満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

Five Corners Quintet 『CHASIN' THE JAZZ GONE BY』

2007-06-07 | 新規投稿

ロックフリークであった古い友人、林に10年ぶりに街でばったり会った。
嘗ての仲間。関係が自然消滅してからもずっと彼の事は気にしていた。大切な友人だった。同じ意識、悩みを共有していた。何かしらの焦燥感、もがく感覚の日常を共通意識として私達はつき合っていた。そんな彼は私にとって同志であっただろう。ネオアコ、スミス、マンチェスター以降のUKロック全般を愛していた。そんな林は今、意外にもハードバップにはまっているという。

「俺が薦めるジャズとかは全然、見向きもせんかったくせに」
私の嫌みに対し「宮本さんとは好みが違う。50年代がメインやから。アシッドジャズ聴いてたのは過去の汚点」と言い切った。

ビバップからハードバップ、モード、クール等のジャズの様式美はその後のフリーやエレクトリック等よりも、大いなる普遍性を持つ不滅の形、原型質的なものなのだろう。あの型を目指すジャズは今でも掃いて捨てるほど、ある。しかしサマになっているのが少ないのも事実だろう。そして古いジャズには新しいリスナーが途絶えることなく増え続ける。興味深いのはその傾向が本場、アメリカではなく、ヨーロッパや日本において顕著であるという事だ。
北欧フィンランドのTHE FIVE CORNERS QUINTETは‘古き良きジャズ’へのストレートな愛情をてらいもなく表現したグループ。しかしアメリカのいわゆる新伝承派などと呼ばれるジャズ群よりも、幾倍も素晴らしいと感じるのは、そのスタイリッシュさの徹底性故だろうか。このグループはクラバー、DJ達に支持され、人気が拡がっているらしい。しかしクラブジャズなどというと瞬間的に拒否反応を示す私のような偏屈者さえも納得させてしまうその圧倒的な快楽空間がある。なるほどビートはモダンだ。黒人ジャズのポリリズムではない機械的な反復ビート。そのジャストなタイム感のミニマル的高揚感はイージーだがカッコいい。踊れるね。しかも聴ける。白人のウェストコーストジャズが規範になっているのだろう。

制作者が自ら‘レトロな企画’と言うその確信犯な業はその徹底性と完成度でもってプラ
スイメージへと転じている。全く中途半端ではない。マークマーフィーがゲストボーカ
ル。このわざとらしい話題作りも、音楽的な完璧さで結果オーライ。隙が無いね、憎いほど。

ルサンチマンやら郷愁感、攻撃性に満ちた若い頃、そんな不安定な自分の内面を代弁し、違和感を世界へと一緒に対峙させるような共闘仲間としての音楽達が大切なものだった。そこにこそ快楽を見出していた。そんな聴き方をした時期が少なからずあった。しかしそんなある日、B.E.F / Heaven 17を聴いてその軽快さとスタイリッシュな音楽の美しさにクラクラして、重いものが取れたような、アカが落とされたような何とも爽快な気分に包まれた事を憶えている。そのダンスミュージックの知的な様式美は私の感性を拡大したと思う。THE FIVE CORNERS QUINTETはあの時を私に思い出させた音楽だ。

BLUE NOTEのアナログ盤の収集にも熱心な林。THE FIVE CORNERS QUINTETは聴いていないと言う。「いや、本物を聴いているので。そんなんは聴く気がしない。」

私達は近々ゆっくり会う事を約束した。偶然会えたのも何かの縁だろう。あの頃から見れば生活が一変し、一段落ついた私の新たな人つき合いとしての旧友との再会だと信じた。しかし林はその後、連絡をくれない。こっちが電話してもつれない返事。ふられたなと思った。ばったり会った時、子連れだった私を見る林の複雑な表情を思い返す。私の生活はこの10年で変わり、彼は変わっていない。いや、わかるが。しかし。

林の闘いは今も続いていた。スミスやレディオヘッドの延長としてハードバップがあるんだろう。スタイリッシュなものを求める心境とその引力から敢えて離反する心意気が私達にはあったよな。確かに。でも林よ、THE FIVE CORNERS QUINTETにも心意気はあるんだぜ。いっぺん聴いてみろよ。

2007.6.4
 
コメント
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