海外でこのような事件が起こると、
「国民を守るのが政府の責務であるので、
何があろうと、如何なる手段を採ろうとも、救出すべきである。」
と
「頼みもしないのに、勝手に海外の危険な場所へ行っているのである。
政府としてはむしろ迷惑である。
自己責任で行動すべきである。」
との両意見に論議が分かれる。
後者の「自己責任論」が強くなってきたのは
イラクで4人のNGOやカメラマンが誘拐されてから。
最初は政府の動きの遅さに非難が高まっていたものが、
残された家族達の政府批判の一部が繰り返しマスコミで流されてから
その非難の矛先は「行動の遅い政府」から「その政府を責める家族」
に移っていった、そして
「誘拐されんのは、危険な場所に勝手に行った本人が悪い」
と世論は変わって行き、彼らが無事日本に帰って来た時の騒動ときたら。
すっかり「犯人扱い」、一部では共謀説なんかも出たくらい。
本来非難されるべき、稚拙な外務省に対する非難は何時の間にかすっかり消えていた。
この時、政府によって、自らへの非難をかわすべく、
被害者達への自己責任論が巻き起こるべく、
意図的に情報をリークし、マスコミ操作、
そして世論を形成していった、
というのはもはや常識として語られている。
今回の事件においても相変わらず、
情報収集力も、交渉ルートも、行動力も持ち合わせていない
政府と外務省、
しかし、あの時の世論操作のお陰で、目立った政府批判は巻き起こっていない。
よかったね康夫ちゃん!
でも全然良くないのは拉致された伊藤和也さんである。
一刻も早い無事救出を願う。
しかし忘れていけないのは
最も悪いのは、勿論伊藤さんを拉致誘拐した犯人達であるという事。
一人の人間の自由を奪う事について、どんな大義名分があろうと許されるものではない。
それがもし宗教による教えであるもなら、
紛う事なき「邪教」であると、筆者は断言する。
「国民を守るのが政府の責務であるので、
何があろうと、如何なる手段を採ろうとも、救出すべきである。」
と
「頼みもしないのに、勝手に海外の危険な場所へ行っているのである。
政府としてはむしろ迷惑である。
自己責任で行動すべきである。」
との両意見に論議が分かれる。
後者の「自己責任論」が強くなってきたのは
イラクで4人のNGOやカメラマンが誘拐されてから。
最初は政府の動きの遅さに非難が高まっていたものが、
残された家族達の政府批判の一部が繰り返しマスコミで流されてから
その非難の矛先は「行動の遅い政府」から「その政府を責める家族」
に移っていった、そして
「誘拐されんのは、危険な場所に勝手に行った本人が悪い」
と世論は変わって行き、彼らが無事日本に帰って来た時の騒動ときたら。
すっかり「犯人扱い」、一部では共謀説なんかも出たくらい。
本来非難されるべき、稚拙な外務省に対する非難は何時の間にかすっかり消えていた。
この時、政府によって、自らへの非難をかわすべく、
被害者達への自己責任論が巻き起こるべく、
意図的に情報をリークし、マスコミ操作、
そして世論を形成していった、
というのはもはや常識として語られている。
今回の事件においても相変わらず、
情報収集力も、交渉ルートも、行動力も持ち合わせていない
政府と外務省、
しかし、あの時の世論操作のお陰で、目立った政府批判は巻き起こっていない。
よかったね康夫ちゃん!
でも全然良くないのは拉致された伊藤和也さんである。
一刻も早い無事救出を願う。
しかし忘れていけないのは
最も悪いのは、勿論伊藤さんを拉致誘拐した犯人達であるという事。
一人の人間の自由を奪う事について、どんな大義名分があろうと許されるものではない。
それがもし宗教による教えであるもなら、
紛う事なき「邪教」であると、筆者は断言する。