常識について思うこと

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位山に見る日本古代史

2010年08月21日 | 日本

飛騨高山にある位山に行ってきました(外部ブログ「飛騨に行ってきました」参照)。

地元の方に案内していただき、興味深い話を聞きながらのお参りになりました。


飛騨一宮水無神社


奥宮がある位山


位山の天の岩戸

位山には、「天の岩戸」なるものがあります。「天の岩戸」といえば、天照大神が隠れた伝説で有名です。それがここにあるというのは、ちょっと不思議な気がします。

地元の方の話によると、古事記や日本書紀等、いわゆる記紀に書かれていることというのは、すべて真実でないとのことでした。それには大いに同感です(「日本建国史の再考」参照)。

一方で、竹内文書についても聞かされました。竹内文書とは、古代日本において、長らく大臣を務めたとされる竹内宿禰に関わる古文書です。その方によると、この位山は「竹内の山」であり、そこにある「天の岩戸」というのは「竹内の神社」であるという話でした。

その方のお宅にお邪魔すると、神功皇后と竹内宿禰、竹内宿禰に抱かれた赤子の応神天皇の三人の像が置かれていました。私自身、応神天皇が祀られている鶴岡八幡宮は地元であり、幼い頃から訪れている場所でもあるので、こうした置物にはとても愛着を感じます。そして、同時に思ったのは、そもそも天皇とは何者かということを議論するならば、竹内宿禰とは何者だったのかということについても、きちんと検証されなければならないだろうということです。それは、記紀に囚われた歴史観では割り出せません。しかし、それを乗り越えてでも、真実を見極めようとすることが何よりも肝要なのであり、歴史を学問とし扱っている方々にとっても、非常に大切なことなのではないかと思うのです。

もちろん、実際のところ、何が本当なのかは分かりません。その方もおっしゃっていたことですが、竹内文書にしても、すべてが真実であるとは思えません。しかし、記紀の記述に真実でないことが含まれているとしたら、それを補うに足る内容が、竹内文書に書かれている可能性は、けっして否定できないだろうと思います。

今回の位山での旅では、そんなことを思いながら、しばし天皇や日本古代史について考えさせられたのでした。

コメント
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