Sightsong

自縄自縛日記

野村進『コリアン世界の旅』

2010-04-20 22:02:23 | 韓国・朝鮮

ロングセラー、野村進『コリアン世界の旅』(講談社、1996年)を読む。当方の問題意識は、朝鮮学校高校授業料無償化の対象外となってよいのか、という点である。

ここに示されているのは、日常の社会生活において、また結婚、就職、住宅の賃貸といった機会に、いわれなき差別を受ける人々の姿である。露わに見える差別は減ったかもしれないが、本質のところは決して変わっていない。思いもよらない瞬間に、日常の澱みから姿を現す差別に驚かされることは稀ではない。そう感じない人がいるとしたら、余程めぐまれた環境にいるか、あまりにも鈍感かのいずれかである。『東京新聞』など一部の新聞を除き、石原都知事の度し難い差別発言をまともに取り上げた新聞がなかったことからも、差別というものに対する嫌悪感が社会的に鈍磨していることがわかる。

朝鮮学校は、在日二世たちが、日本社会に染みついている差別から逃れる場所としても機能していたのだと、著者は指摘する。そうでなければ、日本の通名に変えて、出自をひた隠しにした。そして、足を踏む者はその痛みを感じないし、踏んでいることすら忘れてしまう。

総聯系の朝鮮学校は、祖国志向と思想教育の色合いが濃いものだった(あるいは民団系の韓国学校だが、数が少ない)。しかし、その点のみを捉えて、日本に住むなら日本の教育を受けよと言うのは歴史を無視した態度である。

「一世たちは戦後まもなく、植民地時代に奪われた民族の名前や言葉を取り返し次の世代に伝えるために、日本の各地に朝鮮学校を開いた。朝鮮学校をはじめとする民族教育に対する日本政府の対応は、朝鮮戦争を引き起こした米ソ冷戦の時代背景を考慮に入れても一貫して弾圧的で、在日は膝を屈する形での帰化か、南北に分断された祖国への帰国か、二者択一の選択肢しか与えられなかった。」
「踏みにじられた人間としての誇りと尊厳を取り戻すため、それは親たちにとっても心の癒しとなる行為だったろう。つまり、戦後の出発点に、日帝三十六年で奪われた民族性をどうやって取り戻すかという大命題があったのである。そのとき、朝鮮民族の理想的なシンボルとして金日成ほどわかりやすい存在は、ほかにはいなかった。」

在日がなぜパチンコ業界やシューズ・鞄業界に集まったのか、加害者として韓国軍がベトナムで行った残虐行為、韓国内での全羅道や済州島に対する差別構造、阪神大震災での受苦についても、多くの取材がなされている(ところで、つげ義春『李さん一家』に出てくる李さんの妻が済州島出身だという指摘は興味深い)。関東大震災のとき、流言蜚語によって多くの朝鮮人が殺傷された。阪神大震災でも、その恐怖が在日の間で蘇ったという。歴史はそれほどに根深い。つまり、現在、朝鮮学校で思想教育を行っていることをもって、北朝鮮の拉致問題や核開発問題と結びつけるのは、あまりにもバランスを欠いているということだ。

著者は、マイノリティの子どもたちが、民族の言葉や文化を公教育の場で学ぶ権利は「子どもの権利条約」で保障されているはずだと指摘する。日本は1994年にこれを批准している。

第30条
 種族的、宗教的若しくは言語的少数民族又は原住民である者が存在する国において、当該少数民族に属し又は原住民である児童は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。


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