共交通機関へのモーダルシフトこそが必要と思われる。
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