満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

「Live at the Village Vanguard」 John Coltrane

2019-01-04 | 新規投稿
このアルバムを聴くと思い出すのは新入社員として2年間過ごした埼玉県蕨市の社員寮の生活の事だ。およそ3畳ほどの間取りに布団を敷く為の板の台が組み込まれた恐ろしく狭い部屋に私はプレイヤーを持ち込み、同僚との付き合いもそこそこにいつも部屋でレコードを聴いていた。社会人になったらレコードを買う事に給料を使う事はわかっており、放っておいても手狭になるだろうと、家から持ってきたレコードは5枚だけ。その一枚が「Live at the Village Vanguard」。私のフェイバリットなアルバムだった。

‘いきなり’始まる「chasin’the trane」
オリジナルLPのB面すべてに収録されたこのトラックはカウントに導かれるのでもなく、イントロもテーマらしいテーマもなく突然のリズムの疾走状態から始まる。私は学生時代、この曲のカッコ良すぎるスタートに衝撃を受けた。そして当時、自分の中の一つの新しさの基準になっていた‘縦に割るリズム’に相似するものをジャズに発見した想いであった事を思い出す。

‘縦に割るリズム’とは何か。それはPIL (Public Image Ltd)の革新的なアルバム「Flowers of Romance」(81)やDAF、Killing jokeあるいはフリクションなどのニュービートによって拡大されたロックの新しいビートの形である。具体的にはノンスイングに縦に打ち鳴らされるように刻む行進のようなテンポと重さを特徴とし、しばしば‘ハンマービート’の名称で形容され、ジャーマンロックのCAN、NEU等をその起源としていた。
このニュービートにより、私の中でロックンロール的なリズムとニューロックのリズムの区分けが起こり、私の趣向はニューロックに傾いていった。従って新しい音楽を聴く際、そのリズムがニューロック的な要素を持っているかどうかが、好みの基準値になっていたと思う。それはリズムの‘重さ’を競う序列めいた観念を私に植え付けるものであり、この時点で数多のハードロック、メタル等は私の中でビートが希薄な軽音楽と化した。

思い起こせば私がジャズを聴き始めたのは、親友、浅野の影響からで、彼が私のために色んなレコードをカセットに入れて貸してくれたのがきっかけだった。彼が夢中になっているフリージャズではなく、‘初心者’という事で私にはビバップや50年代のマイルス、コルトレーンも「giant steps」を貸してくれたと思う.そうやってマイルス・デイビスやコルトレーンをぼちぼち、聴き始めていた当時の私はモードジャズに在る独特のクールネスに親しみ始めていた。マイルスの「kind of blue」、コルトレーンの「naima」などはその非-陽性的質感をもって、充分、ロックのダークサイドやアンビエントな音響に通じるものがあり、自分の音楽趣味にジャズが本格的に参入する初めの段階として、その全体のクール感やスタティックなメロディに関心が向いていたと思う。
逆に私はリズムに関しては一般的に横にスイングするジャズの4ビートがニューロックに夢中の当時、二十歳ほどの私にはそれほど魅力に感じられず、そのビートを深く感じる術を知らなかった。

そんな中、「chasin’the trane」の衝撃は私の浅いジャズの観念を打ち破るものであったと言っていいかもしれない。エルビンのドラムは重く、重層的でしかも縦に刻まれている。「すごい!」私のコルトレーン開眼はエルビン・ジョーンズの生み出すサウンドに導かれた事が大きかったと言える。
そして主役、コルトレーンの演奏もエルビンのドラミングの引力に導かれるようにその圧縮されたリズム隊のように聴こえはじめたのである。私がそれまで慣れ親しんだ「giant steps」や「soul trane」等のスタイリッシュなブルースな世界ではなく、「chasin’the trane」はニューロックな感性で聴けるコルトレーンであり、私は興奮を抑えられなかった。
先述したように私にコルトレーンを教えた親友、浅野はいきなりフリー志向のコルトレーンを私に聴かせるのではなく、聴きやすいもの即ち、プレステッジ期やアトランティック期のものから順番にカセットに入れてくれて、貸してくれたので、私は「Live at the Village Vanguard」を自分で買って聴いて、その違いに唖然としたものだ。そして「kulu se mama」「om」など後期のアルバムをバンバン買いだした私に浅野は「もうそこまできたか!」と言ったが、私にすれば暗中模索のジャズに関してはジャケットを見て衝動買いであった。初期の作品から順番に聴く必要はないと思ったからだ。

「chasin’the trane」の疾走感はロックビート、しかもニューウェーブのストリート感覚に類似するものとして私に衝撃を与えた。エルビン・ジョーンズによるポリリズミック且つストレートなドライブ感に満ちたドラミングに驚異を感じながら、コルトレーンのサックスの奔放でありながらコンプレスされた音の綿々と持続するサウンドに魅了され、正に‘ニュービート’の領域が自分の中で広がっていくのを感じたものだ。しかもバンドサウンド全体から生み出される生々しい‘うねり’の感覚はロックの演奏者とは異質のもので、私は自分のジャズ開眼を感じたと思う。
コルトレーンによる不動のカルテット、即ち、コルトレーン、エルビン・ジョーンズ(ds)、マッコイ・タイナー(p),ジミーギャリソン(b)による演奏が私の中で大きな位置を占めてきた。それはビートによる生命力という啓示のような重要なものを私に植え付け、今まで聴いてきた音楽の包括的な中心となる。

私は東京でサラリーマン生活を送りながら、鬱屈した心情を音楽に向けてエネルギーを注いでいたと思う。あちこちのジャズ喫茶に入り浸り、大音量で聴くジャズ、特にコルトレーンに熱中した。プログレやニューウェーブが中心だった学生時代はやや、観念肥大とも言える夢想癖的音楽マニアだったが、コルトレーンによってビートという新たな生命線とも言える外向的な力が湧いてくるのがわかった。従って、バンドにいくつも参加したり、セッションに出かけていく積極性が生まれたと思う。私の変化、それはコルトレーンを中心に起こったものだった。自分の内部革命というべき、ビッグバンを説明するのは難しいが、それまでのアンチ社会性な感性から社会性獲得への移行という変化ともいえるかもしれない。

「chasin’the trane」それは私にとってもエポックメイクなトラックだった。このパルスビート。エルビン・ジョーンズは煽ったのだ。私を、そして聴く者の全てを永遠に扇動するパワーがここにある。

2019.1.4
コメント
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