満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

MEAT BEAT MANIFESTO  『AUTOIMMUNE』

2008-11-18 | 新規投稿

相変わらずめちゃくちゃカッコいい。
このカッコ良さは、クスリ的快楽と音楽的感動のバランスの上に成り立つミートビートマニフェスト特有の個性だと思っている。音楽の‘感動’が時代と共に‘快楽’にシフトしてきて、その享受のスタイルが多様化する中、ミートビートマニフェストはあらゆるリスニング環境に耐えうる音楽を創造してきた。そして快楽原則の質的多様化に対応するその基底にあるのが、私は初期から貫かれるヒップホップの精神だと感じているが、その音楽創作には単なるミニマルではなく‘楽曲’へ向かう基本姿勢が強く認められるだろう。初めにビートトラックありきというテクノの定番方法ではなく、あくまでも歌や演奏を基底に音響構築(解体)する意志に貫かれた制作はアレンジや場面転換に於ける凝縮されたアイデアを盛り込む‘凝り’を感じさせるに充分な音楽性を保持している。だからカッコいい。その意味で同時期のアメリカに存在を示したパブリックエナミーとの類似性が濃厚にあり、その音楽性に対抗するイギリスのヒップホップグループという私の認識は今も変わらない。

80年代後期に登場した時は‘エレクトロニックボディミュージック’というジャンルの中核とされていたミートビートマニフェストだが、今や‘ブレイクビーツ’や‘フューチャーテクノ’、‘ビッグビート’、‘ミニマルクリック’等々と紹介され(もう、ネーミング増えすぎ)、最近では影響を受け合っている‘ダブステップ’としてDJイングされるケースも多い。しかし、その本質は正真正銘の‘ヒップホップ’なのだ。私の言う‘ヒップホップ’とは‘楽曲性’を残存する鑑賞音楽としての核をギリギリの位置で留めたクスリ的快楽志向の音響形態の事である。

ミートビートマニフェストを聴くといつも私は音楽の快楽の一過性について感じ、考える。
音楽をまるで肉体に投与するクスリのように対処する‘現代的’リスニングはもはや音楽を聴覚任せにするのではない‘体感’に移行した人間の新しい快楽の摂取法だと感じるが、その時に快楽の一過性を真逃れない‘非―普遍性’に対しどうするのかという問いが常に発せられるだろう。いや、もはやそんな問いすら無効な感覚が蔓延している。音楽を文学作品のような一生モノとして購買、鑑賞、留意、再再生、保持、検証というサイクルに置き、自らの思惟や精神に影響という形でその質実を裡に貯め込んでいくような志向が昨今の音楽に期待できるのか。否、12インチEP等、多品種少量生産、瞬間消費というクラブミュージックの流通は無記名音楽のオリジナルをめぐる革命であった事は確かだし、その音響に含蓄ある快楽を見出し、既成の音楽的完成度なる普遍性を無にするような瞬間的刺激で勝る感覚が大量のゴミの中に見つけた宝のように存在する事もある。しかも瞬間消費財としてのテクノ/クラブミュージックの一過性とは実はマスになることで、それは一つの物語と化す。私は過去、ブリティッシュレゲエの愛好からON-Uを経過し、ルーツレゲエ、ダブのマニアと化した者だが、ダブステップと呼ばれるダブの変形たる一群のもはや、一片のアレンジさえ残存しないシンプリファイズドされ尽くした純粋機械音には正直、なじめずにいる。あまり好きではない。正にこれこそが、記録不要、所有不要な‘音響メディシン’だろう。ダブステップのCDや12インチはもはや買う必要のない音楽であり、それは一度‘体験’さえすれば事足りる。しかし一過性の単品を大量体験する事で見えてくる物語を私は否定しない。その快楽の重要度についても何となく感知し得るものだ。一体、この快楽の正体や意義は何か。
それは感性の変革を外部から促す強制性に対する免疫の強化なのだろう。
私が‘いい’と感じる音楽の範囲はたかが知れている。その保守性を内側から打破したい時、音楽に一体化すべき‘理解’に努める場合と、ひたすら感覚を広角に拡げていく‘触手’を志向する時もあるだろう。そんな時、‘ダブステップ’のような‘反―音楽’的物質は私が受容する音楽の概念を溶解しながら、ひたすら‘これも気持ちいいぞ’と迫ってくる。

さて、そんな‘音響メディシン’の効用を認めつつも私が長年、ミートビートマニフェストに別格性を認め続けてきたのは、初期のヒップホップモードにおける楽曲主義が次第にミニマル、音響系へと移行しながらも、尚、その音楽に骨格感を失わないバランス故である。全く、このグループのミュージシャンシップは凄い。確かに長き活動において音楽性を変化させ、私などは『dog star man』(88)、『storm the studio』(89)の衝撃とその永遠の輝きにヒップホップの最良質部分を見ている。いや、むしろ実感するのはミートビートマニフェストはポピュラーミュージックのメジャーシーンに立脚すべきトータルな音楽性を持ち、その意識においてポップクリエイターと変わらぬ時代要請感を継続してきた事だ。従って‘ダブステップ’要素が増した近作でも、どこか王道な響きを持つ鑑賞音楽として成立している。意味性の排除としての反復音響への批判的視点を持った構築的音響。それはもはや意味性への新たな追求とも受け取れる快楽の濃度を誇る未来音楽の姿だろうか。
ミートビートマニフェスト。何年たとうが、常に現在進行形のカッコよさを体現できるベテランユニット。20年後が楽しみだ。

2008.11.18






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