常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

「優秀な若者」たちの氾濫

2010年04月02日 | 社会

新年度のスタートとともに、新社会人の話題が多く取り上げられていました。新しい時代を担う人々として、大いに活躍していただきたいと思います。

一方で、就職できなかった人々も多く、そういう若者はハローワークに通ったり、来年の新卒採用を狙って、わざと留年したりということまでしているようです。

-自分がダメ人間になったような気がします-

就職できなかった若者が、テレビのインタビューに答えていました。これはこれで、大いに悩めばいいのだろうと思います。

先日、とある企業の人事担当の方とお話をしましたが、優秀な学生は、企業間でかなり熾烈な取り合いになるとのことでした。企業にとっては、新規採用となれば、優秀な人材を確保すべきであることは当然のことですし、そこから漏れた学生は、やはり優秀な人材ではないと言うこともできるのだろうと思います。

しかし、私個人としては、それだけが全てではないとも考えます。むしろ、とてつもないパラダイムシフトが予見される今日において、なかなか就職できずに苦労をしている人、今の枠組みで評価されなかった人の方が、これからの時代における優秀な人材となる可能性を秘めているように思うのです。もう少し踏み込んで言えば、これから先、戦後ベンチャーを超えるような巨大ベンチャーが次々と興るべき時代において、「いかに逆境に強いか」が求められる重要な資質なのであり、そういう意味で、現在、就職できずに苦労している若者の方が、就職できてしまった若者たちよりも、リアルに「逆境」を経験しているわけです。これは、将来に向けて、非常に大切な資質を磨いていると見ることもできるでしょう。

こんなことを考える私から見た場合、すんなりと就職できた若者、いわゆる「優秀な若者」には、ほとんど魅力を感じることがなく、一方で就職難で苦労している学生の方が、「優秀な若者」に見えてしまったりします。

例え話として適当かどうかは分かりませんが、日本が将来の道筋を見失いかけ、混迷を極めた幕末の時代、若者の生き方は、いくつかのパターンに分かれたのではないかと思います。そのなかで、結果的には滅びゆく幕藩体制を支える側の勢力のために命を懸けた新撰組のような人々もいました。特段、新撰組の生き方を否定するつもりはありません。ただし、現存の企業に就職して、その中で何とかなるとばかり考える若者がいるとしたら、それは「新撰組ではないか?」と思ってしまったりするのです。そして、私なりに次時代の姿を見据えつつ、現代社会の枠組みの限界を考慮すると、そこに収まらない若者たちに大きな可能性を感じるとともに、大いなる声援を送りたくなるわけです(「軽々に動くことなかれ」参照)。

こうした観点から、報道にもあるように就職浪人が増えるということ自体、過度に悲観するような話ではなく、もしかしたら「優秀な若者」が溢れ返っているということかもしれない点、ちょっと指摘しておきたいと思うのでした。そして、そうした「優秀な若者」たちの氾濫は、いずれ大きな「優秀な若者」たちの反乱となって、世の中を劇的に変えていく原動力になっていくような気がします。

コメント
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