連載小説「グッド・バイ(完結編)」8

2016-03-23 10:06:15 | グッド・バイ(完結編)

(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。
   第13回目までは太宰治が書いたものです。


・怪力 (一)

 しかし、田島だって、もともとただものでは無いのである。闇商売の手伝いをして、一挙に数十万は楽にもうけるという、いわば目から鼻に抜けるほどの才物であった。
 キヌ子にさんざんムダ使いされて、黙って海容の美徳を示しているなんて、とてもそんな事の出来る性格ではなかった。何か、それ相当のお返しをいただかなければ、どうしたって、気がすまない。
 あんちきしょう! 生意気だ。ものにしてやれ。
 別離の行進は、それから後の事だ。まず、あいつを完全に征服し、あいつを遠慮深くて従順で質素で小食の女に変化させ、しかるのちにまた行進を続行する。いまのままだと、とにかく金がかかって、行進の続行が不可能だ。
 勝負の秘訣。敵をして近づかしむべからず、敵に近づくべし。
 彼は、電話の番号帳により、キヌ子のアパートの所番地を調べ、ウイスキイ一本とピイナツを二袋だけ買い求め、腹がへったらキヌ子に何かおごらせてやろうという下心、そうしてウイスキイをがぶがぶ飲んで、酔いつぶれた振りをして寝てしまえば、あとは、こっちのものだ。だいいち、ひどく安上りである。部屋代も要らない。
 女に対して常に自信満々の田島ともあろう者が、こんな乱暴な恥知らずの、エゲツない攻略の仕方を考えつくとは、よっぽど、かれ、どうかしている。あまりに、キヌ子にむだ使いされたので、狂うような気持になっているのかも知れない。色慾のつつしむべきも、さる事ながら、人間あんまり金銭に意地汚くこだわり、モトを取る事ばかりあせっていても、これもまた、結果がどうもよくないようだ。
 田島は、キヌ子を憎むあまりに、ほとんど人間ばなれのしたケチな卑しい計画を立て、果して、死ぬほどの大難に逢うに到った。
 夕方、田島は、世田谷のキヌ子のアパートを捜し当てた。古い木造の陰気くさい二階建のアパートである。キヌ子の部屋は、階段をのぼってすぐ突当りにあった。
 ノックする。
「だれ?」
 中から、れいの鴉声。
 ドアをあけて、田島はおどろき、立ちすくむ。
 乱雑。悪臭。
 ああ、荒涼。四畳半。その畳の表は真黒く光り、波の如く高低があり、縁なんてその痕跡をさえとどめていない。部屋一ぱいに、れいのかつぎの商売道具らしい石油かんやら、りんご箱やら、一升ビンやら、何だか風呂敷に包んだものやら、鳥かごのようなものやら、紙くずやら、ほとんど足の踏み場も無いくらいに、ぬらついて散らばっている。
「なんだ、あなたか。なぜ、来たの?」
 そのまた、キヌ子の服装たるや、数年前に見た時の、あの乞食姿、ドロドロによごれたモンペをはき、まったく、男か女か、わからないような感じ。
 部屋の壁には、無尽会社の宣伝ポスター、たった一枚、他にはどこを見ても装飾らしいものがない。カーテンさえ無い。これが、二十五、六の娘の部屋か。小さい電球が一つ暗くともって、ただ荒涼。

連載小説「グッド・バイ(完結編)」7

2016-03-22 09:23:29 | グッド・バイ(完結編)

(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。
   第13回目までは太宰治が書いたものです。


・行進 (五)

 セットの終ったころ、田島は、そっとまた美容室にはいって来て、一すんくらいの厚さの紙幣のたばを、美容師の白い上衣のポケットに滑りこませ、ほとんど祈るような気持で、
「グッド・バイ。」
 とささやき、その声が自分でも意外に思ったくらい、いたわるような、あやまるような、優しい、哀調に似たものを帯びていた。
 キヌ子は無言で立上る。青木さんも無言で、キヌ子のスカートなど直してやる。田島は、一足さきに外に飛び出す。
 ああ、別離は、くるしい。
 キヌ子は無表情で、あとからやって来て、
「そんなに、うまくも無いじゃないの。」
「何が?」
「パーマ。」
 バカ野郎! とキヌ子を怒鳴ってやりたくなったが、しかし、デパートの中なので、こらえた。青木という女は、他人の悪口など決して言わなかった。お金もほしがらなかったし、よく洗濯もしてくれた。
「これで、もう、おしまい?」
「そう。」
 田島は、ただもう、やたらにわびしい。
「あんな事で、もう、わかれてしまうなんて、あの子も、意久地が無いね。ちょっと、べっぴんさんじゃないか。あのくらいの器量なら、……」
「やめろ! あの子だなんて、失敬な呼び方は、よしてくれ。おとなしいひとなんだよ、あのひとは。君なんかとは、違うんだ。とにかく、黙っていてくれ。君のその鴉の声みたいなのを聞いていると、気が狂いそうになる。」
「おやおや、おそれいりまめ。」
 わあ! 何というゲスな駄じゃれ。全く、田島は気が狂いそう。
 田島は妙な虚栄心から、女と一緒に歩く時には、彼の財布を前以て女に手渡し、もっぱら女に支払わせて、彼自身はまるで勘定などに無関心のような、おうようの態度を装うのである。しかし、いままで、どの女も、彼に無断で勝手な買い物などはしなかった。
 けれども、おそれいりまめ女史は、平気でそれをやった。デパートには、いくらでも高価なものがある。堂々と、ためらわず、いわゆる高級品を選び出し、しかも、それは不思議なくらい優雅で、趣味のよい品物ばかりである。
「いい加減に、やめてくれねえかなあ。」
「ケチねえ。」
「これから、また何か、食うんだろう?」
「そうね、きょうは、我慢してあげるわ。」
「財布をかえしてくれ。これからは、五千円以上、使ってはならん。」
 いまは、虚栄もクソもあったものでない。
「そんなには、使わないわ。」
「いや、使った。あとでぼくが残金を調べてみれば、わかる。一万円以上は、たしかに使った。こないだの料理だって安くなかったんだぜ。」
「そんなら、よしたら、どう? 私だって何も、すき好んで、あなたについて歩いているんじゃないわよ。」
 脅迫にちかい。
 田島は、ため息をつくばかり。

連載小説「グッド・バイ(完結編)」6

2016-03-21 08:40:02 | グッド・バイ(完結編)
(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。
   第13回目までは太宰治が書いたものです。


・行進 (四)

 キヌ子のアパートは、世田谷方面にあって、朝はれいの、かつぎの商売に出るので、午後二時以後なら、たいていひまだという。田島は、そこへ、一週間にいちどくらい、みなの都合のいいような日に、電話をかけて連絡をして、そうしてどこかで落ち合せ、二人そろって別離の相手の女のところへ向って行進することをキヌ子と約す。
 そうして、数日後、二人の行進は、日本橋のあるデパート内の美容室に向って開始せられる事になる。
 おしゃれな田島は、一昨年の冬、ふらりとこの美容室に立ち寄って、パーマネントをしてもらった事がある。そこの「先生」は、青木さんといって三十歳前後の、いわゆる戦争未亡人である。ひっかけるなどというのではなく、むしろ女のほうから田島について来たような形であった。青木さんは、そのデパートの築地の寮から日本橋のお店にかよっているのであるが、収入は、女ひとりの生活にやっとというところ。そこで、田島はその生活費の補助をするという事になり、いまでは、築地の寮でも、田島と青木さんとの仲は公認せられている。
 けれども、田島は、青木さんの働いている日本橋のお店に顔を出す事はめったに無い。田島の如きあか抜けた好男子の出没は、やはり彼女の営業を妨げるに違いないと、田島自身が考えているのである。
 それが、いきなり、すごい美人を連れて、彼女のお店にあらわれる。
「こんちは。」というあいさつさえも、よそよそしく、「きょうは女房を連れて来ました。疎開先から、こんど呼び寄せたのです。」
 それだけで十分。青木さんも、目もと涼しく、肌が白くやわらかで、愚かしいところの無いかなりの美人ではあったが、キヌ子と並べると、まるで銀の靴と兵隊靴くらいの差があるように思われた。
 二人の美人は、無言で挨拶を交した。青木さんは、既に卑屈な泣きべそみたいな顔になっている。もはや、勝敗の数は明かであった。
 前にも言ったように、田島は女に対して律儀な一面も持っていて、いまだ女に、自分が独身だなどとウソをついた事が無い。田舎に妻子を疎開させてあるという事は、はじめから皆に打明けてある。それが、いよいよ夫の許に帰って来た。しかも、その奥さんたるや、若くて、高貴で、教養のゆたからしい絶世の美人。
 さすがの青木さんも、泣きべそ以外、てが無かった。
「女房の髪をね、一つ、いじってやって下さい。」と田島は調子に乗り、完全にとどめを刺そうとする。「銀座にも、どこにも、あなたほどの腕前のひとは無いってうわさですからね。」
 それは、しかし、あながちお世辞でも無かった。事実、すばらしく腕のいい美容師であった。
 キヌ子は鏡に向って腰をおろす。
 青木さんは、キヌ子に白い肩掛けを当て、キヌ子の髪をときはじめ、その眼には、涙が、いまにもあふれ出るほど一ぱい。
 キヌ子は平然。
 かえって、田島は席をはずした。

連載小説「グッド・バイ(完結編)」5

2016-03-20 13:11:05 | グッド・バイ(完結編)
(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。
   第13回目までは太宰治が書いたものです。


・行進 (三)

 田島は敵の意外の鋭鋒にたじろぎながらも、
「そうさ、全くなってやしないから、君にこうして頼むんだ。往生しているんだよ。」
「何もそんな、めんどうな事をしなくても、いやになったら、ふっとそれっきりあわなければいいじゃないの。」
「そんな乱暴な事は出来ない。相手の人たちだって、これから、結婚するかも知れないし、また、新しい愛人をつくるかも知れない。相手のひとたちの気持をちゃんときめさせるようにするのが、男の責任さ。」
「ぷ! とんだ責任だ。別れ話だの何だのと言って、またイチャつきたいのでしょう? ほんとに助平そうなツラをしている。」
「おいおい、あまり失敬な事を言ったら怒るぜ。失敬にも程度があるよ。食ってばかりいるじゃないか。」
「キントンが出来ないかしら。」
「まだ、何か食う気かい? 胃拡張とちがうか。病気だぜ、君は。いちど医者に見てもらったらどうだい。さっきから、ずいぶん食ったぜ。もういい加減によせ。」
「ケチねえ、あなたは。女は、たいてい、これくらい食うの普通だわよ。もうたくさん、なんて断っているお嬢さんや何か、あれは、ただ、色気があるから体裁をとりつくろっているだけなのよ。私なら、いくらでも、食べられるわよ。」
「いや、もういいだろう。ここの店は、あまり安くないんだよ。君は、いつも、こんなにたくさん食べるのかね。」
「じょうだんじゃない。ひとのごちそうになる時だけよ。」
「それじゃね、これから、いくらでも君に食べさせるから、ぼくの頼み事も聞いてくれ。」
「でも、私の仕事を休まなければならないんだから、損よ。」
「それは別に支払う。君のれいの商売で、儲けるぶんくらいは、その都度きちんと支払う。」
「ただ、あなたについて歩いていたら、いいの?」
「まあ、そうだ。ただし、条件が二つある。よその女のひとの前では一言も、ものを言ってくれるな。たのむぜ。笑ったり、うなずいたり、首を振ったり、まあ、せいぜいそれくらいのところにしていただく。もう一つは、ひとの前で、ものを食べない事。ぼくと二人きりになったら、そりゃ、いくら食べてもかまわないけど、ひとの前では、まずお茶一ぱいくらいのところにしてもらいたい。」
「その他、お金もくれるんでしょう? あなたは、ケチで、ごまかすから。」
「心配するな。ぼくだって、いま一生懸命なんだ。これが失敗したら、身の破滅さ。」
「フクスイの陣って、とこね。」
「フクスイ? バカ野郎、ハイスイ(背水)の陣だよ。」
「あら、そう?」
 けろりとしている。田島は、いよいよ、にがにがしくなるばかり。しかし、美しい。りんとして、この世のものとも思えぬ気品がある。
 トンカツ。鶏のコロッケ。マグロの刺身。イカの刺身。支那そば。ウナギ。よせなべ。牛の串焼。にぎりずしの盛合せ。海老サラダ。イチゴミルク。
 その上、キントンを所望とは。まさか女は誰でも、こんなに食うまい。いや、それとも?

連載小説「グッド・バイ(完結編)」4

2016-03-19 10:20:05 | グッド・バイ(完結編)
(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。
   第13回目までは太宰治が書いたものです。



・行進 (二)

 馬子にも衣裳というが、ことに女は、その装い一つで、何が何やらわけのわからぬくらいに変る。元来、化け物なのかも知れない。しかし、この女(永井キヌ子という)のように、こんなに見事に変身できる女も珍らしい。
「さては、相当ため込んだね。いやに、りゅうとしてるじゃないか。」
「あら、いやだ。」
 どうも、声が悪い。高貴性も何も、一ぺんに吹き飛ぶ。
「君に、たのみたい事があるのだがね。」
「あなたは、ケチで値切ってばかりいるから、……」
「いや、商売の話じゃない。ぼくはもう、そろそろ足を洗うつもりでいるんだ。君は、まだ相変らず、かついでいるのか。」
「あたりまえよ。かつがなきゃおまんまが食べられませんからね。」
 言うことが、いちいちゲスである。
「でも、そんな身なりでも無いじゃないか。」
「そりゃ、女性ですもの。たまには、着飾って映画も見たいわ。」
「きょうは、映画か?」
「そう。もう見て来たの。あれ、何ていったかしら、アシクリゲ、……」
「膝栗毛だろう。ひとりでかい?」
「あら、いやだ。男なんて、おかしくって。」
「そこを見込んで、頼みがあるんだ。一時間、いや、三十分でいい、顔を貸してくれ。」
「いい話?」
「君に損はかけない。」
 二人ならんで歩いていると、すれ違うひとの十人のうち、八人は、振りかえって、見る。田島を見るのでは無く、キヌ子を見るのだ。さすが好男子の田島も、それこそすごいほどのキヌ子の気品に押されて、ゴミっぽく、貧弱に見える。
 田島はなじみの闇の料理屋へキヌ子を案内する。
「ここ、何か、自慢の料理でもあるの?」
「そうだな、トンカツが自慢らしいよ。」
「いただくわ。私、おなかが空いてるの。それから、何が出来るの?」
「たいてい出来るだろうけど、いったい、どんなものを食べたいんだい。」
「ここの自慢のもの。トンカツの他に何か無いの?」
「ここのトンカツは、大きいよ。」
「ケチねえ。あなたは、だめ。私奥へ行って聞いて来るわ。」
 怪力、大食い、これが、しかし、全くのすごい美人なのだ。取り逃がしてはならぬ。
 田島はウイスキイを飲み、キヌ子のいくらでもいくらでも澄まして食べるのを、すこぶるいまいましい気持でながめながら、彼のいわゆる頼み事について語った。キヌ子は、ただ食べながら、聞いているのか、いないのか、ほとんど彼の物語りには興味を覚えぬ様子であった。
「引受けてくれるね?」
「バカだわ、あなたは。まるでなってやしないじゃないの。」

連載小説「グッド・バイ(完結編)」3

2016-03-18 09:49:00 | グッド・バイ(完結編)
(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。



・行進 (一)

 田島は、やってみる気になった。しかし、ここにも難関がある。
 すごい美人。醜くてすごい女なら、電車の停留場の一区間を歩く度毎に、三十人くらいは発見できるが、すごいほど美しい、という女は、伝説以外に存在しているものかどうか、疑わしい。
 もともと田島は器量自慢、おしゃれで虚栄心が強いので、不美人と一緒に歩くと、にわかに腹痛を覚えると称してこれを避け、かれの現在のいわゆる愛人たちも、それぞれかなりの美人ばかりではあったが、しかし、すごいほどの美人、というほどのものは無いようであった。
 あの雨の日に、初老の不良文士の口から出まかせの「秘訣」をさずけられ、何のばからしいと内心一応は反撥してみたものの、しかし、自分にも、ちっとも名案らしいものは浮ばない。
 まず、試みよ。ひょっとしたらどこかの人生の片すみに、そんなすごい美人がころがっているかも知れない。眼鏡の奥のかれの眼は、にわかにキョロキョロいやらしく動きはじめる。
 ダンス・ホール。喫茶店。待合。いない、いない。醜くてすごいものばかり。オフィス、デパート、工場、映画館、はだかレヴュウ。いるはずが無い。女子大の校庭のあさましい垣のぞきをしたり、ミス何とかの美人競争の会場にかけつけたり、映画のニューフェースとやらの試験場に見学と称してまぎれ込んだり、やたらと歩き廻ってみたが、いない。
 獲物は帰り道にあらわれる。
 かれはもう、絶望しかけて、夕暮の新宿駅裏の闇市をすこぶる憂鬱な顔をして歩いていた。彼のいわゆる愛人たちのところを訪問してみる気も起らぬ。思い出すさえ、ぞっとする。別れなければならぬ。
「田島さん!」
 出し抜けに背後から呼ばれて、飛び上らんばかりに、ぎょっとした。
「ええっと、どなただったかな?」
「あら、いやだ。」
 声が悪い。鴉声というやつだ。
「へえ?」
 と見直した。まさに、お見それ申したわけであった。
 彼は、その女を知っていた。闇屋、いや、かつぎ屋である。彼はこの女と、ほんの二、三度、闇の物資の取引きをした事があるだけだが、しかし、この女の鴉声と、それから、おどろくべき怪力に依って、この女を記憶している。やせた女ではあるが、十貫は楽に背負う。さかなくさくて、ドロドロのものを着て、モンペにゴム長、男だか女だか、わけがわからず、ほとんど乞食の感じで、おしゃれの彼は、その女と取引きしたあとで、いそいで手を洗ったくらいであった。
 とんでもないシンデレラ姫。洋装の好みも高雅。からだが、ほっそりして、手足が可憐に小さく、二十三、四、いや、五、六、顔は愁いを含んで、梨の花の如く幽かに青く、まさしく高貴、すごい美人、これがあの十貫を楽に背負うかつぎ屋とは。
 声の悪いのは、傷だが、それは沈黙を固く守らせておればいい。
 使える。

連載小説「グッド・バイ(完結編)」2

2016-03-17 21:26:26 | グッド・バイ(完結編)
(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。


・変心 (二)

 田島は、泣きべその顔になる。思えば、思うほど、自分ひとりの力では、到底、処理の仕様が無い。金ですむ事なら、わけないけれども、女たちが、それだけで引下るようにも思えない。
「いま考えると、まるで僕は狂っていたみたいなんですよ。とんでもなく、手をひろげすぎて、……」
 この初老の不良文士にすべて打ち明け、相談してみようかしらと、ふと思う。
「案外、殊勝な事を言いやがる。もっとも、多情な奴に限って奇妙にいやらしいくらい道徳におびえて、そこがまた、女に好かれる所以でもあるのだがね。男振りがよくて、金があって、若くて、おまけに道徳的で優しいと来たら、そりゃ、もてるよ。当り前の話だ。お前のほうでやめるつもりでも、先方が承知しないぜ、これは。」
「そこなんです。」
 ハンケチで顔を拭く。
「泣いてるんじゃねえだろうな。」
「いいえ、雨で眼鏡の玉が曇って、……」
「いや、その声は泣いてる声だ。とんだ色男さ。」
 闇商売の手伝いをして、道徳的も無いものだが、その文士の指摘したように、田島という男は、多情のくせに、また女にへんに律儀な一面も持っていて、女たちは、それ故、少しも心配せずに田島に深くたよっているらしい様子。
「何か、いい工夫が無いものでしょうか。」
「無いね。お前が五、六年、外国にでも行って来たらいいだろうが、しかし、いまは簡単に洋行なんか出来ない。いっそ、その女たちを全部、一室に呼び集め、蛍の光でも歌わせて、いや、仰げば尊し、のほうがいいかな、お前が一人々々に卒業証書を授与してね、それからお前は、発狂の真似をして、まっぱだかで表に飛び出し、逃げる。これなら、たしかだ。女たちも、さすがに呆れて、あきらめるだろうさ。」
 まるで相談にも何もならぬ。
「失礼します。僕は、あの、ここから電車で、……」
「まあ、いいじゃないか。つぎの停留場まで歩こう。何せ、これは、お前にとって重大問題だろうからな。二人で、対策を研究してみようじゃないか。」
 文士は、その日、退屈していたものと見えて、なかなか田島を放さぬ。
「いいえ、もう、僕ひとりで、何とか、……」
「いや、いや、お前ひとりでは解決できない。まさか、お前、死ぬ気じゃないだろうな。実に、心配になって来た。女に惚れられて、死ぬというのは、これは悲劇じゃない、喜劇だ。いや、ファース(茶番)というものだ。滑稽の極だね。誰も同情しやしない。死ぬのはやめたほうがよい。うむ、名案。すごい美人を、どこからか見つけて来てね、そのひとに事情を話し、お前の女房という形になってもらって、それを連れて、お前のその女たち一人々々を歴訪する。効果てきめん。女たちは、皆だまって引下る。どうだ、やってみないか。」
 おぼれる者のワラ。田島は少し気が動いた。

連載小説「グッド・バイ(完結編)」1

2016-03-16 13:00:59 | グッド・バイ(完結編)
 前回の投稿に「fridge」という短編小説を載せ、それは太宰治「令嬢アユ」へのオマージュみたいなものでもあると書きました。そして「こういういかにもな文体で何かを書くことはもうないと思う」と書きました。
 「fridge」を書いたのは15年以上前のことで、「令嬢アユ」を読んだのは20年以上前のことです。
 当時の僕も手放しに「太宰治が好き」という感じではありませんでしたが、もちろん強くフックするものがあって、それはもしかすると十代後半から二十歳前後にかけての人間だけが持ち得る感覚だったのかもしれません。
 太宰は38歳で自殺していて、僕はもう37歳で、正直はところ太宰治に対して「ちょっとそれは、、、」と思うことはたくさんあります。
 それでも彼がある重石を僕の中に置いたことは確かで、あることを5,6年前から考えていました。
 「グッド・バイ」の続きを書くというものです。
 「グッド・バイ」は太宰治の最後の作品で、そして未完の作品です。
 1948年の5月15日、「人間失格」脱稿の5日後から執筆を開始して、6月13日に連載13回目までを書いて自殺しています。
 続きを書きたいのかと言われるとどうも良くは分からないし、構想が別にあるわけでもなく、他に書きたいこともあるし、何より気が引けて躊躇われるし、でも、どうにもこれを終えてしまわないとすっきりしません。
 まず重石を取り去らなければ、僕がそれなりには発酵させて来た漬物を取り出すことは難しいようです。
 それ故に書くことにしました。
 連載の形態で書きます。もちろん13回目までは太宰治の書いた原稿そのままです。13日間は助けてもらう形になります。

 先日、三鷹まで太宰治の墓参りに行って、自分でも驚きましたが、そういうことを言いました。
 たぶん、大丈夫。では。
 
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 「グッド・バイ(完結編)」:1

・変心 (一)

 文壇の、或る老大家が亡くなって、その告別式の終り頃から、雨が降りはじめた。早春の雨である。
 その帰り、二人の男が相合傘で歩いている。いずれも、その逝去した老大家には、お義理一ぺん、話題は、女に就いての、極めて不きんしんな事。紋服の初老の大男は、文士。それよりずっと若いロイド眼鏡、縞ズボンの好男子は、編集者。
「あいつも、」と文士は言う。「女が好きだったらしいな。お前も、そろそろ年貢のおさめ時じゃねえのか。やつれたぜ。」
「全部、やめるつもりでいるんです。」
 その編集者は、顔を赤くして答える。
 この文士、ひどく露骨で、下品な口をきくので、その好男子の編集者はかねがね敬遠していたのだが、きょうは自身に傘の用意が無かったので、仕方なく、文士の蛇の目傘にいれてもらい、かくは油をしぼられる結果となった。
 全部、やめるつもりでいるんです。しかし、それは、まんざら嘘で無かった。
 何かしら、変って来ていたのである。終戦以来、三年経って、どこやら、変った。
 三十四歳、雑誌「オベリスク」編集長、田島周二、言葉に少し関西なまりがあるようだが、自身の出生に就いては、ほとんど語らぬ。もともと、抜け目の無い男で、「オベリスク」の編集は世間へのお体裁、実は闇商売のお手伝いして、いつも、しこたま、もうけている。けれども、悪銭身につかぬ例えのとおり、酒はそれこそ、浴びるほど飲み、愛人を十人ちかく養っているという噂。
 かれは、しかし、独身では無い。独身どころか、いまの細君は後妻である。先妻は、白痴の女児ひとりを残して、肺炎で死に、それから彼は、東京の家を売り、埼玉県の友人の家に疎開し、疎開中に、いまの細君をものにして結婚した。細君のほうは、もちろん初婚で、その実家は、かなり内福の農家である。
 終戦になり、細君と女児を、細君のその実家にあずけ、かれは単身、東京に乗り込み、郊外のアパートの一部屋を借り、そこはもうただ、寝るだけのところ、抜け目なく四方八方を飛び歩いて、しこたま、もうけた。
 けれども、それから三年経ち、何だか気持が変って来た。世の中が、何かしら微妙に変って来たせいか、または、彼のからだが、日頃の不節制のために最近めっきり痩せ細って来たせいか、いや、いや、単に「とし」のせいか、色即是空、酒もつまらぬ、小さい家を一軒買い、田舎から女房子供を呼び寄せて、……という里心に似たものが、ふいと胸をかすめて通る事が多くなった。
 もう、この辺で、闇商売からも足を洗い、雑誌の編集に専念しよう。それに就いて、……。
 それに就いて、さし当っての難関。まず、女たちと上手に別れなければならぬ。思いがそこに到ると、さすが、抜け目の無い彼も、途方にくれて、溜息が出るのだ。
「全部、やめるつもり、……」大男の文士は口をゆがめて苦笑し、「それは結構だが、いったい、お前には、女が幾人あるんだい?」

カロリーメイトのこと

2016-03-15 23:59:00 | Weblog
 はじめてカロリーメイトを見た時、一体何なのか分からなかった。カチッとスクエアな箱の中から出てきたのは金属質のピチっとしたパッケージ。フィルムの下から現れたのはこれもやけに四角く成形された物体。食べ物だということだったが、このまま食べていいのか何か調理する必要があるのかも分からなかった。恐る恐る一口齧ってみるとパサパサしていて、硬いドライフルーツの舌触りは悪く変な味だった。結局のところは食べてみても食べ物なのかどうか分からなかった。
 カロリーメイト・フルーツ味が発売されたのは1984年(最初のカロリーメイトであるチーズ味が発売されたのは1983年)なので多分この記憶は僕が5歳の時のものだ。曾お爺さんの見舞いで病院に行って、そのロビーみたいなところで食べた気がする。時間帯は夜で、そのロビーみたいなところはやけに暗くて静かだった。誰と一緒だったのか覚えていない。カロリーメイトみたいな当時はまだ新しかった食べ物をいかにも僕に与えそうなのは父親なので、たぶん父親が一緒にいたのだろう。曾お爺さんの病室を訪ねた記憶もない。なんとなくだけど、僕は病室には行かなかった気がする。

 僕はカロリーメイトが好きだ。
 とは言っても毎日食べているわけでもないし、毎日のように食べているわけでもなく、好きだと言っておきながらこう言うのもなんだけど毎日のようには食べないほうがいいだろうなと思っている。
 正確には好きなのはカロリーメイト自体ではなくてそのビジョンとパッケージのデザインだ。
 バランス栄養食という今ではレトロ感すら漂う言葉。サイエンスの力で実現した完全な食べ物というイメージ。
 僕はもともと食事を面倒に思う傾向があるので、パッケージを開けて齧るだけで必要な栄養が摂取できるというイメージは心地良い。この心地良さは半ばオブセッションのようになっていて、自分でもびっくりするくらい昔の話だけど15年くらい前にはカロリーメイトを主題にした「fridge」という短い話も書いた。
 太宰の「令嬢アユ」へのオマージュというほどでもないけれど、もろに影響が出ている。若気の至りというか、もうこんなもったいぶった文体で何かを書くことはないだろうな。
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 『fridge』

 大塚君は、私の友人であるが、本当は大塚という名前ではない。中島龍一郎というのが本名である。しかし、誰も彼の事を中島君、龍一郎君と呼ぶものはなく、あるいは周りの者も彼の正しい氏名が中島龍一郎であるということを既に忘れている様子でさえある。どうして彼が大塚君という、所謂ニックネームを付けられるに至ったのか、それは彼の食生活の所為である。これは実に驚くべきことであるが、なんと大塚君は毎日三食、カロリーメイトのみを食べているようなのである。勿論、私は彼と毎日一緒にいるわけでもなく、別に誰かが毎日見張っているというわけでもないので、本当のところ彼が一体どのような食生活を送っているのか誰にも分かりはしないのであるが、しかし、至って正直者の大塚君がそのように奇妙な嘘を付くとは考え難い。大体、そんな風におかしな嘘が大塚君に何かの利益をもたらすこともないであろう。少なくとも、我々は彼がカロリーメイト以外の食べ物を食べているのを見た事がなかった。故に、我々は彼のことを、カロリーメイトを販売している製薬会社に因み、大塚君と呼ぶようになったのである。
 大学2年の夏に、私はあるイベントで大塚君と初めて話す機会を得た。少しノッポの大塚君は私と同じ大学の学生で同学年、共に一年浪人をしていて年齢も同じであった。意気投合し、私たちは以来友人関係にあるのだが、定食屋にでも行こう、と私が初めて彼を夕飯に誘った時、彼はそれをあまり快く受け入れてはくれなかった。
「僕は、実はカロリーメイト以外の食べ物を食べないことにしている」
 その時、定食屋で大塚君はオレンジジュースを一つ、それを頼むきり、肝心の定食は注文しなかった。もう半年間も彼はカロリーメイト以外の食べ物を食べていないと静かに告白した。毎日を、一日五箱のカロリーメイトで生活しているそうである。
「あれはバランス栄養食だから」
 それは確かかもしれないが、やはり尋常なことではない。私は彼に色々なものが食べたくならないのかと聞いたのだが「いや、ならない、僕は元々食べ物に執着がないのだ、食べるのは、栄養が摂れればそれでいい、僕はもっと他の事に時間と労力を使いたいのだ」と何やら厳粛を語るような表情で彼は断言した。
 大塚君の部屋を訪ねると、先ず冷蔵庫がないことに驚く。21世紀ともなれば一人暮らしの人間は大抵冷蔵庫くらい持っているものである。
「いや」
 と一言神妙に発して、それから大塚君は冷蔵庫の無い理由を語ったが、この「いや」というのは一体何を否定しているのか、私には理解できなかった。
「だって、僕はカロリーメイトしか食べないから、あれは常温で保存できるから冷蔵庫なんて必要ないのだよ。冷蔵庫なんて物は電気も食うし、場所も取るし、碌なものではない。食生活を豊かにすることの弊害に違いないと僕は思うね」
「しかし、君もジュースくらいは飲むだろう。お茶も。飲み物を冷やす場所がないというのは随分不便なものではないのか?」
 大塚君はアパートのすぐ表にある自動販売機で飲み物を購入するようであった。大概は水道の水で済ますので、特に不便を感じる事はないようである。
「どうだ、これは。立派なものだろ。12万円もしたんだぜ。水は生命体の基本だからな。それくらいのお金は仕方が無い。大体、君、考えてもみてくれ。何処に水道の水を送り出すセンターがあるのか知っているか? 僕は知らない。その何処かも分からない、もしかするとかなりの遠方から水道の水は地下のパイプを通ってやってきて、そして、例えばこのようなアパートならば一度屋上のタンクに、それも年に一度くらいしか掃除もしないタンクに溜めて、それを再び管を通じて蛇口の先までもってくるんだぜ、そんなものがキレイだと思うかい? 僕は絶対におかしいと思う。どこかで汚染されるのは必至だよ。だから蛇口にフィルターを取り付けるのは当たり前のことだ」
 大塚君は、料理をしないので全く生活感のない粗末で小さなキッチンに、矢鱈とピカピカして大きく鎮座する浄水器を私に自慢した。特殊な浄水機であらゆる不純物を除去するフィルターが入っているそうだ。
「どうだい、水を一杯」
 大塚君は自慢気に、グラスに水を注いで私にくれた。私は特に喉が渇いていた訳でもなく、どうせならコーヒーか何か嗜好性のあるものを望んでいたのだが、この際致し方ない。その特殊なフィルターを通じたという水を、ゴクリと一口、それから少し水を聞いてみた。味は無かった。うまいだろ、と言われたが、何も味がしないので返答のしようがない。
「うん、確かに良く浄化されているみたいだ」
 私は曖昧に返事をしておいた。

 大塚君がカロリーメイトしか食べなくなった経緯を、私は一度尋ねたことがある。いい加減にイライラとしてきたのである。折角みんなで御飯を食べに行っても、彼は何も食べない。何を食べるのかは個人の勝手であるが、例えば新しく見付けた内装も料理もスタッフも申し分のないような店で、これがおいしい、それもおいしい、と私達が騒ぐ横に座り、大塚君は、ふーんそうなのか僕には関係の無い事だけどね、というような面持ちで水でも飲んでいるのだから、正直な話、私達はいい気がしないのである。友人なので、みんなで何かを食べに行こうというときに誘わない訳にも行かないし、何処かに出掛けた帰り、夕飯を食べに行って締め括りにする事だってある。だが大塚君が来ても、君は何をしに来たのだ、と内心では思ってしまうのである。気を使って、「何か食べればどうだい」といっても、「僕は食べる事には関心がないのだ」と、まるで食事を楽しむ私達を蔑むようなことさえ、たまに言うのである。
 ある日、友人の演劇を見に行く前にカフェでランチをとっていた時、またしても水を飲んでいるだけの大塚君にイライラしながら私は言った。
「そういえば。大塚君はいつからどのようにしてカロリーメイトしか食べなくなったのだい?」
「うん。すこし長い話になるのだけど」
 何も食べないで、やっぱり食事中少しだけ気まずそうな大塚君は、そう言って話し始めた。
「僕だって勿論、生まれてからずっとカロリーメイトしか食べなかった訳ではない。大学一年生の途中までは普通に物を食べていたし、料理だってしていた。アパートの前にある自動販売機ではカロリーメイトが売られていた。今も売っているのだけど。一人でアパートに住んでいると、実家にいた時とは違って部屋に食べ物が無い時は本当に何もない。そこで、ものすごくお腹が空いている時にどうするかといえば、僕はその自動販売機でカロリーメイトを買う訳だ。コンビニやスーパーに行ったり、あるいは定食屋に行ってもいいのだけど、それだとそれなりに服を着替えたり頭を整えたり髭を剃ったりしなくてはならない。もう朝起きてお腹が空いていて着替える気力も無い時なんか、アパートの前の自動販売機というのはとても便利なのだよ。そうするうちに、だんだんとその自動販売機でカロリーメイトを買うのが癖になってきた。楽だ。楽なうえ、すぐに食べる事が出来るし、高くもない。初めはお腹が空いて、それで着替える気力もないという時にだけ買っていたのが、やがてお腹が空いたらすぐに自動販売機に直行するようになって、自動販売機でカロリーメイトを買えばいいのだと思うとあまりスーパーへ買い物に行く気も無くなってきた。当たり前のことだけど、買い物に行かないと部屋には食べ物が無くなるわけで、それを補う為にも、僕はだんだんと、自動販売機でカロリーメイトを一気に5個とか、多い時だと10個も買うようになり、気がついたら1日3食がカロリーメイトになっている日が出始めた。そしてそんな日はだんだんと増えた。流石に不安になって。ほら、やはり栄養の事なんかも気になるからね。いい加減にきちんと普通の食生活をしよう、なんて思っても、カロリーメイトの箱の裏に、一日に必要なビタミンの半分が入っています、などと書いてあるのを読むとなんだか結構安心してしまって、そのうち、カロリーメイトではない食べ物のほうが栄養面で心配になってきて、食べ物はカロリーメイトでないと落ち着かなくなったのだ」
 確かに大塚君のアパートの前には自動販売機があって、飲み物とカロリーメイトが売られていた。部屋を出てすぐの場所で食べ物が買えるというのは魅力的なことに違いないが、いつも同じ物ではすぐに嫌になるのではないだろうか。近くで買えるという便利さよりも、例えばパスタが食べたいとか餃子が食べたいとか、そういった味覚的な意味合いでの食欲の方が勝るものではないのか。私なら少しの労を払ってでも、毎日同じ物を食べるよりかはある程度食べたいものを食べるという生活を選ぶ。大塚君にそんなことをいうと、だから僕には食べ物に対する執着がないのだよ、といつもの返事が返ってきた。

 そんな大塚君に彼女ができた。いや、できそうである。
「どうしよう、好きな人ができた。そして僕らはなかなかいい感じなのだけど、カロリーメイトの事を打ち明けて良いものか、カロリーメイトしか食べないだなんて、我ながら奇人変人もいいところだからな」
 本人はしっかりと理解しているのである。自分の食生活が異常であると。只、改善がもうできない。一種の依存症なのであろう。もう、僕には自分のカロリーメイト生活を自分で止める事が出来ない、病気だ、これは。大塚君は自分でそう言うのである。
「よほど心が打ち解けるまでは言わない方がいいのではないか」
「やっぱり、そうだろうな」
「というよりも、どうだろう、この際普通に物を食べる事にしては。カロリーメイトしか食べない人間というのは、やはり興ざめもいいところだ、それじゃあ、君はデートで食事もしないのか、大体食事というのは人間の生活で根本的なことだから、自分の彼女に食事のことで隠し事を通すなんていうのは至難の技だぜ」
 長い腕を組んで、すこし俯いた大塚君は、紙コップに入った山葡萄のジュースをじっと見つめている。秋が、本当に終わり、軽く吹いた風が冬の匂いを含んでいる。散乱した銀杏の葉が少し舞い上がり、そのいい加減な動きは周囲の景色をより閑散とさせていた。そこら中まばらに落ちている銀杏の葉は、冬の薄曇り空の下、黄金色に見えなくも無かった。この大量の落ち葉が、毎年何処へ消えていくのか私は知らない。誰かが掃除をしている様子も見た事がない。風に吹かれて何処かへ行ってしまうのか。雨に流れて何処かへ行ってしまうのか。何処かとは何処か。今の時間帯、食堂の周囲に人影は少ない。外に置かれたテーブルとイスを利用しているのは私達だけだった。冬のゆっくりとした午後の雰囲気が学校を包んでいる。
「よし。うどんを食おう」
「えっ」
「食べてみる事にする」
 大塚君は立ち上がった。顔は爽やかに笑っていたが、目は決心の目である。食堂の扉を開け、注文のカウンターへ向かう。もう一度、入り口の方へ戻る。トレーを、忘れたようだ。どうやら多少緊張しているらしい。以前に食堂で食べ物を注文してから一年半近くも経つとはいえ、高々、学校の食堂でうどんを注文するだけのことであるが、背後に、彼には普通の食生活を取り戻すという大変な目的がある。それを、どうにか理解して頂きたい。大学の食堂で、何故かおどおどしている大塚君は、何も、おかしくはない。私は、先に席をとって待つ事にした。なるべく端の目立たない席を確保する。大塚君がうどんにチャレンジしてどのような奇行に至ろうとも大丈夫なように配慮したのである。私は心配していたが、しかし、大塚君がこれからどのような振る舞いを見せてくれるのか楽しみであった。毎日毎日カロリーメイトだけを食べていると、どのような味覚になるのだろうか、そして一年半振りにカロリーメイトでないものを食べると人はどのような反応をするのだろうか。実に興味深いことである。
「やあ、御待たせ」
 大塚君が、すこし危なっかしくトレーを持って戻ってきた。湯気の立つうどんの器から、すこしだけ汁をこぼしたようである。トレーが濡れていて、そこからも薄い薄い湯気が登っていた。そして、そのこぼれた液体は何故かとろみを帯びていて茶色であった。匂いが、スパイシーである。大塚君が運んできたのは、よりによってカレーうどんであった。
「えっ。カレーうどん」
「僕はカレーうどんが好きだからね」
 私はてっきり素うどんか、せいぜい、きつねうどん辺りを予想していた。これは一種のリハビリテーションなのであるから、刺激の強いもの、癖のあるものは控えるのが当然ではないか。これでは足の病から回復し、さて歩行訓練を始めようという人間がランニングにチャレンジするようなものである。
「あっ」
 お箸を持ってくるのを忘れたようである。また、席を立った。お箸なんてもうずっと使っていないから、お箸を取って来た大塚君はそう言って、いよいよ食事の始まりである。
「頂きます」
 お箸が、すこし不器用である。持ち方を忘れているのかもしれない。そろりとカレーうどんにお箸を入れた。
「よし、頑張れ」
「うん」
 なかなか、口に入れる決心が付かないようである。じーっと、うどんを見つめている。じれったい。カレーうどんは私も好きなのだ。代わりに食べても良いくらいなのである。そんなにじっと見詰めていてはうどんが伸びてしまう。
「何をそんなに躊躇う事があるのだい。君の好物だろ。それに、つい一年半近く前には普通に食べていたものではないか」
「それは分かっている。実際、僕だって今カレーうどんを食べたいとすら、それも結構強く思っているのだ。ただ、食べると何かが壊れてしまうような気がしているのだよ。長い日々だったからね」
「記録のことかい? あんな物に拘っていてはいけないよ」
 大塚君は、カロリーメイトを毎日5箱食べている。一月に大体150箱である。もうカロリーメイト生活は18ヶ月以上になるので、彼が食べたカロリーメイトの数はなんと2700箱を越える。大塚君は、その連続カロリーメイト摂取記録とでもいうものを何故かとても大切にしているのである。初めは何も気にしていなかったが、だいたい500箱を超えた辺りから記録が気になるようになったのだ、と言っていた。
「そんなもの、大した意味を持たないじゃないか。一体誰に見せるというのだい、特に誇るような記録でもないだろう」
「それは、そうだ。でも世間にはギネスブックというものもあるんだぜ」
「しかしギネスに認定されるには何かしらの証拠が必要じゃないのか。君は何か公式に認められるような証拠を残しているのでもないだろう」
「まあ、そうだ」
 ズズズッと、意外にもあっさり大塚君はカレーうどんを啜った。おいしそうに食べている。まるで普通である。とても、僕はカロリーメイトの生活を止める事が出来ないのだ、と悩んでいたようには見えない。
「ああ、食べてしまった。しかしおいしいね。僕は何を今まで躊躇っていたのかと思うよ。つくづく」
「気持ち悪くなったりはしないのかい」
 大丈夫なようだ、全然、平気なものさ。どんどんと食べる。スープまで飲み干した。
 私はあっけに取られて見ていた。彼はずっと悩んでいたのである。この異常な食生活を一体どうしようかと。それが、あっさり。今、私の前で平気な顔をしてカレーうどんを食べ終えた。普通の人よりも食べるのが早いくらいである。どうにも合点がいかない。やはり、怪しい。実は、私は彼のことを疑っていたのである。この一年の付き合いで、私は大塚君が大変誠実な人物であることを確信した。約束を破る事もない。待ち合わせには私の方が必ず遅れる。雪の日でも雨の日でも、彼は大抵10分も前に来ているのである。信頼して頼みごとを任せる事が出来る。どちらかといえば私がいつも彼に迷惑を掛けている。
 しかし、一つだけどうにも納得のいかない点があった。それは彼が、カロリーメイトしか食べないと主張することである。勿論、彼にとってこの嘘が何かの利益になるとは考え難い。しかし、本当にカロリーメイトばかりの食事で生活できるのだろうか。いくらバランス栄養食であっても、そんなに毎日毎日同じ物を食べるのはきっと体にも、そして精神にも悪いに違いない。でも大塚君はとても元気で健康的であった。何か附に落ちないのである。確かに彼は冷蔵庫を持っていない、部屋で他のものを食べている形跡はない。私達の前では絶対にいつもカロリーメイトを食べている。だが、全てが彼の芝居に過ぎないのではないかと時々思う。冷蔵庫はなくても生活できるし、部屋で他のものを食べても私達が行くまでにキレイに掃除をすれば良い。つこうと思えばつける嘘である。だが、私達は大塚君にそれを言う事ができなかった。君の、カロリーメイトしか食べないという話、あれはでっちあげだろう。人のいい大塚君に、そんなこと言えるものではない。もしかすると一種の精神病である可能性も考えた。虚言癖、あるいは自分が他のものも食べているのに本当にカロリーメイトしか食べていないと思い込んでいるのかもしれない。黙って一年間、彼がカロリーメイトを食べる度に、そして、僕の食生活はどうしたら元に戻るんだろうと嘆くのを聞く度に、大塚君それは本当なのか、と彼に聞きたくなるのを抑えてきた。しかし、もう限界だ。あまりにも普通にうどんを食べ過ぎるではないか。しかも、カレーうどんを。今、私が疑いを述べれば、彼の事を一年間も疑惑の目で見ながら友人関係を保ってきたことがばれる。もしも本当に大塚君がカロリーメイトしか食べていないのなら、彼は真実を話していたにも関わらず自分が疑われていたという事実に傷を負うだろう。そんな疑いの目で自分を見詰めてきた私達を友達だと素直に信じた自分をすら呪うかもしれない。もしも全てが嘘ならば、彼は一年間も突き通した嘘を処理できないで、やはり大変困惑するであろう。どちらにしろ私と大塚君の関係に大きな波紋が生じることは確かである。だが、もう言わない訳にはいかない。
「なんだ、普通に食べられるじゃないか。実はカロリーメイトしか食べないというのは嘘だったりしてね」
 私は冗談めかして言ったのであるが、大塚君の表情は凍り付いた。
「そんなわけないじゃないか。僕はそろそろ帰る」
 それだけ言うと、彼はもう私の方をちらりとも見ず。いそいそとトレーと器を片づけて食堂を出ていった。私はどうしていいのか判断しかねた。声を掛ける事が出来なかったし、追いかける事もできなかった。大塚君の反応はあまりにもあまりにもであった。怪しい、やはりカロリーメイトの話は嘘だったのだ、ともとれるし、繊細な彼は私の発言に単純に傷ついたのだ、ともとれる。どちらが真実かはわからないが、少なくとも私が彼にとても不愉快な思いをさせてしまったことは疑い様がない。時々、何気ない自分の一言で人をすこぶる傷付けてしまう事がある。あるいは怒らせてしまう。そんな時自分の軽率な発言を心の底から悔やむ。その一言を発する寸前まで、全ては上手くいっていたのだ。たったの一言。それが全てを壊す。言葉は強力である。そして時々強烈である。言葉は呪いなのだと誰かが言っていたが、私はそれを本当だと思う。
 昔、高校で化学を教えて下さった先生が授業中にこんな事を言った。
「人間というのは色々な方法で分類できるけれど、でも僕はこんな分類を考えている。それは、入れる事に満足感を覚える人、出す事に満足感を覚える人、という分類だ。つまり、尾篭な話だけど、食べるのが好きか、うんこをするのが好きかということだ。僕はどっちかというと食べる時よりもうんこが気持ち良く出た時に満足感を覚える。みんなはどう?」
 なんということのない雑談であった。軽い笑いをとるためのものである。しかし、私の脳裏にその話は焼き付いてしまった。食べることと出す事、どちらにより強い満足感を覚えますか。私はそのときフロイトの精神分析を思い浮かべた。フロイトの発達段階理論には幼児性愛という考え方があり、その中には確か口唇期と肛門期というものが存在していた。特に幼児期、口にものを運ぶことや排泄は性的な意味合いも帯びているとされている。初めてフロイトの精神分析を知ったとき、あらゆることをセックスに結びつけて考える変なおっさんだと思った。今でもそう思っているが、彼の理論はそれほど間違ってはいないような気もしている。もしもこの世に恋や性愛が存在していなければ、我々の文明は如何に貧弱なものだっただろうか。異性が存在しないと仮定して、それでもあなたは胸に抱いている志や夢を遂げようと努力を行うであろうか。それから先生の問いに対する答えとして、私は出す方ではないだろうかとぼんやり思った。以来、私はトイレに入る度に何故かこの話を思い出してしまう。まさか当の先生もこの話をずっと覚えている人間がいるとは思っていらっしゃらないであろう。御自分でもそんな話をしたことすら忘れていらっしゃるかもしれない。もう、あれから何年も経つのだ。その間、当たり前であるが私はトイレにほとんど毎日行った。そしてその度に、つまりほとんど毎日、この話やフロイト、化学の先生だとか教室の状景を思い出すのである。これは異常な事だ。一種の呪いだと言っても過言でない。呪いというのはそういう意味だ。言葉は人の心に残り影響を与えつづけることができるのである。
 このカレーうどんの件で、私は大塚君に呪いを掛けてしまったかもしれない。彼はいたく傷つき、この先カレーうどんを見る度に今日のことを思い出して不愉快な思いをするかもしれないのである。ひどく心が重たくなった。

 丁度、一週間後に大塚君からメールが届いた。

 冬の気配が、いよいよ迫ってきました。このところ雨が続いていて、心まで冷え冷えしそうです。
 下手な挨拶は要らないか。
 先日は失礼した。僕は君にカロリーメイトのことが嘘だろうと言われて動揺したのです。
 実に申し訳ない。僕は、全てが嘘であったことをここに告白します。カロリーメイトを食べるのは、君や、それだとか今西だとか柴田だとか、そういった知人の前か、外で何かを食べる時だけ念の為にそうしていました。一体何の為だ、と君は思うでしょう。理由は至ってちっぽけなものです。僕は人の気を引く為にカロリーメイトしか食べない変人を装っていたのです。僕は自分に全く、人間としての自信が無いのです。僕と関わってくれる人々になんらかの満足感や喜びを提供する事が僕には不可能に思われます。詰まらない、普通以下の人間です。君のようにギターも弾けません。今西のように頭も切れません。柴田のように絵も描けません。僕は本当に下らないし、従って、知り合いも限られています。誰かと知り合いになるチャンスを得ても、うまく話す事ができません。僕はこれまでになんの変哲も無い人生を送ってきて、人に話すべきことを何も持っていないからです。自己紹介すら満足にできません。名前、年齢、住所、学校。これでお終いです。後は話すべき事を何も持っていません。趣味も特に思い付かない。好きなことも思い付かない。君のように音楽にも詳しくない。僕というのが一体どのような存在なのか、それを示すような話題が何一つ僕にはないのです。単なる一般的な消費者の一人に過ぎないのです。君のような、自分自身の視点で人生を楽しんでいる人と友達になれたのは奇跡でした。君と僕が同じ学校だったのが幸いでした。本当に下らない話題ですが、学校の本屋に何故サッカーの雑誌はないのか、リクエストボックスに投書を入れればいいのだけど面倒だ、誰か投書をしないだろうか、だってサッカーファンなんて沢山いるんだから僕らの他にもサッカーの雑誌を読みたいやつは沢山いる筈だぜ、という会話から始めて、僕らは仲良くなる事ができました。もしも僕らが同じ学校の学生ではなく、学校の話題で話を進める事ができなかったとしたら、あるいはサッカーのファンでなければ、僕は初めて君に会ったあの日に、確か大木さんのハウスのイベントだったとおもいますが、実は僕はカロリーメイトしか食べないのだ、と神妙に語ったと思います。それは僕が2年くらい前に開発した嘘です。人との話題に困った時、沈黙に耐えられない時、僕はその嘘を使う事にしていました。初めてその嘘を使ったのは、2年前の夏ソリッドソリッズのライブに一人で行ったときです。入場待ちで並んでいたとき、僕の前に並んでいた、髪を赤く染めて、いかにもロックが好きです、という格好の女の子に話し掛けられた時で、僕はファンのくせにあまりソリッドソリッズのことも詳しくはないし、ソリッドソリッズの話題は避けようと思い、たまたまカロリーメイトを食べた直後だったので、とっさに、カロリーメイトしか食べない事にしている、と言ってしまったのです。はっきり言ってカロリーメイトしか食べない人間は異常だし、どちらかというと魅力が無いと思います。避けられてもおかしくないと思います。でも、彼女は僕の話に興味を示してくれました。僕は食には興味が無い。栄養が摂れればそれでいい。本当は食べるのは面倒だけど、食べないと死ぬから、仕方なく食べている。僕は適当な言葉を並べ立てました。口にしてみると、それらの台詞は意外と格好いいように思えました。嘘は流暢に出てきて、以来、僕は同じ嘘を沢山の人に繰り返しています。沢山の人に同じ嘘を言っているうちに、自分でも嘘だけれどまるで本当のことのようにも思えてきました。そして、君にも同じ嘘をつきました。重ねて申し訳無く思います。僕の空っぽさ加減が君にばれる前に、何かで気をひいておきたかったのです。嘘を本当らしくするために冷蔵庫も捨てました。とても不便になりましたが嘘の為に耐えました。部屋にはカロリーメイト以外の食べ物の痕跡を残さないように心がけました。部屋でコンビニの弁当なんかを食べているとき、今、誰かがやってきたらどうしようかと、いつもビクビクしながら御飯を食べていました。自分の部屋でビクビクしながら御飯を食べるというのもおかしな話です。君たちが部屋に来るといった時は、とても念入りに部屋を掃除しました。来るとは言わないでも、いつ急に来ると言い出すか分からないので、毎日それなりの掃除はしていました。大変に神経をすり減らす生活でした。本当は、君たちと食堂にでも入れば、僕だってトンカツ定食でも頼みたかったのです。ぐっと我慢していました。涼しい顔をしてカロリーメイトを食べるように心がけました。一人で何処かへ出掛けても、君たちや嘘を言った他の人々にみつかるかもしれないと思い、なるべく飲食店には入りませんでした。カロリーメイトを食べました。いつもビクビクしていました。それに本当は嘘がばれているのではないかと、いつも心配でした。しかし、もう少なくともその心配はしなくてもいいのです。君には本当に申し訳が無いと思っています。本当に、重ねて、申し訳ありません。もう、恥かしくて顔を見せる事もできませんが、嘘をつき続けるという重圧からは開放されたので少しだけ気楽になりました。それでは御元気で。今までありがとう。

                         中島・オオツカ・龍一郎
                                       」


 あれから半年、大塚君はもういない。
 私は友人達とアジア料理の店で遅目の夕飯をとっている。なんとなく、このまま閉店まで居座るような様子である。申し分のない、丁寧にデザインされた内装と、気持ちのいいスタッフと、とてもおいしい料理の店。私達の他にカップルや会社の同僚らしきグループや学生らしきグループがいて、会社員のグループは何かの愚痴や文句を話しているようであったが、それでも幸せそうに笑っていた。例えば、私が自分の夢を叶える事が出来なくても、週に一度でいいから、気の知れた人もそうでない人も、色々な人達と飲んだり食べたりできれば、人生はそれで本当に幸せに違いないと思った。商売というのはとても素晴らしいものだ。商売に乗せられる、つまりお金儲けのネタにされるのは気分のいいものではないが、しかし、この世に商売が存在しなければ世界はどんなに暗くて冷たいものになるのだろう。商売は世界を彩っている。このお店も、あのお店も。様々なお店が存在するこの世界に私は心から感謝している。
「おい、ナシゴレンも頼もう、それから芋焼酎だ、柴田、どけ」
 中島龍一郎が生春巻きをほうばりながら、前から里香ちゃんに気があり、今日は隣に座って、せっかく二人の世界を形成しつつある柴田を押しのけて言った。いつも寡黙な上杉君はやはり静かにスコッチを舐めていて、今西やキミちゃんの話を聞いて曖昧な相槌を打っていた。中島龍一郎は既に顔が真っ赤で、ひょっとこのような表情をしている。随分酔っ払っているようだ。最近、彼女に振られたらしい。(終わり)






Banksyのこと

2016-03-06 01:17:54 | 東京日記
Banksy does new yorkの冒頭22分をIID世田谷ものづくり学校で3月6日15時から上映します→ http://setagaya-school.net/Event/15521/

 トレーラーの中で「running up to public property and defacing it is not my definition of art (直訳:公共の施設に現れて、その外観を損なうようなことをすることは私のアートの定義ではない)」とアホらしいセリフをブルームバーグ前NY市長が口にしている。ブルームバーグが政治家としての立場でこのセリフを渋々読んだのか、本心でそう思っているのか分からないが、どちらにしても「アート」という言葉の取り扱いは面倒だ。アートというものは実は存在しないがそれでもアートという単語を使用しないと立ち上がらない思考の領域は確かに存在する。
 トレーラーの中で、何度もアートという単語が出てくるが、彼らのアートという言葉の使い方にはあまり興味がない。
 バンクシーがアーティストなのかも、ひいてはこれがアート系の映画なのかどうかもどうでも良くて、ただ僕は彼がやっているようなことをやりたくても逮捕されるのが怖くてできなかったので、ほとんどはその実行力に軽い敬意を覚える。
 それから日常の隙間に「ある光」を差し込もうというビジョンに。
 
 これから引用するのは、僕が2005年に書いたイベントの告知文です。
 当時はこういうことを考えていました。
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 9月2日金曜日、鴨川の出町柳の中州(鴨川公園)でパーティーをしようと思います。

 パーティーといっても、そんなにたいそうなものではなくて、単に音楽をかけて、それから映像を流すというだけのものですが、普段は暗い公園を、その日だけでもキラキラした空間にできればいいなと思います。

 時間はだいたい夜の7時か8時くらいに始める予定です。
 終わる時間ははっきりしませんが、遅くてだいたい午前3時というところです。

 場所は、京阪の出町柳駅を出てすぐの鴨川と高野川が合流するところです。
 川端通りから、灯りがきっと見えると思います。
 亀の飛び石を渡って、その中洲に行くこともできます。
 できれば僕たちはその亀の飛び石にキャンドルを置いて、それも目印の一つにしたいと考えています。

 コンセプトは、鴨川公園に彩りを添えることです。
 僕たちは決して、中州を占領して自分達の為のパーティーを開きたいというものではありません。
 僕たちは、開かれた場としての公園、その機能をいくらか強化したいと望むものです。

 子供だって、家族だって。おじいさんだっておばあさんだって。誰もが気楽に立ち寄れれば良いなと思います。
 決して、ばか騒ぎにはしたくありません。
 京阪を降りて家路を歩く人々が、自転車に乗って通りがかる人々が、なんとなく立ち寄って、それでいくらかのくつろぎや楽しみを得てくれれば良いなと思います。
 心地良いこと。

 当たり前のことですが、フリーパーティーです。
 お金も何も要りません。
 なぜなら、そこは公園ですから。
 ただ、この日は、公園に灯りが点り、音楽が流れています。
 そういう夜なのです。

 僕たちは、特別な何かを来て頂いた人々に供給することはできないでしょう。
 それには力不足です。
 でも、人々が夜のいくぶんキラキラとした公園に集まるということは、それ自体が特別の力を持つと信じます。
 だから、なるべくたくさんの人に来て頂けると嬉しいです。

 もしも都合が宜しければ、気の合う友達も、すこし疎遠な友達も、どうぞ誘い合わせて来て下さい。
 楽しい、平和な夜になればいいと思います。
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 京阪出町柳駅というのは、落ち着いた京都市内北東部にありながら大阪中心部へ直通する重要な駅で、故に夜は大阪へ通勤している人達がたくさん帰ってくる。駅を出て、東の百万遍方面へ歩く人もいれば、高野川を渡り西へ歩く人達もたくさんいて、橋を渡る彼ら達には中洲部分の公園が見えるはずだ。高野川と鴨川が合流する、ちょうどアルファベットのY谷間部分みたいなこの公園はロケーションが良くて、だけどいつも真っ暗で、もちろん暗さ故の素敵さもあるわけだけど、なんだかいつも残念で、だからこの場所を少しだけキラキラさせたかった。
 できれば毎日そうしたかった。
 僕はハレとケというのが大嫌いで、毎日ハレでいいじゃないかと思っていて、だからハロウィンとか学祭とかそういう囲われたハレが大嫌いだった。コミケだからコスプレするんじゃなくてコスプレでオフィスに出勤すればいいし、それは本当は普通のことで変でもなんでもない。
 ただ、毎日をハレにするには膨大なエネルギーが必要だからとても難しい。気を抜くと今日はケになってしまう。
 自分の毎日を自分でハレにすることは不可能なのかもしれない。
 だからせっかく人間が集まって生きている都市では、誰かが交代でハレの欠片を街角に置けばいいと思う。