ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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見えるものが広がれば

2009-06-30 | 育児
 視野の狭さが今の自分を作っている。そう考えると日々の取り組みをこれで十分だとは言えなくなる。まだまだ、足りない。もっと配慮することがあったのではないかと反省する。気づかないことで失敗することはどうしようもない。気づいていてできなかったこととは違う。自分のしたことであっても責任が取れない。そうなれば、謝るしかない。ただ、気づいていないことでも、事前にもっと時間を費やせば、気づくことができたかもしれないと思うと悔やまれる。1つのことに思う存分の時間をかけて取り組むことができたらなあと思うが、現実そんなことができることばかりではない。じっくりと考えないでしてしまうことがある。いや、その方が多いだろう。これは、車の運転と同じだ。意識しないでも運転ができるように習慣で身につけたいつもの自分のやり方で動いてしまう。
 だから、怖い。じっくりと考えれば、失敗せずに済むはずなのに考えないでいつもの癖でするのだから、同じ失敗を何度も繰り返すことは間違いない。自分の癖の発見でなければ、失敗から学ぶことはない。だから、次に生きてくることはない。
 失敗を繰り返すことが多い子どもは、失敗をしたときに感じる辛い思いを自分の感覚にうまく落とせないでいる事が多い。失敗する前の楽しさやおもしろさが優先してしまい、失敗したときの辛さを押しのけてしまうからだ。
 「何度言ったらわかるの?」と叱っても、したことの重大さに気づかない。分かることではなく、感じることが大事なのだ。
 例えば、人に多大な迷惑をかけたとき、親が子どもの代わりに謝ることがある。このときに、「親に迷惑をかけてしまった。とっても辛いことだ。」と思うように対応して初めて、子どもの感情を動かすことになる。子どもが見ている前で謝らないと意味がない。子どもの知らないところで謝っても、子どもは何も感じない。どうせ見せるならば、大げさにして見せたい。これが強い衝撃となって子どもの感情を揺り動かす。「もう、二度としない。」と強く感じるために謝るのだ。
 子どもが悪いからと言って、暴力を振るったり、けなしたりして子どもを責めても、「痛いからやらない。」「言われたくないからやらない。」となるだけで、事の本質を見ることはない。だから、似た過ちを犯してしまうことになる。それだけではない。子どもからするとこの親の姿勢は、失敗すると私を守ってくれる存在ではなく、私から離れていく存在として映る。これでは、絆を深めることにはならない。子どもは必死で親から離れないように自分を繕うことになる。子どもにこんな思いをさせることは親のすることではない。離れていく不安を感じることなく、安心して親の側にいれば、子どもは自由にのびのびと育つことはない。このように子どもにとってどんな自分でいることが子どもの力になったり、子どもとの絆を深めたりすることになるかをじっくり考えると対応の仕方も考えなければならなくなる。暴力を振るったり、子どもをけなしたりするのは、とっても安易な行動だ。子どもが失敗したときに、「ごめんね。お母さんが気づいていればこんな失敗をせずにすんだのに。」「安心していいよ。お母さんがちゃんとあなたを守ってあげるからね。」と言うことはあるだろうか。絆を深めることを考えるとこんな言葉が浮かんでくる。