インターネットにおける匿名性の問題は、このブログでも再三、指摘しているとおりです(「責任を伴う「場」の提供」等参照)。この問題は、これからのインターネットを構築していく人間にとって、大真面目に向き合っていかなければいけない課題だと考えています。
何やら罵倒の嵐・・・ |
先日、ピグで遊んでいたら、「荒らし」を目の当たりにしました。上掲の写真は、ピグの「清水寺」です。ここでは、滝の前でお参りをして遊ぶのですが、そこでどうやらもめているようなのです。よく見てみると、滝の前に陣取って、ずっと動かない人がいるため、みんなが滝の前でのお参りをすることができないでいました。
困ったもので、この迷惑者は完全なる確信犯でした。プロフィールをみると「荒らしとして名を馳せる」という名前になっています。周囲の人々からの苦情そっちのけで、むしろ挑発する発言を繰り返すばかりです。ピグのシステムでは、こうした人々を積極的に排除したり、何らかの不利益を与えるような仕組みがないため、荒らしに遭った人々は、ただ我慢するしかありません。
ここには、今のインターネットの根本的な問題があると感じます。それはつまり、インターネット上における評価システムが脆弱であるということです。仕組みとして迷惑行為に規制をかけるとか、荒らし行為を取り締まるとかいうことではないところがポイントです。こうした行為に対して、誰か特定の人間が取り締まるような発想では、その取り締まっていくコストが膨大化するだけで、大きな仕組みとして成長させることができません。
ポイントは、そうした行為に対するネガティブ評価を、参加者に行ってもらい、それをきちんと反映できる仕組みにするということです。上記の例で言えば、荒らしに遭っている人々は、ただ我慢するしかないわけですが、こうした人々のネガティブ評価をきちんと反映させる仕組みにすることによって、荒らし行為をする者たちが、十分な不利益を被るようにするのです。そのことで、これまで荒らし行為をしていた者たちが、荒らしをしたいという欲求とその不利益とを天秤にかけて、より強く自制心を働かせることができるようになるでしょう。即ち、荒らし行為に対しては、そうした自制心によって抑え込む仕組みが重要だろうということです。インターネット全体をこうした仕組みにしておけば、それがどんなに大きく成長しても、荒らし行為の取締りといったようなコスト負担に頭を抱えることはないわけです。
こうした自制心を効かせて、迷惑行為を減らすというのは、単純に現実世界でも行われていることです。私の指摘は、そうした現実世界でも十分に発揮している自制心を、インターネットにも持ち込めるようにすればいいというだけのことです(「インターネットのリアル化」参照)。
ピグは、とても楽しいと思います。ピグでは、荒らしとは正反対に有難いことを自ら進んでしてくれている方々も大勢います。これについては、既にブログでも書いているとおりです(「ボランティアさんに感謝」参照)。ただやはり、そうした方々に対しても、きちんとした評価ができず、またそれに対価を支払うことができないというのが、今回の荒らし問題と併せて、表裏一体の問題としてあるような気がしてなりません。
この問題は、いつまでも引きずる話ではなく、近く解決されていくものであると考えます。そして、これが既出の関係者の方々の手に余るというのなら、いずれ私や私の仲間たちが、新しい仕組みを整えていくことでしょう。そういう意味で、あまり心配はしていませんが、現状にけっして満足したくないとも思います。