満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

           AUTECHRE 『oversteps』

2010-04-13 | 新規投稿


オウテカ待望の新作である『oversteps』の静的なエレクトロニカは前作『quaristice』(当ブログ2008.4.19参照)でのアンビエント要素を拡大させたものというのが当初の感想であった。が、何度も聴くにつれ、別の位相が浮かび上がる。ダンスに対置するアンビエントという単純な図式化を避けながら両者を混在させてきたオウテカはずっと以前から‘ノイズアンビエント’とでも言うべき静謐なビートミュージックと複雑にうねる様なダンスチューンによる対比の世界を創造してきた事にはたと気つく。だから一見、ダウンテンポなアンビエントトラックをアルバムに挿入したからと言って、それを何かの本質的変化と捉える事は間違いだった。しかし今作の音のシンプルな研ぎ澄まされ方は、今までの作品の情報量の多さを一掃するかのようなカラーレスな作風である事は確かだろう。

『oversteps』にあるシンプルな音、その音数も音色も極めて抑制された‘削除の感覚’にオウテカの新境地を見る。私はそれをベテランの域に達したオウテカの‘成熟’と単純に指摘したい誘惑にも駆られるが、多くの人はもっとその‘進化’の謎に意味を求めるのかもしれない。いや、確かにラジカルな精神、革新の意識は健在なのだろうが、今作に感じるのはそれとは別の領域である。それは今作ほどオウテカのデュオ性を感じるものは嘗てなかったという感想である。それは音の感触が従来のリズムマシーンとサンプラーを基軸にしたものから、明確なラップトップミュージックに移行したかのようなデータ感覚に満ちたものである事からも導かれる感想である。ただ、データ感覚と言っても、それがワンマンなプログラム作業による表出ではなく、言わばコンピューターによるセッションのような感覚であり、コンピューターを楽器に見立てたような二人の‘ミュージシャン’によるジャムのような音の様相を見せているのだ。従って練りこまれているのだろうが、どこか放置的で偶発的な‘演奏’によるサウンドがきこえてくる。今回のオウテカ作品ほど、二人の人間が見えてくる音楽はなかった。私は敢えて情報を遮断して(インタビューや他人の評など読まず)本稿を書いているので、制作過程は分からない。もしかしたらデータ交換やファイリングの構築による交換的共同作業が主だったかもしれない。しかし結果的に私には『oversteps』にエレクトロニカの範疇に於ける稀にみるフリーインプロバイズミュージックのような感覚が想起された。或いは作曲された楽曲を向き合って合奏するデュオの姿である。そんなリアルタイムな演奏が基軸となった楽器音の衝突がここには濃厚にきこえる。全体を覆う音色や音数のシンプルさ、あるいは音と音の間のスペースの正体は果たしてAUTECHREという脱意味性に綾どられた非人称な創作チームがそのチーム名から離れ、ショーンブース&ロブブラウンという実体を前面に押し出した合同演奏の記録集であった。

私は最近、『マイルスの夏、1969』(中山康樹著)という新刊本の中にマイルスデイビスが68年から75年(いわゆるエレクトリックマイルス期)にかけて制作した驚異の作品群はマイルスデイビスがスタジオを自由に使えるという境遇抜きには生まれなかったという記述を読んだ。つまり、アルバム発売を目的とする必要のないセッションを自由に連続的に行えた事による蓄積が結果、膨大な演奏記録として残り、『in a silent way』(69)以降、アルバム化した音源は全て、テオマセロがその長大な記録テープを切った貼ったの縮小編集を施した産物であったのだ。そしてそのスタジオを自由に使う権利はテオマセロがサイモンとガーファンクルのアルバム制作を手掛けたヒットによって得たものであり、それをマイルスが無尽に使ったという事だ。マイルスはスタジオを私物化し、ミュージシャンを贅沢に招聘しながら、連日、何時間もの実験的ジャムセッションを繰り広げた。その放流される音楽の海原を作品化したのがテオマセロだったのだ。

『oversteps』はオウテカではなく、ショーンブース&ロブブラウン名義が相応しい。ここにはファイリングされた二人によるエレクトリックミュージックの膨大なセッションをまとめ上げたピンポイントな音像がある。全くブレない一つの様式美の形とでも言うべきデュオミュージックが奏でられる。それはまるでマイルスデイビスの無尽蔵な即興の演奏記録の中から僅かな煌めきを一つ一つ拾い出したテオマセロのような嗅覚溢れる作業に似た深遠な営みによるものだ。
全く美しい音楽である『oversteps』。二人の気の遠くなりそうな共同作業、そのアナログな力感に感動を覚える。

2010.4.12


コメント
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