満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

JOE ZAWINUL & ZAWINUL SYNDICATE 『 75 』

2008-10-29 | 祝!ブログ開設

その突出した演奏力は、もはやアクロバットの領域に入り、私が10年ほど前に観たライブでも、サーカスの曲芸の如き圧倒的なパフォーマンスを見せつけられたものだ。しかしザウィヌルシンジケートの魅力は当然ながら演奏力のみで語られるものではなく、何よりも楽曲の良さ、或いはコンセプトやスピリットのピンポイントな基軸の明白さが、数多のテクニカル音楽の群れと一線を画す事は言うまでもない。そもそも私にはテクニカルな音楽をテクニカルだから好むという傾向は皆無であり、むしろ嫌悪感を抱くケースの方が多いのだ。多くのフュージョン音楽から教えられるのは表現力や創造力とは演奏技術の事ではないという厳然たる事実であるし、日本の多くのジャズクラブで夜毎に繰り広げられる、セミプロジャズメンによる教科書的スタンダードの辟易するような名人芸ノリの音楽からは、彼等プロを目指すミュージシャンの中に技術習得即ち仕事獲得であるという疑いなき幸福な到達点が見て取れ、その無邪気さと創造意欲の無さに驚くのである。

技術はそれを万能に示す表現力と両立しなければ、決して高度なエンターティメント性には至らない。プロでもそうだ。アレアとアルティエメステイリ、ウェザーリポートとブレッカーブラザーズ、ソフトマシーンとブランドX、パットメセニーとスコットヘンダーソン、ギルエバンスオーケストラとGRPオーケストラ、ザウィヌルシンジケートとチックコリアエレクトリックバンド等の、それぞれの巨大な差はひとえにテクニックをめぐる感性や思考の巨大な差としか言いようがない程の音楽性の優劣を決定していると決めつけても大げさではない。

とは言え、ザウィヌルシンジケートの『75 last birthday live』に対し、「やった。やったぜ。やってくれた!」と思わず叫びそうになる程、狂喜したのは、ザウィヌル名義にしたのが間違いだったとしか言いようがない『brown street』(07)のあまりの凡庸さのせいだった。
当ブログでも以前、酷評してしまったあのアルバムが出た直後に、ジョーザウィヌルは他界した。享年75才。マイルス亡き後のジャズを牽引し、その衰え知らずな創造力は殆ど独走的ですらあったか。ザウィヌルシンジケートはジャンルを超えた音楽界の奇跡的なバンドであり、その高みにはあらゆる先鋭的なもの、大衆的な音楽要素が共存する。ザウィヌルの音楽性の風貌は嘗てのマイルスデイビスを彷彿とさせるほどの巨星と私には映る。

『75 last birthday live』は二枚組の大作。核弾頭、パコセリー(ds)がバンドを引っ張り、全編に渡る一大スペクタクル、音楽絵巻が繰り広げられる。その音楽世界はウェザーやクリムゾン、マグマなどに通じる70年代的な大きな物語を再現するような壮大さを持っている。しかし、今更ながら思うのはザウィヌルが各器楽パートの演奏の音色に対する感覚を研ぎ澄まし続けてきた事だ。時代性への嗅覚だろうか。特にホーン奏者を擁しなかったザウィヌルシンジケートにおいて、リードをとる自らのキーボードの音色に対する鋭角な感覚はウェザーリポート時代に増してそのエッジの効いたインパクトをもたらせた。それが多くのキーボード奏者の古色蒼然としたセンスと違い、例えばサンプリングエイジのフィールドに照らし合わしても遜色ない切れ味と現代的感性をグループが纏っている印象につながっていると思う。音色のエッジさがバンドのミニマルなグルーブの要素になっていると私は感じている。

そしてもはや独壇場なのが、そのエスノ風味だ。いや、こればかりは風味などという生半可なものではない。ザウィヌルにとってアフリカとは、彼がジャズに感化されたウィーン時代から意識下において触手を伸ばすべき外国文化そのものだったのだろう。1950年代にアメリカに渡り、ビバップでスタートした時、そもそもザウィヌルにとってアメリカジャズ自体が‘エスノミュージック’だった。‘黒人以上にスウィングする奴’と評価されたキャノンボールアダレイ時代のザウィヌルは既にジャズの中のアフリカを鮮明に視ていた。その感性はその後、エスノアコースティックに向かうのではなく、エレクトリックに転じて逆に顕在化した。ウェザー時代に確立した宇宙的で民族的な独自世界はザウィヌルシンジケートにおいて、より大地定着的なリズムアンサンブルへ変化し、もはや地球の内奥へ向かう旅のような新しい宇宙観を醸し出すような音楽性に至る。従って多くの白人ミュージシャンが間借りするように拝借する‘エスノ’要素をザウィヌルは確実に内在化し血肉化してみせた。パコセリーやリチャードボナというアフリカンをグループ内部に持て余さず、むしろバンドのコンセプトに従わせながら、彼等の持ち味を最大限に引き出すという荒業をなし得たのも、ザウィヌルの‘エスノ’への感覚的掌握の証しであり、それは結果的にジャズの本質に対する理解度の表れと言って良いのかも知れない。

ザウィヌルミュージックの集大成となった『75 last birthday live』。ここには彼の最良部分があり、ラストアルバムにふさわしい内容を誇る。しかも、嘗ての盟友、ウェインショーターがゲスト参加した「in a silent way」を挿入収録した事で同作品は真の意味での追悼作品となった。

2008.10.29







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