満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

ONJO  『LIVE Vol.1 series circuit』

2007-11-20 | 新規投稿
    
「グランド-ゼロをはじめた時に、はっきりとアンチ高柳的なものが心のどこかにあったのは、そこから一刻もはやく距離を取りたいという焦りにも似た心情だったと思う。」

自らが記したライナーで大友良英は嘗て師事した高柳昌行への愛憎を通過し、その音楽を客観視できる状態に至った時点で‘ニュージャズ’への取り組みを始めた事を明かしている。ただ私個人的にはグランド-ゼロがその後期にアルタードステイツの三人を丸ごと抱え込んだ時、極めて‘ニュージャズ’的なコンセプトを感じた事があった。それはもう10年くらい前の事であるが。

大友良英言う‘ニュージャズ’とは60~70年代の日本フリージャズの事と理解されよう。層が厚く豊かなそのシーンは豊饒な音楽記録を数多、残しており、個人的にも興味が尽きる事はない。音源を追体験する限りにおいて、その音楽背景を想像、概観するとそこで計られたのは、実験音楽だったような気もする。欧米のフリージャズとは違うコンセプト、演奏気質が日本のアーティストに見られる。日本独自の産みの苦しみと言おうか、何かしらのカウンター的位置付けを簡単には見出せないまま、その表現根拠を探るたたかいがあったのではないか。従って音は一旦、閉鎖的に内向してから、爆発性を伴って表へ現れ出る。その意味ではヨーロッパフリーに近いとも言えるが、近代以降のヨーロッパ音楽の<継承と破壊>をブラックミュージック越えのアイデンティティーとしたヨーロッパフリーのような明確な足元が日本にない事を思えば、やはり‘ニュージャズ’とは独自の音楽言語を獲得する為の実験であったと見てよいだろう。
音楽の様式はアンチグルーブなものが多いと感じられるのは確か。しかし演奏の強度や楽曲追求、その爆発性が内面の深化を伴って表出する時、欧米にはない独特の響き、感動の話法があり、感性が開拓される実感がある。阿部薫以上の悲痛な野太さを持つアルト奏者など海外にはいないだろうし、高柳のまるで内面性を消去させるほどの強さで楽理探求とその実現へ向かった者もそうはいまい。
黒人フリージャズの身体性や感情もヨーロッパフリーの理論性からも同時に影響を受けざるを得ず、しかるに脱出が容易でなかった状況に於ける日本フリージャズは独特の<空>や<無>こそを演奏の拠点とした。(近藤等則の突き抜け具合を想起されたし)日本の伝統音楽に対してもそれはミニマムなエッセンスという処理法に留められる。

‘ニュージャズ’とはフリージャズではなく、嘗ての日本人アーティストの<世界最新>という意識の顕れだった。その精神を受け継ぐのが大友良英だろう。
ONJQ(大友良英ニュージャズクインテット)から発展したONJO(大友良英ニュージャズオーケストラ)
アンチグルーブな中にキラリと光る歌心が嬉しい最高のバンドである。
嘗てグランド-ゼロがアルタードステイツの三人を丸ごと抱え込んだ時、元よりある実験と爆裂音響にしなやかなグルーブがプラスされ、最良のジャズ色を感じた事が思い起こされる。あれがスタート地点だったのではないか。ONJOの良さは濃厚なジャズだ。嘗ての‘ニュージャズ’と等しく、新たな感性の領域を拡げられる大きな音楽だ。大友自身が嘗て反発した高柳昌行レベルの巨大な存在になってゆく未来が見える。



2007.11.20
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«        雪村いづみ ... | トップ |  THE SHINS 『wincing the... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

新規投稿」カテゴリの最新記事