思惟石

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多和田葉子『献灯使』ヘビイだ。

2019-11-25 12:11:38 | 日記
『献灯使』は震災後の日本と思しき近未来が舞台の
“ディストピア文学”というジャンル分けがされています。

英訳版が全米図書賞(2014)を受賞して話題になりましたね。
(ちなみに図書館の予約数も未だに多いです)
震災のあとに再度大地震が起きて、回復不可能なレベルまで放射能汚染された
と想像できる日本が舞台です。

って、小説のなかでは「地震」とか「原発」とかは明言されないし、
「民営化」された政府や外来語の排斥運動や、
病弱な子供たちの生態も、死ねない(?)老人たちの生態も、
なんとなく霞みがかっているのに頑然と存在している、不思議な状態。
その未来設定に戸惑いつつも、有り得なくもなくなくない、か?と思うような
ちょっとゾワっとする感じの物語です。

表題作がページの半数以上を占める中篇で、
短編『韋駄天どこまでも』『不死の島』『彼岸』『動物たちのバベル』も収録。

『献灯使』は死ねない(?)老人の義郎(よしろう)を中心に、その世界を描きます。
若ければ若いほど虚弱で、その代表としてのひ孫・無名(むめい)がいて。
外来語は使用禁止になってヘンテコな日本語が増え
(インターネットがなくなった祝日は<御婦裸淫(オフライン)の日>
って、当て字に遊びがあっておもしろい)、
東京には資産価値がなくなり、食料は手に入りにくい。

文章も静かでソリッドで、読んでいるとなんとも不安な気持ちになります。
良い作品なんだけど、ちょっと、寂しい気持ちにもなる。

一方で、『韋駄天どこまでも』は作者らしい飄々とした文章で、
漢字遊びが繰り返されていておもしろかった。
漢字遊びも良いんですが、一番良かったのは「カマンベールのような月」
という表現だな。おいしそう。
作者も気に入ったのかな?2回出てきました。

物語の大前提として、「日本の住環境はもはや回復不可能」という雰囲気があって、
現実にそうなりかねないくらい危うい地に
私たちは住んでいるのかもしれないと思います。
それでも私は、さてさて外国に移住しようかなと思えない。
怠惰なのか、のんきなのかわからないけれど。
難しいですね。

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