常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

「後片付け」に感謝

2010年04月27日 | 人生

-社会が後片付けを始めている-

最近、何となくそんなことを思うようになっています。政治、経済、教育、国家、宗教、科学・・・それぞれの分野で、リーダーとされる方々が頑張っていらっしゃいますが、今、彼らは懸命になって、次の時代に向けた「後片付け」をしているように思うのです。

このブログで、繰り返し述べていることですが、これから先、人類は全く新しい段階に入っていくでしょう。これに合わせて、これまで人類が築き上げてきた社会システムや観念は、大きく変わっていくことになると思われます。つまり、「新しい人類とは何か?」、「新しい人類の資質とは?」、「新しい人類の社会システムとは?」といったことが、次々と具現化していくであろうということです。

率直な感想として、そうしたテーマについて、真に新しい段階を見据えて行動しているリーダーがいるかどうかについては、今のところ「皆無」と答えるしかないだろうと考えています。それは私なりに、日本や世界のリーダーとされる方々の思考やビジョンを読み解いていった末の結論です。

しかし一方で、その「リーダー」たちは、新しい時代に行き着く前の「後片付け」を懸命になってしてくれているとも思います。こうした「後片付け」は、とても重要です。それは「新しい人類」の姿を見据え、そのための社会システムを構築しようとしている者たちには、けっしてできない仕事でもあります。一人の人間には限界があり、それぞれが役割分担をしながら生きていかなければいけないことを考えれば、それは当然のことなのかもしません。

旧時代の「後片付け」がなければ、新しい時代の仕組みが機能することはありません。この「後片付け」には、旧時代の社会システムを終わらせるということのみならず、それにいつまでもしがみつこうとする人間の甘え、そこに蔓延った人間の甘えを除去するという意味も含まれています。

「新しい人類」の時代について考える際、その社会システムというのは、極めて当たり前のことながら、「新しい人類」のためのものでなければなりません。これを言い換えると、新しい時代の社会システムは、現在の人類には相応しくないということでもあります。今の人類は、私を含めて「新しい人類」ではありません。それは即ち、旧時代から引きずっている「甘え」があるということです。これを引きずったままでは、「新しい人類」のための仕組みが、きちんと機能するはずがないのです。この仕組みが機能するようになるためには、人類の側が新しい仕組みを操れるだけの力を備えなければならないということです。

身近な例を挙げると、今、民主党による事業仕分けなるものが行われています。私の立場からすると、こうした作業によって、真に新しい時代が開けるとは思いませんし、そうした手法に頼らざるを得ない方々が、新しい時代を作れるはずもないだろうと考えています。しかし同時に、こうした作業をしてくれないと、たとえ新しい社会システムを作ったとしても、それは旧時代の「甘えた構造」に慣れてしまった人間たちに食い潰されるだけで、全く機能しなくなるだろうとも思うのです。

つまり、事業仕分けというのは、旧時代の遺物、それに巣食ってしまった人間たちの「甘え」を取り除く作業として、非常に重要だろうと考えるわけです。これは今日においては民主党ですが、この先しばらくの間、みんなの党をはじめとする「しがらみなき新党」でも続くことであり、これらは新しい時代や社会の創造に至らないまでも、旧時代の「後片付け」という意味では、大変重要な役割を果たすだろうということでもあります。

このように考えると、新しい時代を作る能力やビジョンを持たぬことが、即ち、「悪」なのではなく、そのなかでも懸命にやるべきことを見つけて、「後片付け」という仕事でも、淡々と行ってくれることが、とても大切なのだろうと思えてくるわけです。

人間には、それぞれに役割分担があります。一人の人間が、全てをやり遂げる等というのは幻想でしかありません。今、社会は懸命に「後片付け」をしてくれているのです。真に「新しい時代」、「新しい人類」の姿を見出している人々は、そのことを肝に銘じ、また感謝しながら、自らの「甘え」を取り除きつつ、思い描く社会作りにまい進していけばよいのでしょう。

コメント
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