常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

「タイガーマスク」でない道

2011年01月12日 | 社会

タイガーマスクからのランドセルのプレゼントが、社会現象化しているようです。これはこれで、大変結構なことだと思います。人間が生きる意味は、他人の役に立つことであり、人間はそれを喜びとして生きることができる生き物です。他人の役に立つというのは、広く考えれば社会貢献であるとも言えます。人間は、社会貢献を生きがいに生きることができるのでしょう。

ただし、この「タイガーマスク現象」はひとつのかたちでしかありません。

-自分は、自分のやり方で、他人の役に立っている-

こう胸を張って言い切れる人は、別に「タイガーマスク」になる必要はありません。自分なりの社会貢献をしていけばいいのです。

逆に、これを見いだせない方々は、人生、少々もったいないことをしているかもしれません。焦る必要はありませんが、それに値するものを、じっくりと考えていく必要があるような気がします(「遅過ぎるということはない」参照)。

先日、ある人とこうした社会貢献の話をしたところ、「土地を持っていて、その不動産収入だけで暮らしている人は社会貢献していないのか?」という質問を受けました。私の答えは、「否」です。

例えば、駅前の土地を持っていて、そこを駐車場にして不動産収入を得ている人は、駅を利用する人たちに車を停めるスペースを提供するという社会貢献をしているわけです。これはこれで、ひとつの立派な社会貢献と言えるでしょう。少々違う話ですが、こうしたことは産油国特有の仕組みで生計を立てているような方々に対しても、共通して言えることかもしれません。

ポイントは、それで「他人の役に立っている」と胸を張って言い切れるかということです。「駅を利用する人々に便益を与えている」という社会貢献で満足するのであれば、それはそれです。それこそが、その人の人生の選択なのですから、それを否定しようはありません。

しかし、それだけでは満足できず、胸を張って「自分は社会貢献している」と言い切れない人々は、違う何かを探さなければならないはずです。それはつまり、もっと大きな社会貢献、もっと多くの人々に役に立つための何かを探すということです。それはそれで、ひとつの大切な人生の選択でしょう。私としては、そうしたより大きな社会貢献や、生きがいを求めることを勧めておきたいと思います(「大きな矛盾を抱えるべし」参照)。そしてこのことは、より強い自分自身を保つための原動力にもなるものと考えます(「自分を大切にしていい理由」参照)。

私は、私なりの問題意識を持って、私自身のやり方で社会貢献をしていこうと考えています(「子供たちへのバトンタッチ」、「産業から始める理由」等参照)。そうした活動をしているなかで、今、話題に上がっているような「タイガーマスク現象」は、明らかに自分ではできないことであり、自分がしようとも思わない活動であると再認識させられます。要は役割分担であり、裏を返せば、自分は自分のやり方を通すつもりだし、そのやり方に対して自ら責任を持って生きていくということでもあります。

社会貢献のかたちは、人それぞれです。少なくとも、私は「タイガーマスク」にはなれません。そして、私と同じような人たちは、きっとたくさんいるのではないかと思うのです。私としては、そういう人たちが、頑張って「タイガーマスク」になるのではなく、各々が堂々と、それとは違うやり方で社会貢献できる道を見つけることができたら、それはその人にとっても、社会にとっても、非常にいい効果を生むのではないかと思います。

各人が胸を張って言い切れる社会貢献の実現、各人がそれを率先してできる生き方をすること・・・これがポイントなのでしょう(「全員が真のリーダーたれ」参照)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする