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Sightsong

自縄自縛日記

金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』

2015-06-04 22:44:31 | 韓国・朝鮮

金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』(平凡社ライブラリー、2001/2015年)を読む。

済州島に少なからぬ関わりを持つ小説家と詩人に加え、『済州島四・三事件』という優れた著作もある研究者・文京洙による対談。

1948年4月3日の武装蜂起を引き金として、済州島の約28万人の住民のうち、少なくとも3万人が、警察・軍・極右により凄惨に虐殺された(済州島四・三事件)。金石範は、その場に居合わせなかったことからくる虚無感を埋め合わせるように、済州島の小説を想像によって創造した。金時鐘は、事件に関与し、文字通り命からがら日本に逃げてきた。

そのふたりが、支配者の言語であった日本語を使って文学を書き続けている。そのことはふたりにとって大いなる葛藤の源であり、それによるねじれやしこりや矛盾を直視してきたからこその高い文学性であるとも言うことができる。もちろん、ここでの日本語とは、「日本人の言葉」ではない。

ともすれば、コミュニティのつながりが強い島において、朝鮮分断につながる南側の単独選挙に反対した市民が蜂起したのだと語られることがあるが、ことはそう単純でなかったことが、対談を追っていくと実感される。

1945年8月の解放後、ごく短い空白期を経て、それまで日本の下で権力をほしいままにしていた者たちが戻ってきて、また権力の座についたこと。それには、アメリカの強い意向が働いたこと。北朝鮮を追い出された極右たちが済州島に渡り、住民を暴力支配していたこと。米ソの協議による朝鮮半島の信託統治が実現していたら、国家の分断はなかったかもしれないこと。北朝鮮においても、金日成の権力は信託統治では維持できなかったであろうこと。そして、金大中・廬武鉉政権下でようやく動き出した事件解明と歴史への刻印の取り組みが、また、新旧右翼のバックラッシュの対象となっていること(事件を「共産暴動」としようとする)。

体内で練られ熟成されざるを得なかった思考が、ふたりの口から重い言葉となって出てくる。本書は、歴史修正主義に抗するための大きな成果だということができるだろう。

●参照
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金石範『新編「在日」の思想』
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
文京洙『済州島四・三事件』
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
梁石日『魂の流れゆく果て』(屋台時代の金石範)
仲里効『悲しき亜言語帯』(金時鐘への言及)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(済州島から大阪への流れ)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
鶴橋でホルモン(与太話)
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘による翻訳)
『越境広場』創刊0号(丸川哲史による済州島への旅)
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』(済州島での対談)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(祝島と済州島)
野村進『コリアン世界の旅』(つげ義春『李さん一家』の妻は済州島出身との指摘)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」


ロバート・グラスパー@Billboard Live Tokyo

2015-06-03 23:12:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

六本木のBillboard Live Tokyoに足を運び、ロバート・グラスパー「Experiment」のライヴを観る(2015/6/3、1st)。

Robert Glasper(key, p)
Casey Benjamin(as, vocoder)
Earl Travis(b)
Mark Colenburg(ds)

何しろひと昔前のようなゴージャスなハコの中で、音楽の二次利用感が半端ない。まるで豪華なBGMだ。

グラスパーは両手でそれぞれキーボードとピアノとを弾き、ソロのラインはひたすらカッチョいい。ジャズという冠詞は要らない。フォーマットも新たな感覚のものであり、それぞれの楽器が見せ場で思い切りデモンストレーションしてみせる。ベンジャミンのヴォイスとサックスはバカバカしいほどエフェクトがかかっており、トラヴィスのベースはハコ全体を震わせる。コレンバーグの個人技もいい。

もっとも、わたしが聴きたいものは、それぞれの音のエッジが世界を次々に切り開いていくものであり、結果のみえた豪華さではない。そうでないと痺れない。

●参照
オーティス・ブラウン三世『The Thought of You』(グラスパー参加)


イム・グォンテク『風の丘を越えて/西便制』

2015-06-03 06:59:27 | 韓国・朝鮮

イム・グォンテク『風の丘を越えて/西便制』(1993年)を観る。運良く、神戸・元町の高架下(モトコー)にある中古レコード店で格安で入手できた。

戦後の韓国。パンソリの歌い手・ユボンは、師匠との諍いがあったことにより、旅をしては歌って生活している。歌手に育てようと孤児の女の子・ソンファを連れている。旅の途中で結ばれた女性は死産で亡くなり、その連れ子・ドンホは太鼓叩きとして仕込まれていく。それぞれ血のつながっていない親子3人組。「日帝時代」には演歌が強要され、「解放後」には西洋音楽がもてはやされ、伝統音楽は真っ当に扱われない。行く先々で卑しい身分として差別され、貧困の中で、ドンホは耐えかねて脱走する。そして、ソンファの歌には「恨(ハン)」が足りないとして、ユボンは、元気になる薬だと娘を騙して失明させる。ソンファの歌は脱皮し、凄まじい代物となっていく。

目の見えぬ旅芸人ということでは、篠田正浩『はなれ瞽女おりん』を思い出させられるが、なおそれよりも、「生きることは恨を重ねることだ、恨を重ねることは生きることだ」と信じて芸を磨いていく父娘の狂気が凄まじい。もっとも、実際のパンソリの歌手たちはそんな凄絶なる人生をおくってはいないのだろうが、たとえばぺ・イルドンという現代の歌手は、自ら山中に7年間棲み、毎日滝に打たれていたという。パンソリというものが、厳しく叩きあげる精神と無縁ではいられない芸なのかもしれない。 

苛烈な環境にありながら、他の芸人がパンソリを演じるのを視る幼いソンファとドンホの目からは涙が流れ、そして、もう何年もあとにようやく再会したこの姉弟は歓喜の表情を浮かべながら狭い部屋のなかで共演する。何という映画か。

●参照
パンソリのぺ・イルドン
『人はなぜ歌い、人はなぜ奏でるのか』 金石出に出会う旅
篠田正浩『はなれ瞽女おりん』
橋本照嵩『瞽女』
ジェラルド・グローマー『瞽女うた』
ジェラルド・グローマーさん+萱森直子さん@岩波Book Cafe


マタナ・ロバーツ『Always.』

2015-06-02 07:29:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

マタナ・ロバーツ『Always.』(Relative Pitch、2014年)を聴く。

Matana Roberts (as)

マタナのアルトサックス1本だけによる即興が2曲。内省的に探るようにはじまり、「Everything Happens to Me」を思わせるフレーズで終わる1曲目と、激しいブロウではじまり、やはり心を落ち着かせるように着陸する2曲目。この人のアルトにはこれ見よがしなこけおどしが無いようだ。静かな音色も良いし、激しい箇所でのツヤがあって滑らかな音のマチエールも素晴らしい。

以前はシカゴAACMにおいて活動していたというが、その頃の演奏も聴いてみたいところ。いやそれよりもナマの演奏を目の当たりにしてみたい。

●参照
マタナ・ロバーツ『Coin Coin Chapter Three: River Run Thee』