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自縄自縛日記

『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』

2013-07-15 16:35:00 | 韓国・朝鮮

2007年にNHKで放送されたドキュメンタリー、『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』を観た(>> リンク)。

詩人・金時鐘。「詩を書くことは、自分の中に棲みついた日本語に報復することだ」と言う。なぜか。

植民地朝鮮にあって、「骨の髄まで皇国少年であった」。1945年8月15日、ラジオの玉音放送で敗戦を知り、泣き、十日ほど食事が喉を通らぬほどのショックを受ける。やがて、農村に入り、植民地支配の実態を知る。そして、「アカの島」とみなされていた済州島で、朝鮮分断につながる南側の単独選挙に反対して蜂起に加わる。指名手配され、病院、おじの家、無人島に潜伏を続け、1949年、密航船に乗り込み、大阪の猪飼野(現、生野)にたどり着く。すでに、この町は、何万人もの在日コリアンの多くが済州島出身であった。済州島の多くの人びとは、韓国の軍、警察、右翼によって虐殺された。

1950年、朝鮮戦争。大阪のこの町でも、特需にわき、ナパーム弾や親子爆弾(クラスター爆弾の原型)などに使う部品を製造していた。祖国を攻撃する行動が許せず、「祖国防衛隊」とともに、製造をやめるよう説得してまわった。それができないとわかると、ハンマーで機械を壊した。工場の人たちは、「朝鮮やめやー!この人でなしが!」と泣き叫んだ。

1952年、吹田事件。伊丹米軍基地に弾薬を搬送する列車の運行を阻止した。仮に逮捕されて韓国に送還されたら、命はない。捕まらずにすんだものの、彼は、親に向けて遺書を書いていた。

現在の大阪城公園には、かつて、日本陸軍の造兵廠があり、軍事物資を製造していた。おカネに変えるため、在日コリアンの彼らは、跡地から鉄の残骸を盗んだ。「アパッチ族」と呼ばれた。そのときの仲間だった作家・梁石日が登場する。警官が来ると、見張り役の女性が、ソプラノの歌手のように、韓国語で「犬が来たー!」と叫んだ。逃げて金玉を打ちながらも、冬の水の中で、何時間も隠れていたという。開高健も、そのことを取材し、『日本三文オペラ』としてまとめている。

次に、友人の作家・金石範が登場する。母親のルーツを済州島に持つが、本人は猪飼野生まれである。まったく反対の立場にあって、金石範も、済州島を文学のテーマとしてきた。その彼は、金時鐘を評し、「彼の日本語への取り組みは、皇国臣民であったことへの復讐」なのだとする。

1957年、『ヂンダレ』誌に寄稿。それは自らの日本語に対する疑問を表したものであると同時に、北朝鮮の体制を嫌悪するものでもあった。そのため、組織に嫌われ、詩の発表場所を奪われてしまう。当時、大阪でも、朝鮮同様に、北朝鮮帰国事業(1959年~)を巡り、民団と総連とが対立していた。

1973年から、神戸の湊川高校において朝鮮語を教える。多くの在日コリアン、奄美出身者、沖縄出身者、被差別居住者などが生徒におり、朝鮮語が必修科目となっていた(いまも正規科目だという)。自己紹介のために登壇したとき、被差別の子どもが駆け寄ってきて、「朝鮮帰れ!」と叫ぶ。その子は、在日コリアンでもあり、トラック運転手をしながら、9年間かけて卒業する。彼もぼちぼち授業を覗くようになり、卒業式の答辞では、「本名を隠して生きることは、酒を飲んでも酔えぬことと同じだ」と述べたという。

自らの半生を振り返り、金時鐘は、次のように言う。

1945年8月、自分が何から解放されたのか、未だに引きずっている。何ひとつ清算せずに新しい国家を掲げることなどあってはならないことだ。自分は言葉だ。だから、その言葉は、日本人たちが気にも留めずに使っている日本語であってはならない。堪能な、流麗な日本語であってはならない。これは死ぬまでの宿命だ―――と。

なんという凄絶な覚悟だろう。 

●参照
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
文京洙『済州島四・三事件』
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『新編「在日」の思想』
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(鶴橋のコリアンタウン形成史)
鶴橋でホルモン 
野村進『コリアン世界の旅』(済州島と差別)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
『けーし風』沖縄戦教育特集(金東柱による済州島のルポ)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」(李静和は済州島出身)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(練塀のルーツは済州島にある)
梁石日『魂の流れゆく果て』


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