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評価すること

2009-12-08 | 育児
 評価をする時期になった。この時期になると、もっといろいろ情報を集めておけばよかったと後悔することがある。客観的なデータを大切にしたいという思いから、テストを行うことがある。テストの内容をよく吟味すると本当にこれで判断していいのだろうかと不安になることもある。もっと多面的に評価しないといけないのではないかと思うこともある。ただ、その新しい多面的な評価の視点についても自分で決定するだけの勇気をもてない。「これで評価していいのだろうか。」と常に不安と向き合っている。ただ、テストの場合でも最終的には、基準をどこにするかは、教師の判断に任されている。ただ、この場合は、「標準はこうだ。」というものが示されているから、それを参考にして基準を決めることができるから安心できる。
例えば、関心意欲を評価するとき、授業中の態度を評価に加えるとするといろいろな内容が考えられる。「話を聞く姿勢」、「ノートへの記述」、「発言の量」、「活動への参加意欲」など様々な内容がある。そして、どの程度をよいとするのか、基準を設けなければならない。ここまでを評価に加えると、どの程度これを取り入れるか不安になってくる。客観的に基準が示されていないからだ。だから、自分の評価への自信のなさが見え隠れしてしまう。
 ただ、評価の基準が問題ではない。それを決めた自分が揺れないことが大事だ。保護者から説明を求められた時に、曖昧に返答するのではなく、こんな内容を考え、こんな基準で判断したのだと説明できることが大事なのだ。それが曖昧だと保護者も不安になる。これだと決めたことをきちんと説明することが、子どもに力をつけるために頑張ってくれているのだと保護者に安心を与えることになる。
 私たちは、子どもをよりよくしたいという気持ちをもっているから、評価の内容と評価の基準を設けて評価しているのだ。単に評価のための評価ではない。テストで示された内容だけで評価することは簡単だ。しかし、それだけで子どもを育てることはできない。目の前の子どもを伸ばすための評価なのだ。そのためにどんな評価が必要なのかを考えて、自分で決めた評価を加えているのだ。テストだけで済ませないでいる自分に誇りをもち、どんどん評価したい。こう考えると日々の評価の方がどれほど、子どもに影響を与える評価になっているかがよくわかる。この時期の評価が形式的になってしまわないようにしたい。


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