Sightsong

自縄自縛日記

トラヴィス・ラプランテ+ピーター・エヴァンス『Secret Meeting』

2016-04-13 22:56:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

トラヴィス・ラプランテ+ピーター・エヴァンス『Secret Meeting』(NNA、2015年)を聴く。

Travis Laplante (ts)
Peter Evans (tp)

ラプランテのテナーには驚かされた。どれだけ音を割って、どれだけ倍音を放ち、どれだけ長く吹くかというショーケースである。ときに、電子楽器かという音もある。

これに対峙して、エヴァンスも炸裂と運動神経の無数の様態を惜しげもなく提示している。実はこのようなシンプルな追及こそ、エヴァンスの望むところではなかったのかな、なんて思ったりもして。

ヘンな音の響きとヘンな音の響きとの相乗効果で倍倍音。聴いていてくらくらする。その響きの可能性には、まだまだ先があるのではないかと思わせてくれる。

●ピーター・エヴァンス
Pulverize the Sound@The Stone(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
チャン+エヴァンス+ブランカート+ウォルター『CRYPTOCRYSTALLINE』、『Pulverize the Sound』(2013、15年)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ピーター・エヴァンス『Ghosts』(2011年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』(2009年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
MOPDtK『Blue』(2014年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年) 


今西錦司『遊牧論そのほか』

2016-04-13 21:53:04 | 北アジア・中央アジア

今西錦司『遊牧論そのほか』(平凡社ライブラリー、原著1947年)を読む。

今西錦司は、戦中・戦後に、内モンゴルの調査旅行を行った。本書は、その際に、この生態学者が書きつけた思索の記録である。

もっとも、海外踏査が困難であった時代であるから、判断材料は極めて限定されたものだったに違いない(たとえば、著者は、外モンゴルのゴビ砂漠には植生がほとんど無いと書いているが、実際にはそうではない)。社会や文化も含めて、実際に身を置いて思索を重ねた上で出されてきた「理論」である。したがって、正しいかそうでないかというよりも、今西錦司という人の思索過程に付き合うことの味わいに価値がある。

遊牧ということについては、内モンゴルの植生分布や、牛、羊などの家畜の特性から検討を進めている。その結論として、ヒト中心の事情によって、狩猟文化から農耕・定住文化を経たあとに行いはじめたのではなく、動物の群れとしての動きにヒトが合わせていったのだと考えている。このことも単純な「正解」というわけではないようだ。

著者は、大陸において日本の敗戦を経験した。同年の10月に北京で書かれた文章は、さすがである。

「けっきょく敗走である。敗走でしかない。この数年来日本人は何万と進出してきたが、軍はもとより、一般居留民も、日本人は日本人だけの社会をつくろうとした。その社会と現地民の社会とは遊離していた。日本人は安くで配給物をうけとり、日本人はいわゆる治外法権の特権階級として、現地民の社会にまで根をおろす必要を、ほとんど感じないで暮らしていた。この日本人の社会が風に吹かれて動揺するとき、これをとどめる力は、現地民の社会からでてこなければならないということを忘れていた。」
「敗走はけっきょく日本人のつくった、浮き草のような日本人社会そのものの敗走である。」

●参照
2014年8月、ゴビ砂漠
2014年8月、ゴビ砂漠(2)


ロイ・ナサンソン『Nearness and You』

2016-04-13 21:09:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロイ・ナサンソン『Nearness and You』(clean feed、2015年)を聴く。

Roy Nathanson (as, bs, ss, p, vo)
Arturo O'Farrill (p)
Anthony Coleman (p)
Myra Melford (p)
Marc Ribot (g)
Curtis Fowlkes (tb, vo)
Lucy Hollier (tb)

2015年6月、ニューヨーク・The Stoneにおけるナサンソンのレジデンシーの抜粋である。ここではほとんどデュオ集のような形になっているが、実際のところ、The Jazz Passengersなど、もっといろいろな編成での演奏が繰り広げられた模様(>> リンク)。

わたしはマイラ・メルフォード目当てで聴いたのだけれど、彼女だけでなく、この多彩な共演者たちとナサンソンとの会話ぶりがとても愉しい。マーク・リボーの割れた音のギターもいい。アンソニー・コールマンが入ると少し背筋が伸びるような感覚。マイラ・メルフォードは転がり出る音と戯れている。

ナサンソンは、父親がテナーで吹く「The Nearness of You」なんかを聴いて育ったのだという。タイトルはそのもじり。さらに「The Nearness of Ewes」とか「The Nearness of Jews」とか、悪ふざけ満点。それを、まったく力が抜けたなで肩のサックスが彩ってゆく。なんだかロル・コクスヒルの諧謔と脱力ぶりを思い出してしまう。

さらに、ラテン・ピアニストのアルトゥーロ・オファリロが美しく速く弾き、ナサンソンが味わいを込めて吹く「Ida Lupino」にも惹かれる。カーラ・ブレイの曲である。そういえば、本盤のジャケットはカーラの『Songs with Legs』に似ている。もっとも、それに「Ida Lupino」は入っていない。