満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

~賛歌としてのジャズ評論~立花 実について

2018-04-12 | 新規投稿

立花 実
作家名読み: たちばな みのる
ローマ字表記: Tachibana, Minoru
生年: 1933  没年: 1968
人物について: 1933年、旭川生まれのジャズ評論家。雑誌『スイング・ジャーナル』編集部を経て、独立。同誌を中心に活躍。数あるジャズ・ファンの中でも最もコルトレーンとその音楽を深く愛した人といって過言でない。ホロヴィッツやボブ・ディランにも傾倒した。1968年、仙台市にて死去。遺稿集『ジャズへの愛着』(1969)がある。

インターネット情報に於いて以上の結果しか検出されない立花実なる人物の名前を私が知ったのは、中古レコード店で購入したジョン・コルトレーンのLP『黒真珠』に記された同氏による解説であった。原題「Black Peal」これはれっきとした国内盤であり、発売は65年だが内容はプレスティッジ期である58年頃の録音らしく、インパルス時代の作品を偏愛する私にとって、音楽的にはそれほど、好みではない。しかし私はこのLPの裏ジャケに記された立花実の解説に大いなる感銘を受けたのである。この文章が載っているだけで僅か30分ばかりの演奏が収められたこのLPを買って良かったと思ったほどだ。私は立花実なるこの未知の批評家のどこにひっかかりを感じたのか。端的に言えばそれは批評観点としての情念性、自己主張、内面といったコルトレーンにまつわる一種の通念的見解を客観視し、更に突き詰める事で、自己的情念から脱する志向性を表明している事に対する新鮮さであった。コルトレーンの語り手に多く見られる自己の情念を音楽に投影し、あわや自家中毒を起こしかねないほどの主張主義に満たされる論調を排し、万民的な底辺感覚に引き寄せるような方向性を立花氏の論考に感じたのである。

曰く
「ジョンコルトレーンの成長の歴史はひとえにブルースメロディの拡大化、豊饒化の過程であった。(略)ジョンは芸術家の義務としてブルースを共同体へ、すなわち世界(ザ・ファミリー・オブ・マン)へと戻したのである。戻したとは献納したと言い換えてもよい。」

「民衆の生活から生まれたブルース(略)それは基本的な、そして普遍的な生活感情、あるいは世界観の無垢な反映、それも全き肯定による反映なのだ。それ故にわれわれはコルトレーンもレイチャールズもオーネットコールマンもライトニンホプキンスもつまるところ同じ音楽なのだと強烈に実感できるのである(略)それなのにわれわれは何としばしばコルトレーンとライトニンホプキンスの間に強いて違いを見出さないと気が済まないのだろう。」

こういった文章を目にするとき、私達はコルトレーンを巡る言説の中に余りにも、コルトレーンの孤高の探求者としての独自性、誰も到達し得ぬ至高性といったイメージに呪縛されている事に気付くかもしれない。
いや、取り立てコルトレーンならずとも、しばしば、私達はジャズに於けるソロ、アドリブ、或いはフリーフォーム等に関し、それが表現者による内面的発露、感情的な自己主張といった西欧的個我をベースとした‘主張する個人’の成せる業である考えにしばしば遭遇する。翻って立花 実にとってコルトレーンの魅力は彼の突出した個性がいわば根っこにブルースがある数多の音楽、ミュージシャンを包摂する大きな円環の中の中心にあるというイメージを保持するのだと思われる。つまりそこには壁はなく、大きな土台があるだけなのである。

私は立花実という批評家の存在を初めて知るに及び、その遺稿集であるという「ジャズへの愛着」を古本のオークションで急ぎ購入し、拝読した結果、先述した立花氏の独自の観点をより確信した事で、その音楽観にますます、興味を抱いたのであった。同書を手に取り、いきなり目に飛び込むのは帯の文章だ。
‘演奏された音楽は一見空中に四散してしまったようであるが、それは決して喪失したのではなく、音はサウンドする(原文ママ)ことにより、根源にもどったのである。つまり行為は不滅だということだ。「ヨーロッパのドルフィーとその死」より’

本文から引用されたこの文章はエリック・ドルフィーの有名な発言である「一度演奏された音は、空気の中に消えてゆき、二度と取り戻すことはできない」を捉え、私論を述べたものだが、‘行為’というキーワードから私などはすぐさまあの間章氏を想起した。‘行為性’、あるいは‘作業性’は間章の重視する演奏者批評のキーワードだった。間章はドルフィーを一つの戦慄的な存在とし、その非-完成の営為を‘音の断片’による非-可能性の一点に在り続ける事で本来的なJAZZの在り方を提示する唯一の存在であるという認め方であった訳だが、立花氏もまた、その‘演奏行為’そのものが決して音楽の成功、成就、完成、様式に向かわず、喪失されることを前提とした瞬間の生命としての意義を認めたのだろう。ただ、両者の違いは間章があくまでも不可能性と彼流の言葉で言えば‘行為の地獄’に美を見出していたのに対し、立花氏は消え去った音が根源に還ることによって、伝播する意義を強調している。従って、両者は同じ問題意識を共有するところから始まり、やがてネガティブとポジティブに結論は二分化されるのである。コルトレーンに対し「すなわち世界(ザ・ファミリー・オブ・マン)へと戻したのである。戻したとは献納したと言い換えてもよい。」と言及した同意の意義をドルフィーに対してもまた、最終的に設定する。

立花実の遺稿集であるという「ジャズへの愛着」には約50のエッセイが収録されている。その内容から醸し出される赤裸々な‘音楽愛’の所在に衝撃を受けるのだが、氏の批評に一貫してある‘非-分断の思想’ともいうべきものについて、その現在的価値を考えたい。同書の約1/3を占めるのが「聴きたまえ、コルトレーンを」という章である事からも分かるように立花氏は熱狂的なコルトレーンフリークであるはずなのだが、立花氏が持論で展開するのはむしろコルトレーンと周囲の差異を消去していくかのような根源への視点なのである。LP『黒真珠』の裏に印刷されたライナーノートも併せて読むと、その批評の独自性を目の当たりにするだろう。

彼の批評主旨はブルース概念の拡大、普遍化であるようだ。
「(略)ニグロの音楽は形において違いはあっても、ブルースという共有財産をエッセンスとして発光させているが、そのブルースも、もとを正せば、さまざまな民族遺産の混合から発酵したものである。とすればブルースピープルはワールズピープルなのであり、(略)世界にはブルースと呼ばれることがなくても、ブルースに酷似した音楽が存在しているに違いない」

「(略)ジョンはこの世界の全ての物は動かしがたき相互関係を持っていることを痛感させられたのであった。そしてジョンはひたすら吹いた。(略)この時、ブルースメロディは激しく自由な方向へと動き始めたのであった。そして聴衆はブルースメロディが本質的に<自由>なものなのであり、<世界>と階調を保ちながら絶え間なく生成していくものなのだという事を知ったのである。ジョンのサウンドする(原文ママ)あの叫びは本質的に<世界>への肯定的賛歌なのである。」

細分化したアフロアメリカンのあらゆる音楽ジャンルがすべからくブルースを源に発生しているという一般常識をより徹底認識し、表現やそれにまつわる批評や好みの問題に大きく立ちはだかるセクト性を乗り越える指向性が感じられる。これは根源的、且つ現在的なテーマでもあろう。確かにコルトレーンのファンでライトニンホプキンスを聴く者は少ないかもしれない。更に私のようにコルトレーンをアトランティック以前と以降に区別して聴いている‘原理主義者’も結構、多いと思う。立花実氏の批判はそうゆう諸々の‘狭さ’に向けられているのだと思われる。

表現、批評、嗜好とはある意味、小異を追う事で成立するものでもある。オリジナリティというテーマに係わる限りでは。しかし大同に向かう表現、批評、嗜好こそが質実に富む方向を約束するものである事も忘れるべきでないだろう。分かってはいるのだが、理論や概念と等しく、私達は感性の領域までもひどく固定される傾向にある。深く愛し、接するほど、意識は‘点’に向かい先鋭化し、大きな輪ではなく、小さな円を形成する同類項を求めてゆく。
革める手立てはないのか。音楽やあらゆる表現物に対し深く立ち入らず、情報を処理するが如き、軽く接するという方法はしかし本末転倒だろう。言うまでもない。

おそらくその答えは‘根源’に対する嗅覚、‘奥底’に向かって感じ入る力を磨く事以外にはないような気がする。細分化されたものにそれぞれの価値を認め、最低限の排他性を脱し、尚、表現に芯となる柱を打ち建てる。そんな底辺を保持できれば、一見、異なるもの同士の共振が多く生まれ、より根源を意識し安くなるのではないか。
立花実氏がコルトレーンとコールマン、ホプキンスを同列に感知しているとすれば、それはブルースという源を音楽スタイルの一種として共有する意識以上に、演奏者がブルースを奏する行為の奥にある感情レベル、そんな内面に関する最大公約数的な‘共通事情’を三者に対し嗅ぎとっているからではないか。確かにそんな聴き方ができれば、自らのセクト性やあふれる情報による洗脳からも脱する事が可能になるかもしれない。

私は以前、拙著『満月に聴く音楽』(2006)でこのように書いた。
「コルトレーンは形態的にはジャズを演奏した。しかし彼は音楽そのものを演奏した。
音楽にジャンルがあるという事はそこに断絶があるという事だ。しかしその壁の越境と異なるものの混在のエネルギーを音楽はいつも必要としてきた。音楽は常に越境と混在によって再生してきたのだから。しかし越境と混在とは音楽の形態、表面のテクニックによる様式の事を指す場合が多い。従って越境と混在は決して最終的にはボーダーレスへとは至らず、新たな断絶へと至る。この循環の永続状態であろう音楽のしかし不変要素があるとすれば、それがブルースだ。ソウル、スピリットと言っても良いだろう。いかなる様式を纏ってもその内側に在る中核、それが音楽の善し悪しを示す一つの基準であるブルースの存在なのだ。
コルトレーンはジャズという狭いフィールドでプレイし、音楽のジャンルの越境意識はなかった。しかしジャズファン以外にコルトレーンの音楽に魅了される人が多いのは事実である。それはジャズというジャンルの許容の広さによるものではない。コルトレーンの演奏する<歌>が人間の心の領域にしかベクトルを持っていないからであり、スタイルを味わう快楽以上の深みとそれをもはや不要とするほどのダイレクト性、音→心という直接性を持つからだ。(略)音の核が一つの衣装を纏う事でジャンル化する。そしてその衣装の種類によって私達は好き嫌いを感じる事が多い。しかしコルトレーンの音楽はそんな衣装を切り裂いてこちらへ向かってくる。それを私達は裸の魂で受け止める。コルトレーンの場合、そんな聴き方しか許されないと言えば、言い過ぎか。しかし音楽に人が‘影響を受ける’事とは正にこの瞬間によってのみであろう。」

こんなご大層な事を10年以上も前に、のたまっていたものだが、その私自身が特にジャズに関しては今尚、分厚い党派主義に絡め取られているのは一体、どうした事か。ブルースを強調していた割りには私にはジャズにその様式において明確な好き嫌いが存在する。MJQやホプキンスの音楽には全く興味を示す事はない。ジョニーハートマンと競演したコルトレーンのアルバムを単にレコード会社の要請を受けただけと今の今まで疑っていない。このような意識は自説に相反した態度と言っても言い過ぎではないだろう。

<(略)「音楽は宇宙の姿を映し出したもの」だからである。音楽家は楽器をもってそれを、生き生きと映し出さなければならない。それは世界及び他者と、自己を分離せしめる自己主張によっては成しえない。>

自己主張をもはや、表現の聖域とみなさないこの音楽感性の広大さ。
ジョンコルトレーンを常に黒人闘争史観の中で位置付ける愚を使命のように繰り返す有名な<世界的コルトレーン研究家>と名乗るのがいるが、この論者の考えなどは立花氏の言説の前では何とも了見が狭く感じてしまう。

立花実氏の音楽観がひとえに彼の肯定的な性格に由来する一体化志向の顕在化であるなら、そこには一種のシャーマニズムへの信仰にも似た性善説があるようにも感じる。彼は表現行為に於ける憑依の質実を凝視する論者であろうか。彼にあってあらゆる分断、自己の突出を回避する精神が音楽を契機とする生き方への訓戒めいたものに連なっているのかもしれない。
「アリス・マクロード・コルトレーン。彼女は全く未知数だが、霊的な人物である事は間違いあるまい。」
1966年7月。コルトレーングループが大幅なメンバーチェンジを体験し、聴衆の誰もまだレコードでも体験していない新メンバーの披露となる日本公演の準備期間に彼はこう書いた。霊的な人物?何を根拠に。その後のアリスのシャーマニックなジャズのキャリアを知る私達なら、彼女を霊的という形容詞で語るのは容易い事だ。しかし立花氏はアリスがアルバムリリースはおろか全くの新人で、世間ではどこの馬の骨とも解らない見方をされていた時期にそれを言っている。

「マッコイ・タイナーの持つあのピアノの響き、それは紛れもなくタイナーのものであり、聴してそれとわかる特徴をそなえている非常に明澄なものであり、また何か始原的な神秘感に溢れたうねりを持っており、ブルースとアラビア音楽の混淆を感じさせる。これをタイナーの個性と言っていいのだが、一歩突っ込んで考えると音楽家の個性とは何かということになる。(略)音楽家というのは要するに音の番人ではないかということだ。偉大な音楽家になればなるほど、自分は表現ということに関しては片棒をかついでるにすぎないと感じるのではあるまいか。」

立花氏が度々、その論の中で、個性というあわよくば表現の本意であり絶対的価値と思われるものを相対化し、むしろ‘音は既にある’という無記名のレベルでとらえている事に気つかされる。氏が憑依としての音の表出といったニュアンスの論を展開される時、私はそれが確かに芸能の本質への眼差しへの論点であると同時にもはやその延長戦上には批評そのものが成り立たない事態が待ち受ける事にならないかと推測する。

「エリック・ドルフィーはかつて私の音楽はトナリティに根差していると語った。これを狭い意味のアカデミックな音楽用語として解釈してはまずいだろう。セシル・テイラー、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマンはトナリティに錨をおろしていると言えるからだ。パン・トナリティという言葉がもっと本質に迫っているだろう。今日、音楽を含めてあらゆるものが、それ自体の独立性を主張して、分化された断片として浮遊している。このような時ジャズメンはもっと血の通った、この人生そのものとの関連から発した響きを奏でようとしている。表現とはつまり存在する音に耳を傾けるという事に帰着するのではあるまいか。エリックはその事を知っていた。」

分断に関する批判という前提はおそらく職業批評家としての存在基盤を危うくするだろう。即ち批評とは差異の分析とその主張をどうしても含み、その連続によって成り立つと思われるからである。かくして立花氏は愚直にもそんな内面を吐露するかのようなエッセイも残している。
「この鈍感な僕でもおそまきながら、音楽について書くことはそう簡単なことではないということに気つくようになってきた。いや、はっきり難しいというべきだろう。この気持ちはつのるばかりなのだが、一方、音楽について書くことは難しいと痛感するようになったそもそもの原因はといえば、音楽を実によく聴くことができるようになったということからきているのである。(略)音楽と共にあるようになると、音楽について書くことが簡単でなくなったことは。そもそも喜ぶべきことか、悲しむべきことか。(略)」

冒頭に記したネット検索の情報だけでは知り得なかった事について遺稿集『ジャズへの愛着』の編者あとがきは記している。<「吹くことは世界に触れることだ。」と最後に発表されたエッセイ「ファラオ・サンダース」をしめくくって立花実は自らの手でその生命を断った。>
35年という短い生涯。なんと。その死は自裁であった。その理由は今となっては知る由もない。当事者の間では何らかの理由が共有されているのかもしれないが、何しろ情報がない。現在、氏の存在は忘れ去られ、私のようにたまたま、古いLPを中古店で発見するか、あるいは人によっては古本屋などで50年代から60年代の「スイングジャーナル」誌をみつけてその名前をやっと認めるのだろう。ネットに現れないという事は今、立花実を語る人がいなくなったという事を少なからず意味する。それも時代か。立花実再評価とまでいかなくとも、その仕事の意義について正当な認識の必要性を痛感する。

立花実。
その批評からうかがえるのは正に今日、あまり読むことのない独自の認識の深さと音楽愛ともいうべき包括性であった。当時の社会背景から浮かび上がる個の乱立に対する‘連帯’というキーワードを想起する事も容易いが、氏は音楽間の壁を取り払い、そこに通底するもの、根源にて同一されるものをその鑑賞の基本姿勢、批評の態度とした。間章の文章で確か、‘不可視の戦線を拡大する’云々という文章を覚えているが、立花実もまた、音楽鑑賞による世界へのアプローチについて、多くのアーティストを感覚的に結び付け、その根源的なものの共通項に対する嗅覚を常に培養していたと感じる。ただ、間章のように戦闘的、ドグマ的に敵を作り出しながら、時には仲間さえも見限りながらの戦いではなく、むしろ立花氏は大同団結的な肯定的思想を支柱とした。多くを結び付け、そこに善性の平野ともいうべき思想を構築した。
これはいわば肯定性の極みなのである。

しかしだからと言って氏の論点が無条件なポジティビティに貫かれている訳ではない。むしろ的確なポイントを突く論評がしばしば見られ、その批判の正確さに今更ながら驚かされるのも事実だ。例えば『ジャズへの愛着』を一読するかぎり、氏はどうやらマイルス・デイビスへの評価が少ない事に気つくのだが、マイルスの個性、特質を恐らく当時、誰よりも見抜いている論評にもお目にかかる事ができるのだ。映画「死刑台のエレベーター」のサウンドトラックに関するマイルスのワークに関する批評についてもその一例だろう。
「(略)しかし私はこの映画によってマイルスのジャズ芸術家としてのユニークな断面をまざまざと見て取ったのである。それはマイルスが徹底した真の印象主義者に他ならないということである。(略)マイルスは元来、ムード音楽家ではないかということである。これは今流行のムード・ミュージック的な意味ではなく、例えばドビュッシーの音楽がシリアスなムード音楽であるという意味に於いてである。(略)マイルスの音楽にとって‘音質’は相当重要な部分を占めている。あの‘音質’によってとぎすまされた感覚が伝達されるのであるが、(略)多くの場合、マイルスがテーマをほとんど変形しないのにもかかわらず我々に強い印象を与えるのは彼が‘音質’に関してずば抜けた才能の持ち主である事を物語っているのだが、何と言ってもマイルスは‘伝達’をその本質とする音楽家である。(略)マイルスと故ファッツ・ナバロがクローズアップされるが、両者の楽界への影響を一言にしていえばファッツ・ナバロの場合は<コンセプション>であり、マイルスの場合は<トーン>であると私には思われる。」

マイルスに関してモード奏法の牽引という点のみが今でもクローズアップされ、そんな楽理上の先駆的意義、その影響を探りながらのコルトレーンとの比較論は多い。しかしその観点のみに論点を絞る事の誤りはマイルスの60年代後期以降の宇宙的ジャズへの道程によって明らかになる。マイルスは元より合った‘音響的’センスの拡大によるサウンド感覚のイノベイターになるのだがそれは今だからこそ、言えることだ。マッドリブが具体的に示した、音符ではなく、トラックとしてのジャズ。 これは‘音響’という概念が一般化される現在に至り、初めて、理解でき得る事柄である。50-60年代のマイルスと他者を分けるものの正体について我々は指摘することができるのは音響という新しい聴覚の基準が出来上がった今という時代によってなのだ。しかし立花氏はそれと同様の事を既に59年に言い当てているのである。彼は‘トーン’、‘伝達’と言った。それらのワードを氏が動員する時、いわばジャズの革新的要素と見られた‘奏法’、創造、‘内面’‘コミュニケーション’ あるいは氏自身の言葉を引用して言うと人生そのものとの関連から発した響きといったものと対極にあるものとしてその違和を表明している。立花実が59年のマイルスに見出した特質。それは同時代のジャズには見当たらない聴覚的な要素、即物的な要素と言ってもいい。これを先見の明と言わずして何と言おう。

また、ジョンコルトレーンとオーネット・コールマンの比較についての論考では以下のように述べている。
「(略)以来、私はコールマンとコルトレーンを全く異質なジャズマンであると考えている。彼ら二人が‘混沌の世界’を知覚しているという共通点があることは確かである。しかしコールマンには、例えばコード進行や小節を無視すれば表現の可能性に到達できるというある種の自己表現に対する楽観的な信頼があり、これがコールマンの音楽がともすれば人間が泣いたり、笑ったり、怒ったりするそぶりを単純にアルトサックスから吐き出すという所謂誤れる原始主義に傾斜する嫌いがなきにしもあらずということになる。コールマンの音楽を聴くとアドリブの部分よりも書かれた(どのような手法で書いてあるのかわたしにはわからないが)部分に不気味な精緻さを感じさせるのは興味深い。書くと言う一種の自己規制が逆に彼の表現能力を飛躍させているのかもしれない。一方コルトレーンにはコールマンのようなコード進行や小節の無視といったことに対する強い信頼はないのだ。コルトレーンは音階(それはアフリカ、アジアなどを含む)やコードを受け入れ、彼が語るというよりは不可思議な旋律そのものに運動させる。コルトレーンはアラビアの笛吹きを演ずるのではなくアラビアの笛吹きに自ら積極的に変貌するのである。」
これは62年6月に脱稿された文章である。オーネット・コールマンが、自身の音楽理論ハーモロディックをコンセプトとするのは70年代以降であるが、恐らく立花実は「ジャズ来るべきものThe Shape of Jazz to Come」(59)で既に風変わりなメロディの重層化や、キーを外すようなソロの鑑賞でコールマンのある意味、理知的な逸脱、‘計算された’異空間があくまでもコンポジションとの対比のフリーであり、コルトレーンのようなソウルの放流がナチュラルなアウトに連なっていく性質のものとは異質である事を直観していた。この事で関連して思い起こされるのは、やはり間章がオーネット・コールマンについて‘傷つくこととのない新しさの捻出’と形容していたことだ。それは確か、エリック・ドルフィーに関する批評でその対比としてコールマンを引いていたのだと記憶するが、不思議なことにここに立花実と間章といういわば、肯定性と否定性の論客のある一致点を見る。つまり両者とも、表現行為における行き着くべき様式、あるいはそれを目指す秩序性に存在論的視点が勝るとい共通の感覚があるという事である。これは時代的なものなのか。古めかしい形而上学ではないが、やはり、一種の非―安定感の中で苦を伴う演奏に価値を見出しているとも言えるのかもしれない。


私は最近、コルトレーンはもしかしたら、その都度覚えたコード進行、習得した楽理上の奏法を繰り返し反復演奏し、それを行っているうちに感情が大きく振幅する中で自然にその学習態度から逸脱し、結果、フリーの様相を示す演奏になるというのが実相であり、最初からフリーインプロヴィゼーションをやると決めて、やっているのではない場合が殆どではなかったのかと思い始めているのだが、その事は正しくオーネット・コールマンとの対比によって示唆されると思われるのだ。端的に言えばコールマンのフリーは楽理上のフリーであり、コルトレーンのフリーはソウル(歌)の変形であった。

立花氏は「コールマンの音楽を聴くとアドリブの部分よりも書かれた(どのような手法で書いてあるのかわたしにはわからないが)部分に不気味な精緻さを感じさせるのは興味深い。書くと言う一種の自己規制が逆に彼の表現能力を飛躍させているのかもしれない」と書いた。正しくその‘判明できない方法’によるコンポジションこそがハーモロディックなわけであり、コールマンはそれを「ジャズ来るべきものThe Shape of Jazz to Come」(1959)の中の有名な「ロンリ-ウーマン」で既に未整理ながらも意識していたと言う。不思議なメロディ、コードの重層的表現は楽理上の方法論であり、そこに正解を見出していたコールマンと既成のコードを多く覚える事に無邪気な信仰を持ち、それらを順列的に練習した延長にあったコルトレーンの無秩序はやはり、同列にはおかれないということだろう。
それにしても、立花氏が直観したコールマンの‘誤れる原始主義に傾斜する嫌い’というのは氏の用語でいう例えばコルトレーンを論じる際に用いる‘全き人間性の表現’等の言葉に比しての見解だとも思われるが、確かにコールマンは方法論やコンセプトの探求を先行させ、そこに情念的なものを分散化させるような、ややもするとポストモダニックな様相を示すことで、現在に通じる聴覚的なものをマイルスと共に持ち合わせる先駆的な存在と言えるかもしれず、そこが人間臭さそのもといったコルトレーンとの対比がおのずとイメージされる。
しかもこれは私感であるが、コールマンのコードやメロディー、全体のムードの異様な外観に比べてリズムセクションのタイトさ、キメを中心とするステディーな感覚、計算された逸脱とも言うべき斬新さというのはコルトレーンのユニットにおけるリズムセクションの自然逸脱的な無軌道ぶりに比べかなり、保守的にも感じる。その意味でも、コールマンはもはやレニートリスターノにも近い感じの理知的なアーティストであると言えるかもしれず、立花氏がそういった事に共通する感性でコルトレーンの人間表現の間正直さ、愚直さと異質な性格を読み取ったのかもしれない。

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立花実は音楽鑑賞の態度が深く、文面からはアーティストへの敬意と謙虚な態度も併せて伺える、全く稀有の批評家であった。遺稿集「ジャズへの愛着」が編まれたのは、当時の関係者の間で追悼の念が強かったからであろう。
そして私がもっとも氏の批評に於ける姿勢に敬意を感じずにはおれないのが、その周囲に流されないスタンスなのだ。
「最高の批評家は、恐らく時間であるのかもしれない。伝統が正統として芸術の歴史を貫通していてこそ、進歩主義や改良主義の誤謬を免れうるのである。」
60年代という‘革新’の時代にこれを言った。しかもコルトレーン、コールマン、テイラー、サンダース、といったそれこそ急進的なアーティストを愛好し、更に当時の政治、社会状況も刻々と変化する中、インテリ層は進歩史観にまみれ、古い体制、古いしきたり、習慣、モラルに決別しようとする大きな精神のうねりが覆っていたあの時代に、音楽批評を生業としているにもかかわらず、氏は伝統の普遍性こそを信条とし、無条件に進歩を賛美する事を諫めている。
「最高の批評家は、恐らく時間であるのかもしれない。」立花実が悟るこの境地。彼はリアルタイムな音楽を時代を逆算するかのように未来から批評したようだ。革命による音楽の更新はなく、伝統からの変化である法則を死守したのであろうか。
かような点こそ、立花実の独自性を約束し、極めて芯の太い批評家としての姿を今なお、読むものに見せつける要因になっているのではあるまいか。と言ってもこのもはや50年ほども前の論者を語る者もなく、その批評活動の全貌もまた、アーカイブされぬまま、忘却の彼方へと埋没されようとしているのもまた、現代の姿である。


2017.12.20
ブログ「満月に聴く音楽」2008.1.25初出「JOHN COLTRANE QUINTET『THE 1961 HELSINKI CONCERT』」を大幅加筆、改訂
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