ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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本当に育てたい姿

2009-06-24 | 育児
 日常の子どもへの投げかけそのものが、子どもを育てる指導になっていることは言うまでもない。ところが、育てたい願いが弱いと無意識に働きかけをしてしまい。自分の生き方そのものが映ってしまう。教師自身が、育てたい子どもと同じ生き方をしているのならば、無意識であっても何の違和感もなく、子どもにストレートに伝わっていく。しかし、そうでなければ、育てたい子どもの姿と自分とのずれから、育てるための指導の邪魔をする。
 例えば、教師が話をしたいとき、子どもが他事をしていて話を聞いていなかったとする。教師が「こちらを見て、話を聞きなさい。」と注意することは、よくあることではあるが、これだけでは、どんな子どもになってほしいかという願いは伝わらない。ひょっとすると、自主性を伸ばしたいという思いで言ったのか、連帯性を高めたいという思いで言ったのかよく分からない。つまり、注意した意図が、「進んで話を聞くと話の内容がよく分かるから、話し手から目を離さないで聞くといい。」ということなのか、それとも、「相手の気持ちを分かる子は優しい子だ。そんな子になってほしいから聞いてほしい。」ということなのか分からない。
 注意した後、話を聞いた子に対して「ほら、よかったでしょ。話の内容がよくわかったでしょ。」と言えば、自主性を伸ばしたいと思っていたことがよくわかる。しかし、「わかってくれたの?先生の気持ちを分かってくれて嬉しいな。」と言えば、自主性ではなく、連帯性を高めることになる。このように願いがはっきりしていないと無意識に出てくる言葉を子どもに投げかけてしまう。つまり、無意識のうちに育てたい思いを子どもに伝えていることになる。これが、本当に育てたい姿と一致していればよいが、違っていると子どもからすると、ブレを感じることになる。そして、「先生の言っていることとやっていることは違う。」「以前、言ったことと違う。」となっては、子どもは場当たり的にしか動けなくなる。
 本当に育てたい子どもの姿が明確になっているのならば、日頃の言葉かけにもっと注意を払わなければならない。
 気づいていなければ、「何故、子どもたちに通じないのだろう。」と思うだけで、子どもの反応を変えることはできない。意図をもって、きちんと願いまで語る指導を繰り返し行わなければ、いつもの自分が顔を出してしまう。
 「こんな願いをもっているから、こんな話し方をするのだ。」と願いと行動をつないで話すという意識をもって言葉を投げかけるとよい。繰り返し行っているうちに癖になり、意識しなくても言えるようになる。癖になるまでは、繰り返す。そう、癖になるまでだ。本当に育てたい姿に基づいた言葉かけをしているかどうかを見つめ直してみたい。

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