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自縄自縛日記

徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』

2014-05-03 10:14:09 | 韓国・朝鮮

徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて 日韓の原発・基地・歴史を歩く』(平凡社、2014年)を読む。

本書には、2011年3月11日の東日本大震災と原発事故のあと、福島陜川(ハプチョン)、ソウル済州島沖縄において行われた対談が収録されている。発言者は、在日コリアン作家の徐京植、「犠牲のシステム」論以降このテーマで注目されている哲学者の高橋哲哉、韓国の歴史家の韓洪九。さらに、事故後に人がいなくなった福島を撮った鄭周河の写真(『奪われた野にも春は来るか』>>写真集写真展)が、数多く挿入されている。

陜川には、広島で被爆した韓国人とその子孫が多く住む。済州島は、朝鮮の南北分裂に反対した住民への白色テロ「四・三事件」(1948年)があったことにより、国家の正当性に疑問を投げかける地である。そして、沖縄戦において日本の捨石とされ、戦後も米国に差し出され、国家に利用され続けている沖縄。

これらの地名は、歴史の記憶という意味を付与され、シンボル化している。過去だけではない。現在へとつながる道を視るとき、同じものを見出さざるを得ないということだ。

済州島は、戦時中は沖縄の次の捨石として計画され、戦後は、米軍と連動した基地整備が計画されてきた。朴正煕は米軍の核武装を構想していたという(沖縄が米軍に差し出されたことで消滅)。現在も、江汀(カンジョン)に海軍基地が建設されている。しかし、表面的には、リゾートの島として覆われている。沖縄との共通点を見出さないわけにはいかないし、このことを、東アジアでの支配と抵抗の歴史をつないでいくことに結び付けて行くべきだという考えがある(『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』)。

また、可視化されない大きな犠牲を組み込まないことには成り立ちえない社会システムとして、「犠牲のシステム」が、原子力発電の立地場所たる福島と、米軍基地の立地場所たる沖縄に対して並列に論じられている。的を射た、鋭い指摘である。

しかしながら、一方では、この言説に対する違和感の表明がある。島袋純「辺野古新基地建設の是非」では、日本は、この言説によって、沖縄が原発立地地域と同様な形で基地を引き受けたのであるから、オマエニモツミガアルと思いこみたがっているのだろう、それは自己の免罪だろうと述べている。

また、冨山一郎『流着の思想』は、絶えず名を所与のものとして呼ばれることの暴力を、看過できぬものとして捉えたのだろう。オマエハナニモノダという問いは、法を超えた、戒厳令下におけるような、暴力を孕んでいる。オマエハナニモノダと問われた者は、強迫的な、立ち位置の不断の取得を迫られる。

確かに、本書にも、「犠牲のシステム」批判や、「名付けの暴力」についても言及されている。しかも、極めて誠実に。そこに問題はない。あるとすれば、他者の言葉によって饒舌に語られていること(しかし、言葉はほんらい他者を想定したものである)、そして、共通項で括ってしまうことか。沖縄は、相対化を拒絶する。

いまのところ、わたしは結論を持てない。

●参照
徐京植のフクシマ
徐京植『ディアスポラ紀行』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
高橋哲哉『戦後責任論』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会(2012年)
いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ(2013年)
前田哲男『フクシマと沖縄』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範


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