ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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見えるものしか見えない

2010-08-12 | 育児
 いろいろな考え方をもっている人がいると、様々な議論が飛び交います。ときどき、相手を攻撃し、自分の考えを押し付けようとする人がいます。自分の経験体験から、これが本質だと言いたいのでしょう。そして、これがあたかも真実のように様々な情報を提供してくれます。
 互いに自分の思いを伝えたいというだけに収まらず、自分の考えの正当性を訴え始めます。
 誰もが自分の大事にしている価値観を否定されたり、拒否されたりするといやな思いになります。
 ですから、相手も同じように感じていることです。それは、脳のはたらきによるものです。特別な人だけに起こることではありません。脳は安心安全のために働きます。攻められれば守るために働くのですから、当然です。
 それぞれ人はみな違う体験をしているのですから、違っていて当たり前なのです。相手と同じ体験をしようとすれば、相手が関わった時間を費やす必要があります。その意味からすると相手を理解することは不可能だと言ってよいでしょう。
 それでは、どうして「あの人は私の事をよくわかっていてくれる。」とか「気持ちのわかる人だ。」や「少しもわかってくれない。」などということになるのでしょう。
 相手と同じ思いを自分の過去の経験や体験の中に相手と同じような経験や体験があれば、同じように感じることは可能になります。よくわかっているとかわかってくれる人というのは、そういう過去のイメージをうまく引き出すことができる人だと思います。
 よくわかってもらえない人というのは、それがうまくできず、自分の言いたいことだけを言って満足している人ではないでしょうか。
 誰もが自分の見えるものしか見えません。相手を理解することは不可能だということを前提に考えていれば、もっと相手を知ろうとすることが大切になります質問したり、確認したりする努力が必要となります。そして、自分の体験と結びつけながら、どんな思いになるのか探ってみるとよいのではないでしょうか。
 相手を責めても、いやな気持ちが残るだけです。相手をねじ伏せたとしても、ねじ伏せられた方からするとよい経験ではありません。ですから、互いを理解しようとするところから、話を深めることができるように思います。
 議論は、互いを理解することから成り立っているように思います。そして、新しいものを創り出す思いがなければ、いつまでも平行線になってしまいます。みんな仲良く暮らしたいと思っているのですから、ちょっと今の立ち位置を見てみるといいのかもしれません。


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