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自縄自縛日記

文京洙『済州島四・三事件』

2013-04-20 23:01:50 | 韓国・朝鮮

文京洙『済州島四・三事件 「島のくに」の死と再生の物語』(平凡社、2008年)を読む。

1948年。済州島では、朝鮮を南北に分断することになる韓国単独選挙に反対する運動が盛り上がりを見せる。それに対し、米軍の意を汲んだ韓国の軍・警察は、三万人もの無差別虐殺を行う。いわゆる白色テロである。このことは軍政韓国では長いことタブーであった。

―――単純にまとめれば以上のような事件も、実際には、さまざまな側面を持っていたことが、本書に示されている。

あらたな発見も含めて。

○古くより、済州島は、朝鮮と日本との間での交流が絶えないマージナルな地であった。その文化は独自性が極めて高いものであった。
○日本軍は、済州島を、沖縄の次に本土防衛の地とするよう準備していた。仮に敗戦が遅れたならば、済州島でも、沖縄戦と同じような悲劇が起きた可能性がある。
○第二次世界大戦終結の前後、米国の連邦政府は、統一朝鮮を信託統治する意向であった。その一方、米軍政は、共産主義との対決姿勢を過激化していった。同じ米国のなかで、両者の方向性に乖離があった。しかし、やがて、後者の方向性に収斂していくことになった。
○虐殺を含めた弾圧は、韓国の軍・警察の暴走でもあったが、明らかに米国の意向でもあった。
○済州島における左派の運動は、イデオロギー偏重のものではなく、下から発生したものだった。
○当初は、あまりにも過激な弾圧に対する、済州島での自己防衛・反撃であった。
○しかし、済州島の左派リーダーが北朝鮮に渡り連携するに至り、問題が冷戦の対決に回収されていくことになった。
○米国は、この時期に、大阪の在日コリアンが済州島と共鳴して運動を行うことを警戒していた。(いうまでもなく、1920年代以降、「君が代丸」によって、あるいは密航によって、済州島出身者が大阪に多数生活するようになっていたからである。)
○韓国の軍・警察による虐殺活動は、赤子や老人の残虐な殺害など凄惨を極めた。一方で、済州島の武装隊も、敵対する村での殺戮を行うなど、加害の側にも立った。このことが、四・三事件という歴史を複雑かつ多義的なものにしている。
○事件後、済州島は、軍政保守の票田となった。事件が住民のトラウマとなり、少しでも「アカ」とみられることを極度に恐れ、権力に従順に従うようになっていたのである。

ところで、済州島は、自然環境が豊かな島として世界遺産にも認定され、生活の糧が農業・漁業からサービスへとシフトしている。しかし、空港の下には、多くの名前を特定できない遺骨が眠っている。現在でも、米軍の戦略拠点として位置づけられ、あらたな基地建設も進められている。まさに、沖縄と重なってくるわけである。そして、両者の交流は続けられている。

●参照
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『新編「在日」の思想』
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』(詩人は、四・三事件に関わり、大阪に来た)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(鶴橋のコリアンタウン形成史)
鶴橋でホルモン 
野村進『コリアン世界の旅』(済州島と差別)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
『けーし風』沖縄戦教育特集(金東柱による済州島のルポ)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」(李静和は済州島出身)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(練塀のルーツは済州島にある)


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