夕刊/金田ヒサ

THE RAMBLINGSのフロントマンが贈る漂流記

タイムカプセル

2010-12-10 | Weblog
「佐々木一直」

この名前を知っている方は相当のランブリングス通。

(ランブリングス通なんていねーよ!笑)

佐々木は熊本時代に「Odessey」という

インディーズ・バンドの活動を伝える自主製作雑誌を

立ち上げて活動していた友人であり音楽仲間でね。

渋谷さんの音楽誌ロッキン・オンに触発されてた。

確か渋谷さんも学生時代に立ち上げたんじゃないかな?

同じ大学で知り合った彼とは酒を酌み交わしながら

毎日のように朝まで音楽談義を繰り返したものだ。

(くだらん話しも山のようにしたけどね。)

今でこそ身分不相応だがバンドをサポートしてくれる

うるさいマネージャーやスタッフがいるけれど(笑)。

(毎度、面倒かけて申し訳ないッス。)

当時は誰もいなくて佐々木がよく手伝ってくれたんだ。

客も理解者も殆どいない俺には有り難い存在だったよ。

卒業後、関東に拠点を移して再開した数年後

1stアルバム「快楽のどん底」をリリースする際に

既に広島で家業を継いでいた佐々木に音源を送りつけ

半ば強引にライナー・ノートを書いてもらったんだよ。

やっぱり俺達をわかっている人に書いてもらいたくてさ。

そうとなれば佐々木しかいねぇじゃんって即決(苦笑)。

今でもライナーを書いてもらって良かったと思ってる。

五十路一直線の俺が、あらためて読み返すとあのライナーは

タイムカプセルのような意味を持っているように感じる。

それは書いた本人はどう思うかはわからないけれど。

という訳で佐々木一直は熊本時代のランブリングスに

引っ張り回された最初の被害者でなのでありました(笑)。



昨夜そんな佐々木一直と十年数年振りに

電話で短い会話をしたのでありました。

先月のクロウダディのライヴに静岡から観に来てくれた

ランブリングス初期のギタリスト平尾マサシに

携帯アドレスを教えてもらったんでかけてみたのよ。

もちろん今では守るべき家族を持ち会社経営に

日々奮闘している佐々木一直が電話の向こうに

いた訳なんだけど学生時代と全く変わらぬ声に

妙に懐かしさが込み上げてきた。

本当に変わらぬ声だったからさ。

普通はそうなのかな?

俺はいまだに変声期・・・だから。

佐々木は一年前にランブリングス存命を知ったらしい。

ハハッ、インターネットっての力って凄いのね。

「ワシはずっと夢は小さくと生きてきたからの~。」

佐々木が俺に言った言葉が印象的であった。

俺は彼にこう伝えた。

「死ぬなよ佐々木、生き延びようぜ。」



いつか彼にまた新しいライナー・ノートを

書いてもらいたいと思った夜であった。
コメント (3)
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