休日。
一人、街を歩く。レコード屋、本屋、服屋、吉野屋、ジャズ喫茶。行くところはワンパターン。そして部屋に戻る。一人の部屋に。侘びしい一日であるが、当時の私は大体、こんな風であった。
新宿ディスクユニオンに行く。地下のジャズコーナーから順番に一階ずつ上がり、4階の中古コーナーまで時間をかけてチェックする。結局10枚ほどのLPを買っていた。
そして店を出ると私は必ず向かいのパチンコ屋の洗面所で手を洗う。レコードを沢山、めくりすぎて手が汚れ、ねちょねちょになっているからである。当然、パチンコなどというつまらんものはやらない。
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1987年、春。
私は栗原のバンド、Faithのメンバーと池袋西口で会った。
「こんにちは、俺がベル。宜しく」
ベルが手を挙げて声をかけてくれた。ニコニコした愛想の良い男である。
しかし私は緊張していた。そりゃそうだろう。嘗て、常に客席から羨望の眼差しで見ていたリザードの元メンバーがここにいて、私に話しかけてくれているのだから。しかもこれからセッションしようというのだ。
私達は西口はずれにある<スタジオ創造>に向かった。私はその間、ずっとベルと喋っていた。
「ねえねえ、宮本君はリザードのファンだったんだって?リザードのアルバムでどれが一番好き?」
まるで他人のバンドのように私に尋ねてくる。
「どれも好きですけどやっぱりファーストですかね」
「あっそう、俺は二枚目の『バビロンロッカー』なんだよね、でもコウ(キーボード)が抜けちゃったからなあ。あれが痛かった」
「コウというのは家業を継ぐため辞めたんですよね」
「そう。よく知ってるねえ。俺も辞めそうになった事もあったんだ。あの頃、俺、下手だったしねえ」
「そんな事ないでしょう。とても好きだったんですよ(確かにライブでは出来不出来の波があると感じてはいたが)」
「今は結構、上手くなってるよ俺は。ところでその‘ですます’調やめてくれない。フランクにいこうよ」
「あっ、そうですね」
「また、ですねなんて言う。頼むよ本当にー」
こんな会話があった事を思い出す。
髪が少し伸びたこと以外は、その美少年風の容貌も昔と変わっていなかった。何とも気さくで人なつっこい人物であった。偉ぶる事はなく、むしろ少年のような感じがして、大人に成りきってない人のようにも思えた。
栗原のバンドはタイトにまとまっていた。私はややファンク寄りのラインを刻んでいたが、栗原とベルから「音数が少し多すぎる」と指摘された。それは的確であったと思う。良いところを見せてやろうというスケベ根性が裏目に出た。次回の修正をメンバーに約束した。
リハーサルを終えた私達はマクドナルドに入った。
店内は客でごった返していた。「カウンターに並んでてよ、俺がみんなの席をとっておくからねー」ベルはそう言うと、はしゃぐ子供のように満員の店内の片隅に空いているテーブルを見つけ走って行き、みんなの席を確保した。こちらを向いて手を振っている。その笑顔を私は今でも憶えている。昼間、サラリーマン社会に生きる私の日常ではあまり見られない種類の表情であったと思う。
それは子供の顔であった。
余りにも無邪気な顔であった。社会に対し無防備で純粋な、ある種の‘幼さ’を私は感じた。そしてベルはそう言っても過言ではないような人物であった。
いや、今、思えば栗原のバンド、Faith自体がそのバンドカラーとしての‘未成熟、純粋、夢幻、イノセンス’を持っていたと思う。一人一人が問題を抱えた‘子供’の集まりであった。わがままな‘出来損ない’が集まっていた。それでいて素晴らしい音楽を創造していた。
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西武池袋線、江古田。近くに日大芸術学部、音大、武蔵大などがあり、いわば学生の街であろう。栗原は改札で待っていた。
「定食屋が多いから便利やで。大学が多いから安い店が多いし。味はイマイチやけど」
そう言う栗原と私は吉野屋へ入り、牛丼の大盛を注文した。
熱いお茶をおかわりしながら、栗原は上京してからの事を語った。
プロのミュージシャンになるべく、真面目に勉強しようと思い、ハードなバイトで学費を稼ぎながら音楽学校に通ったが、そこは実はペテンまがいの経営で、ある日、一方的に授業を閉鎖され、学長が入学金や前払いの授業料を持ち逃げしてしまった。栗原には借金が残り、朝から土方をやり、夜はトラックで電化製品を関東一円に配達するバイトで、深夜ボロボロに疲れ果てた体で四畳半の部屋に戻る。そんな生活を続けていたのだと言う。音楽をする為に上京した筈がとんだ肉体労働者になってしまった。
「おかげでタフになったわ。東京の道は殆ど覚えたしな」
そう言いながら栗原はお茶を何杯もおかわりしていた。お茶で腹を満たし、金を使わなくても済むようにするとの事であった。
栗原の部屋は鉄の階段をカンカンカンカンと駆け上がる昔ながらの文化アパートの二階の一室であった。しかしそれは実は彼の部屋ではなく、部屋の主はスナックに勤めているというやや年輩の女性であった。
「あら、お客さん?私もう出るからね。お茶自分でだしてな」
高さんというその女性は在日の人であった。栗原とは男女関係はなく、彼を‘飼ってあげている’という。二人は池袋の路上で何となく出会い、栗原は野良犬のようにトボトボと高さんの後をついてきた。恋愛感情には至ってないのに、一緒に住むようになってしまったと言う。
二人とも関西からの上京者。それぞれに何となく寂しさがあったようだ。高さんは栗原を番犬とし、酒を飲みながら仕事のグチやストレスを発散させる相手として、この野良犬を部屋に置いているのだ。不思議な共同生活もあったものである。
三面鏡の前で準備に忙しい彼女はこちらを見向きもせず、大慌ての様子である。
「鍋におでんあるから食べてもええよ」
そう言って支度を終えた高さんはいそいそと出かけていった。美人とまでは言わないがエレガントなムードを持った女性であった。
2LDKの狭い方の部屋を栗原はあてがわれていた。テレキャスとミニアンプ、リバーブ、MTR、ラジカセとカセットテープが二十本ほどある。
「俺の荷物はこれだけ。居候やからな」
私は栗原のカセットのインデックスを見渡した。他人の部屋に入ると私は決まってレコード棚や本棚を隈無くチェックする悪い癖がある。ビートルズ、ベルベットアンダーグランド、ロキシーミュージック、ジーザス&メリーチェン、サケデリックファーズ、テレビジョン、スージー&バンシーズ、マガジン、バウハウス等のカセットがある。私も好きなグループが多かった。
「これはキュアーの新譜。けっこうええで」
そう言うと栗原はラジカセに<キスミー キスミー キスミー>とカタカナでタイトルが書かれたテープを入れ、再生した。
私はキュアーと言うと冷蔵庫のジャケットのデビューアルバムが全く好きになれなかったのと、今では女子供がキャーキャー騒いでいるだけのアイドルバンドと認識していたので、ずっと食わず嫌いであった。聴く気も起こらないというのが正直なところであった。
しかし栗原が最も好きだというキュアーの音楽は確かに良かった。
一曲目から既に全開のドラマティック路線。エフェクトされたベースにタイトなドラムが入り、歪んだギターが延々とソロを奏でる。シンフォニックに盛り上げるキーボード。その一体感は音楽が天上に向かい遊泳する上昇カーブを描いている。高揚する精神が表現され、必然的にある‘物語’の開始を予感させる。
ボーカルはなかなか出てこない。サイケデリックなギターの遊泳が続く。
と思いきや、機は熟したとばかりにリーダー、ロバートスミスによる‘oh,kiss me kiss me kiss me~~~!’というシャウトが始まる。歌い出しの一発目が凄い。しかも終始、叫んでいる。
何かとてつもない願いを訴えているような、凄まじいわめき声のような歌だ。或いは声変わりをしていない少年のような、そして女のくさったような軟弱な男が本気で怒ってしまったような中性的で幼児的な叫び声だ。この曲は「the kiss」と言う。インパクトはあった。私はいつしかこのアルバムをじっくり聴いていた。
各曲は素晴らしかった。最も素晴らしいのは「just like a heaven」だろう。歯切れの良いアップテンポなビートに美しいシンセが重なり、キラキラ輝くようなギターのリフ。語りかけるようなボーカル。これは現実への直面にふたをして、未だ見ぬ楽園を歌う理想主義的な賛歌であろう。天上への希求であり、悲しみ、憎しみという現実世界の負性に対する逃避のように感じられる。儚い一時的な愛の世界。しかし前進への意欲に満ちた希望の歌なのかもしれない。
ロバートスミス。余りにもイノセントだ。多分、どうしようもない奴なのだろう。ピーターパンシンドロームの代表か。そして駄々をこねる子供のような三十路男か。24時間白日夢男か。そんな事を連想させるその歌声である。どの曲にも言えるが歌い出しがとにかく強烈だ。
「なあなあ、聴いて聴いて!みんな!」
こんな風に始まる。
無防備だ。無邪気に誰にも見境なく話しかけ、熱っぽく訴え、しかし反論され、もみくちゃにされ、傷ついてしまう。しかし自己顕示欲と欲求不満は一向に収らない。だから、また凝りもせず叫び出す。キュアーの音楽はこんな繰り返しなのだ。
イギリス、ヨーロッパで絶大な人気を誇るのも頷ける。確かに人を惹き付け、心の中にぐっと入ってくる種類の音楽だ。
歌詞カードがないので歌の内容は解らない。しかし全曲、全編、これ‘I hope, I wish, I will’の世界であろう。ロバートスミスの声だけでそれは充分、伝わってくる。スタイリッシュなクールさとは対極にある無防備な‘CRY’そのものだろう。
何れにしてもキュアーの音楽は無防備な子供の叫び、わがままな願い、いわばそれは夢幻であった。
栗原がキュアーを愛好しているという事に私は納得した。いや、一つの判明、答えがそこにあった。昨日、会ったベルも栗原もキュアーの音楽性に通じる夢幻性を持っていた。彼のバンドFaithのカラーはここから来ていたのだ。そして私もまた、大なり小なり栗原と同じ種族であっただろう。私達全員が‘出来損ない’であった。ベルがバンドにいた事が私を栗原に近づけたが、彼との出会い。これは一つの必然であったように今、感じる。
ただでさえロックバンドとは、ある種の物語を形成しやすいものだ。
私と栗原の旅が始まっていた。それは現実への支点を取っ払った頼りない道程でもあった。音楽に付随する精神性が共有された。勿論、そんなことを私達は普段の会話の中に意識しなかったが、明らかに私達は一つの同志となっていた。
時代はまだ、そんな青臭い連帯を遊戯する空気を僅かに残していた。ロックが単なる愛好家でなく、それを愛する者達は一つの‘トライブ’(種族)であった事。夢を貪り、頓珍漢な方向へ流れていく敗者であった事。その中での上昇志向、成り上がりへのゲームが用意されていた。
「失うものは俺にはないな」
栗原の言葉は本当だった。彼はこの世を遊泳していた。
「just like a heaven」
そこがまるで天国であるかのように、彼は幻想に身を委ねていた。栗原の作る曲にそれは顕われていた。確かに良い曲を書いていた。しかもそのどれもが深い陰影に富む幻のようなトーンを持っていた。
私達はこの時点では終局に対する恐れなど微塵も存在しなかった。
それが私達の盲目性であったのだろう。
「満月に聴く音楽」(2006年出版)から抜粋