常識について思うこと

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縮まらない月との距離

2009年07月22日 | 社会

つい2日前、人類初の月面着陸から40年かと思ったら、今日は皆既日食ということで、ずいぶんと月の話題が多いような気がします。残念ながら、今日は全国的に曇りや雨で、日食を観測するのには厳しい状況だったようですが、ここでは少し、月について考えてみたいと思います。

人類史上初の月面着陸は、1969年7月20日ということで、既に40年が経過したことになります。一方で、少々不思議に思うのは、この有人月面着陸のプロジェクトが、1972年12月のアポロ17号で終わってしまっていることです。アポロ計画の中止には、資金的な事情があったというのが通説のようですが、それにしても科学の進歩が目覚しかったこの40年近く、それ以降、人類が一度も月に行っていないことに対しては、少々不思議な気がしてなりません。

単純に飛行機、船舶、自動車などのあらゆる交通手段には、当時、まったく考えられないような高度なコンピューターが積まれるようになり、その性能は飛躍的に向上しました。当然のことながら、そうした最先端の科学技術は、宇宙開発に適用されているはずですし、1969年から72年までの3年間で、6回にも渡って人類が月に行っていると言うのにも関わらず、それ以降、今日に至るまで、ただの一度も行けていないということには、相当な違和感を覚えてしまうのです。

そもそも、月は謎だらけです。

何故そこにあるのか、何故地球の衛星として回っているのかについては、きちんとした学説が固まっているわけではありません。地球が生まれたときに一緒に生まれたという説、宇宙から飛んできたのでそれを捕捉したという説、地球から割れて誕生したという説・・・。いろいろとありますが、実際のところ、定まった学説があるわけではないのです。太陽系にある他の「惑星と衛星」の関係からすると、月は地球の衛星としては非常に大きいとされています。これは月の起源と深く関係することですが、これについても未だに解明されていません。また月は、常に地球に対して同じ面を向けており、それは月の重心が偏っているからだという話もありますが、これについても、どうしてそうなったのかが明らかになっているわけではありません。

こんなにも謎に満ちた月に対して、アポロ計画以降の40年近く、ただの一度も行けていないということには、少なからぬ違和感を覚えてしまうのです。もちろん、宇宙開発にはお金がかかりますし、単純に知的好奇心を満たすためだけに、月の調査を進めるわけにはいかないという反論は、よく分かります。しかし、それを言ってしまったら、人工衛星を含む、宇宙開発自体を否定することにも繋がりかねません。周知の通り、宇宙開発には、知的好奇心を満たすためだけでなく、軍事的な意味合いが強く反映されます。そうした背景や事情を無視して、宇宙開発について論じることはできないでしょう。

ただ、それにしても、月という天然衛星をそっちのけで、この数十年間、巨費を投じて、一所懸命、人工衛星や宇宙ステーション等の人工物を作ろうとしていることにも違和感を覚えます。天然衛星である月をそっちのけにできる(例えば、軍事的に使い物にならないと断じられる)ほど、人類は月について分かっていないように思いますし、そんな結論を導き出せるほど、精密な調査が終わっているようには思えません。

もちろん、単純に月は遠すぎるという理由もあるでしょうし、宇宙開発における月の優先順位が下がったといったことも考えられます。ただ、それにしても、本当にそれだけの理由で、科学技術の発達によって、40年前よりも、相当行きやすくなっているであろう月、しかもその当時、3年で6回も行くことができた月に、近年、全く行かれていないというのは、やはり不自然な気がします。

このように考えていくと、いくつかの疑問が湧いてきます。

-もしかしたら、アポロ計画の月面着陸には隠された謎がある?-

こんな疑問もあるでしょう。それは既に、いろいろなところで取り上げられているテーマでもあります。もちろん、こうした疑問を持ってして、安易に「人類は月に行っていない」等と結論付ける必要はないでしょう。月面着陸時の映像等を検証して、そうした類の議論が展開されることもありますが、私自身、それだけを持ってして、「人類は月に行っていない」等と断じるつもりはありません。むしろ、私の場合、きっと人類は何らかのかたちで、月に行っているのだろうと思っています。どのような経緯かは分かりませんが、むしろ40年間、人類が月との間に距離を置いているのには、それなりの理由があるのでしょうし、もしかしたら、それは人類が月に行ってしまったからこそであると考えた方がいいかもしれないとも考えます。

こんな議論を展開すると、何やらオカルトめいた話に聞こえるかもしれません。実際、私自身、オカルトを完全否定するつもりはありませんので、そういう意味で、月面着陸の映像に対して、疑問を呈するような検証についても、それなりの興味を覚えます(たしかに、あの映像をそのまま全て信じろといわれても、少々困ります)。

何を是とするかは、それぞれ個人の判断であり、そこには何人も立ち入ることはできません。これは大前提です。

ただ単純に、ここ数日間、話題になっていた月に関しては、40年近くに渡る著しい科学進歩の中で、それとの距離を取り続けている人類の姿勢に対して、少々、不可思議であるとする視点について、細々とでも示しておきたいと思ったのでした。

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