Sightsong

自縄自縛日記

『越境広場』創刊0号

2015-04-24 07:19:19 | 沖縄

『越境広場』という雑誌が「0号」として創刊されている(2015年3月)。

「創刊の辞」における崎山多美氏の言葉によれば、「沖縄を取り巻く状況的な課題と向き合いこれからの沖縄と世界を模索する総合雑誌」とのこと。200頁を超え、なかなか読み応えがある。

孫歌氏と仲里効氏との往復書簡は、まさに特集「沖縄&アジア」の問題意識を注意深く探っているようで興味深い。ここでは、川満信一『琉球共和社会憲法C私(思)案』を挙げ(韓国において川満信一『沖縄発―復帰運動から40年』が翻訳出版された)、国家のありようについて思索している。すなわち、「国家の真似をして国家に対抗することの無意味さ」、「沖縄がもし独立するなら、いかにしてミイラ取りがミイラになるといった過ちを犯さないのか」という観点であり、この一見ハチャメチャで理想的な「憲法」が、国境を越えて、多くの人による思想の地下水脈に生きていることを示しているようだ。

丸川哲史氏は、済州島への旅を通じて四・三事件とカンジョン村の基地建設強行の意味することを探り、東アジアにおける記憶と歴史の分断というテーマ、自治というテーマにたどり着いている。

佐藤泉氏は、安重根や金嬉老といった存在を、たまたま歴史のなかで顕れた無数の声を汲み取るものとしてとらえる。

呉世宗氏は、沖縄における朝鮮人というマイノリティ(750名強だという)に対する視線を、「沖縄」という概念を相対化することや、「在」(在日、在琉)という概念の意味を問うことのよすがにすることを考えている。

桜井大造氏は、テント芝居集団「台湾海筆子」の台湾、沖縄、中国、日本における活動を紹介し、それによる越境や流動化の可能性を問いかけている。

波平恒男氏へのインタビューでは、「琉球処分」を正確性を欠くものと見なし、韓国併合と類似しアナロジカルでもある「琉球併合」としてとらえ直してゆくべきだとある。

(ところで本質的でないことだが、崎山氏の「創刊の辞」では、一方では「かけがえのない個人であるはずの他者を集団としてひと括りにし、「批判」し、排除する」ことに敏感であらねばならないと指摘しながら、その一方では、「一部の既得権者のみが利権を貪る」などと、自らその陥穽にはまっているように思える。言葉を特に大事にしてきたはずの作家だが。)

●参照
川満信一『沖縄発―復帰運動から40年』
丸川哲史『台湾ナショナリズム』
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』
2010年12月のシンポジウム「沖縄は、どこへ向かうのか」
沖縄5・18シンポジウム『来るべき<自己決定権>のために』(2008年)
汪暉『世界史のなかの中国』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)
崎山多美『ムイアニ由来記』、『コトバの生まれる場所』
崎山多美『月や、あらん』
『現代沖縄文学作品選』(崎山多美)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。