金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』(講談社文芸文庫、原著1971・1974年)を読む。この文庫は1991年の発行だが既に品切れ、表紙が日焼けした古本を手に入れた。金石範の作品をほとんど文庫で読むことができないのは悲しい状況ではある。
ここに収められている2作品は、いずれも70年代になって、40代も半ばとなった金石範が作家としての再出発をした時期のものだ。済州島から大阪に渡ってきた親を持つ在日コリアン二世であり、自身のルーツ、特に済州島四・三事件(1948年)を見ることができなかったという気持、そして日本語で書くという特質が、彼の作品に特徴を与えている。作家に流れる血という安易な見方ではない。身体の外に出さざるを得ないであろうものが、血や臭いや情念のように感じられるに違いない、ということである。
梁石日『魂の流れゆく果て』に、金石範が大阪で屋台を引いてホルモンを焼いていた時代の思い出が書かれている。それは生活のためだと捉えていたのだが、秋山駿の解説によると、大阪のフォークロア収集という側面もあったという。この2作品に登場する、権力ともオカミともインテリとも無縁の世界にいる人物たちの強烈な声を聴くと、それももっともらしい話に感じられてくる。
『万徳幽霊奇譚』は、「知能の発達が遅れた」寺の使用人・万徳が主人公である。済州島のハルラ山はアカ狩りにあって、「徐々にではなく黒髪が一面ずりむけるとでもいう極端な形」となっていた。李承晩政権の警官たちは思うがままに白を黒といい、住民を虐殺していた。そして万徳は、自らの信じるものに従い、寺に火をつける。この描写は凄まじく、映画化されるならば、『怪奇大作戦』の実相寺昭雄作品「呪いの壺」のような突き抜けた映像になるのではないかと想像した。
万徳の突然の言動は、仏が心に現れたのだという表現そのもので納得するよりも、自身の身体にいたシラミをまた自身に戻すような、だだっ広い世界か無間地獄か、そんなものの中に位置づけるほうが相応しい。
「自分だっていつ、何億何千万年のあいだにはシラミに生れ変るかも知れないではないか。そのときはだれかが、いや、このシラミが供養主に生れ変っていて、パチッと火の中へ自分を放りこんでしまうかも知れないだろう。(略) それで、にっと笑いそいつをふたたびつまみ上げて、襟首のあいだから汗と垢のねりまざった臭い躯の中へ、その古巣へ落してやった。」
『詐欺師』はさらに年月が経ち、朴正煕政権に移っている時代を舞台としている。やはり主人公は少し「頭の足りない」男。彼は詐欺を思いつき、「アカ」の共謀者だとして逮捕され、いつの間にか、自分が「アカ」の首謀者だと見なされることに悦びを感じる。好奇の眼で視られることに興奮し、しかし、その視られる外界には決して出ることができないのだった。
四・三事件という恐ろしい現実とこのフォークロアの持つユーモアとのギャップ、鈍器のような妙な衝撃がある。
●参照
○金石範『新編「在日」の思想』
○『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
○林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする物語)
○梁石日『魂の流れゆく果て』(金石範の思い出)
○吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」(李静和は済州島出身)
○野村進『コリアン世界の旅』(済州島と差別)
○宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
○『けーし風』沖縄戦教育特集(金東柱による済州島のルポ)
○豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』(高木元輝こと李元輝が「Nostalgia for Che-ju Island」を吹く)