満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

UNIVERS ZERO 『RELAPS』

2009-06-04 | 新規投稿

『蟹工船』を読んで共産党に入る若者が増えているという。
今の若い奴って何て単純なのか。周りの年輩者がちゃんと教えてやれよと言いたくなるが、昨今の厳しい社会状況に於ける自らの境遇に因果関係を突き詰める事もなく、その‘悲惨’を外部へ責任転嫁し易いその発想を私はもはや、新種の病なのだと理解している。社会正義を偽装したイデオロギーや新興宗教がそんな病んだ魂の受け皿と化す事態については、精神的支柱やアンデンティティーの不在という現代的要因に起因すると解して良いのか。或いは、本来、そんな‘非行’に歯止めをかけていた筈の‘良識’やバランス感覚、共同体的監視が失われているのだとも思う。貧困や失業、悲惨な就労状況などに対する社会批判や厭世の思想とは常に自省という客観性と並立する事で、初めてその有効性を獲得できるものだろうに。

従って、例えば‘真実’(本質)を伝えないテレビや新聞の、もはや‘バーチュアル世界’と化したような情報などによってコントロールされるのも単に情報というソースの識別ではなく、ものの見方、考え方そのものであるという問題こそがより、本質であるに違いないのだ。

切られて当たり前の派遣社員の待遇を‘派遣切り’などという欺瞞に満ちた言葉で同情しながら、何故か派遣会社をスルーして企業やメーカーを悪者扱いし、世論を煽っている様に対し、私はある種の‘崩壊感’しか抱く事はできない。それは例えば、不法入国のカルデロ一家を‘さん’つけし、その処分を‘かわいそう’とする錯誤や、小さく切って赤ちゃんに食べさせる事を怠った結果のこんにゃくゼリーによる窒息死を、こんにゃくゼリーのせいにするという恥知らずな非常識とも一直線に繋がる現代日本の‘バーチュアル世界’である。これらの異常現象を私は嘗ての日本にはなかった感覚ではないかと感じている。何事も万事、欧米を追いかけ続けてきた日本は、電子レンジで火傷したら電子レンジメーカーに訴訟を起こすというアメリカ社会に、その精神的退廃まで追いついてしまったのか。

総じて私は‘崩壊感’と書いた。
『蟹工船』を読んで共産党に入るというその‘ため’なき思考や感情世界に短絡的で直結型の精神構造を想い、そこに‘崩壊感’を感じる。『蟹工船』にある優れた小説としての状況描写や物語の力強さと、作家がプロパガンダとして主張した‘反コミンテルン=日共賛美’というオルグを目的とした前時代的メッセージとの峻別、区分けを今の単純思考の若い奴に期待してもだめなのか。

さて、ヘンリーカウの音楽が今ひとつ、好きになれなかったのは、その赤い政治思想のせいだったか。いや、そんな事は関係ない。でもソフトマシーンやその周辺に対する情熱に比べると、同系列の音楽であるにもかかわらず、私がカウを好んで聴かなかったのは確かだ。

当時のカンタベリージャズロックシーンの色彩豊かな音楽性に比べ、ヘンリーカウのそのモノトーンで淡色性なサウンドの肌触りが、好みでなかったというのが本当のところだろう。器楽主義であるにも関わらず‘カラフル’でなかったという事か。ただ、その‘ノン・カラフル’というのは多くのプロレタリアート芸術に通じる要素であった事は偶然でないだろう。しかし、私はヘンリーカウが組織したR.I.O.(ROCK IN OPPOSITION)に属した多くのグループに熱狂した事を忘れるわけにはいかない。しかも、その中にはスウェーデンのサムラ・ママス・マンナのように今なお、充実した活動を行うバンドもある。

R.I.O.とはバージンレコードと仲違いしたヘンリーカウが、反商業主義、反資本主義を標榜して設立した‘意識的’ロックバンドの連帯組織であり、自主企画、自主流通を主催した全ヨーロッパ規模に及んだ運動体であった。設立は1978年。この動きを日本で紹介したのは「rock magazine」、「fool’s mate」など、僅かなジャーナリズムだけであったが、この‘反対者としてのロック’と訳されたR.I.O.とは、初期パンクがこの時期、まだ、インディーズの形をとっていなかった事を考えると、最初のインディームーブメントでもあったと理解されて良いのだろう。ヘンリーカウは当時、イギリス共産党ともコミットし、急進的なその政治運動も見せたが、そんな運動の常としてグループや組織の早い分裂、終結に至る。その後の各メンバーの動向も興味深い。元よりイデオロギー色が薄かったフレッドフリスは渡米して、ノンイデオロギーなインプロバイザー達と交わる事で、垢抜けした非―観念論者と化し、音楽シーンに一定のポジションを得た。最も過激派だったティムホジキンスンはそのイデオロギーをあくまで音楽上にも反映し続け、リーダーバンド、THE WORK(ずばり、労働!)で「I hate america」と叫んだ。(来日公演も観た)ダグマークラウゼはブレヒト歌曲の伝播を使命とし、ジョングリーブスやリンジークーパーは‘純’音楽活動によって、独自世界を築く。そして、最も広い影響を与え続けるのが、特異なドラマー、クリスカトラーで彼はR.I.O.を引き継ぐ形で設立したレコメンデッド・レコードによって音源の伝播を図っている。

R.I.O.系列の中で私が最も好きなのがベルギーのユニヴェル・ゼロだ。
デビューは78年。私は81年のサードアルバム『ceux du dehors(邦題;祝祭の時)』以来、ずっと熱烈なファンである。しかもこのグループ、87年に解散するも、2000年に復活し、4枚の素晴らしいアルバムをリリースする充実した活動を継続中なのである。‘archives1984-1986’と副題がついた新作『RELAPS』は初期の‘暗黒系チェンバーロック’から、リズムアンサンブルを強調した後期の‘暗黒系ジャズロック’へと変貌してゆく過渡期のライブ音源。いずれにしても‘暗黒系’である事に変わりはないが、私が熱中した『uzed』(84)は沈み込む暗黒世界にリズムのキレを導入した外向性が際立つ傑作で、もはやチェンバー(室内楽)ロックと呼べないような劇的サウンドであった。『RELAPS』は正しくこの時期の凄まじい緊張感に満ちた演奏の記録である。めっちゃ、いいよ。

その活動初期、ヘンリーカウの薫陶を受けたユニヴェル・ゼロが、その世界観や音楽のスケールに於いてカウより勝っていたとは言わないが、その音楽の味わい深さはもはや、人間味の差異とでも判定したくなるほどの感情的表現力で、‘永く聴ける’普遍性を有していたと思う。無味乾燥としたカウの実験主義は唯物史観に通じるアンチヒューマニズムや反歴史主義的な肌触りがサウンドを覆っていたが、ユニヴェル・ゼロはヨーロッパの歴史主義にも立脚する伝統の継承や物語性が濃厚にあった。その事は作品至上主義的なグループの性格にも反映されていただろう。

ユニヴェル・ゼロの物語性。
それはカウが標榜するコミュニズム・イデオロオギーに侵食されなかった事と無関係ではないと私は思っている。初期の‘暗黒’路線はなるほど、滅び行くヨーロッパの表裏の表現であっただろうし、そこには階級闘争史観による絶望や、キリスト教社会の閉塞面も併せたヨーロッパの負性を静かに暴き、表面化するビジョンもあったかもしれない。しかし、ユニヴェル・ゼロの真骨頂は外向性、そのパワーであった。『uzed』(84)、『heatwave』(86)によってグループはより楽曲主義へ傾倒し、力感を打ち出した。従って‘崩壊感’をデッサンした状況描写的なヘンリーカウの'社会主義リアリズム的'限界性をインプロヴァイズではなく、楽曲の構築的力感によって乗り越えたのだと感じる。そのヴィジョンはストランヴィスキーやショスタコーヴィチに通じる‘暗黒からの飛翔’、‘到達のマインド’である。従って比較するなら、イタリアのアレアの軌跡だろう。どっぷりと漬かった左翼イデオロギーから脱却する時、思想だけを捨て去りながら、その運動量、行動エネルギーの核だけを継続、抽出しながら音楽的昇華を成しえたアレアのような、負から正への肯定的なエネルギー転換のような発展をユニヴェル・ゼロにも感じ取る事ができるのだ。

‘崩壊感’の表現とは即ち、虚無にも繋がる。
本稿の最初に書いた‘崩壊感’は現状に対する失望と現状批判者に対する失望という二重の意味での‘崩壊感’であり、ある種の‘救いようの無さ’を表す言葉であるが、その淵の底からの回復の営為として、物語の復古と新たな道標を想像力に働きかける事が音楽の本来的パワーだろう。ユニヴェル・ゼロの音楽にはそんなパワーが漲っている事を感じる。アルバム収録の85年のライブ音源、「heatwave」の複雑怪奇なアレンジとテンションの高さに圧倒される。
ユニヴェル・ゼロの暗さを愛好する私はこの迷宮的快楽をものにしているが、そこにポジティブな福音を確かに感じる事で、音楽の力の有用性、意義を見出すのだ。

驚くべくはこのグループ、ネットを見ていたらmyspaceも設置されてあった。時代は変わった。多くの人々に聴かれるべき、真の創造者。
ネットを開くだけで、そこに漆黒の平原にそそり立つ黄金柱を見る事ができる。簡単に。「fool’s mate」で情報集めて、音源を求めて、レコード屋を捜し歩いた日々はもう昔話。
これは‘バーチュアル世界’ではない。確かな構築が始まる予感。

2009.6.4




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